2018年07月21日

大我の人つづき

さて、私たちが永遠の生命として今あるとき

イエスは、「人は二人の主に仕えること能わず」といわれた。これは、肉体の小さな自分に仕えるのか、
それとも神に仕えるのかということである。

キリスト教的に大我というのは、仏教的には宇宙即我に到達した人ということである。

宇宙即我に到達すると、大宇宙が自分が一体になり、大宇宙が自分であり、自分が大宇宙であり、万象万物
すべては神の生命に生かされている生命の兄弟だということがわかる。

愛とは、すべての生命が、切り離すことことのできない、一つに繋がっている生命であるということを知った自覚から
起こってくる、聖なる心である。その一つの生命であるからこそ、人が病気したり、苦しんでいることを見て
自分の事の様に悩み苦しむのであり

また、人の喜びや感動している姿をみて同じように喜び感動するのである。

宇宙と自分と一体となる「宇宙即我」と、神の心をはっきりと知ることが出来る。
その神の心を知ることが出来た自分を大我という。

真の大我の発見、即ち宇宙即我になることは大変難しいことではあるが しかし我々は大我になるように
精進しなければならない。

参考文献 園頭広周 著 より抜粋

※ 恐らく大我の心を得た人として私たちが知っている偉人はそう多くはないと聞いています肉体を持ちながら
宇宙即我を顕現した
ゴーダマ仏陀、イエスキリスト、モーゼ、モーゼの後のエリア ギリシャにおけるアポロ
近年では高橋信次師(1976年)などがあげられますが
間違ってはいけないことは少なくとも世の中で宗教と呼ばれているものや○○教とか○○会などという
組織とは一切関係なく自らの心の中はすべて宇宙に通じているということです。
私見ですがわたしは一宗、一派、一冊の経典にこだわることなくただ永遠の存在である神と神の法にそって
生きようと精進していこうと念ずるものであります。
http://www.shoho2.com/









posted by 筆文字や隆庵 at 11:36| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: