2020年11月24日

居酒屋の話

居酒屋は元々江戸時代の酒屋が付加価値サービスとして一杯ずつ酒を提供するという事から始まったといわれています。江戸は中心的大都市だったせいか地方から次男や三男が職を求めて集まってきたともいわれており極端に独身男子が多かったのだという事で、遊郭や飲み屋などの発展がなされたのではないのかと思われるのです。
 さて、その居酒屋(飲み屋ばかりでなく蕎麦屋、うどんや、屋台なども)なるものが、爾来時代劇などでもよく登場するように庶民の間でその業態が確立されていきます。
 当然のことながら小規模の店舗が主流であり生業として存在し、次に家業となっていくのだと考えられています。さて、時は流れ近代へと進んでいくのですが、ごく最近まで、というか昭和の時代には人々の集まる個所としての駅前食堂などがその役割を担っていたと考えられます。
その形態としては親父さんが料理長、奥さんが接客サービスが典型的なスタイルであり、文字どおり駅前に集まる働くおやじの為の癒しのスペースとして存在していたのであります。
 小さなスペースでの営業は一度にたくさんのお客に対応することは困難であり大人数の対応は、○○会館とか料理旅館、料亭などが対応施設だったのでしょう、今でもその名残が地方の町には存在しています。
 いずれも低生産性であり会社とは名ばかりのものでしたが現在は地方の町には成功していった駅前食堂の形もあったのです。おおむね三つの顔を持つ店がその形です。
 一般の定食屋兼居酒屋、そして宴会場併設、場合によっては個室対応の食堂などを有する店がその典型です。計数管理不在の前近代的な店舗経営が中心です。
そうした中1970年代のチェーン化レストランの台頭から若干遅れながらも企業化を目指す居酒屋群が現出してきます、「つぼ八」「天狗」「養老の滝」洋風では「ビヤホール・ライオン」などが多店化していきます。
 チェーンレストラン群からの脱皮組として居酒屋業態への挑戦も一部では見られますがこれは競争激化のファミリーレストラン群でのサバイバル戦略として位置付けられたものです。具体的には関西地区のフレンドリーグループや関東の西武系、ジャスコ系、ダイエー系等などが顕著な例でした食堂という業種から、ファミリーレストランという業態は、さらにディナーレストラン、カジュアルレストランといった様々な業態を生み出していきます。
 模倣と競争の繰り返しが各社とも同質化現象を引き起こし、「消費者不在」のビジネスゲームが繰り広げられていったのです。
小生がレストランチェーンのスーパーバイザーをしていたころに少なくない同僚が各居酒屋チェーにスカウトされていきました。
主な居酒屋企業としては「和民」「魚民」「モンテローザグループ」といったナショナルチェーン、地方のチェーンなど多くの居酒屋チェーンが活躍していました。
 しかし、模倣による同質化現象は価格競争を余儀なくされ、計数管理主体の管理に限界を感じ始めていったのです。



posted by 筆文字や隆庵 at 10:06| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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