2020年12月04日

繁盛店への道

全館4階、建坪80坪 席数400(宴会場、個室あり)の日本料理店での仕事は総合管理支配人としての立ち位置で日々の営業を行っていました。
経営者は調理師であり、仕入れの目利きは正しく、おいしいものは材料、素材の段階で決まっていくといった信条の持ち主でありました。
まあ、職人としては当たり前なんですけど経営に対する情熱は並外れた才能とでもいうべき資質を持っていたと思います。

 独立当初は30坪程度の小さな店舗だったんですが繁盛していくうちに新たなるチャレンジ魂に火が付き、「情熱が人を動かす」とばかりに金融から建物の取得から、改装のデザインから何かにつけ一流とよばれる方たちを味方につけ冒頭の規模の料理店を出店させたわけです。
仔細はともかく、この店が月商1億を稼ぎ出していくわけですからバブルのころとはいえすさまじいものでした。客単価1万円で一日当りの来客数3百名、日商300万円超が一年続くのですから毎日が目の回るような忙しさでありました。

こうした中で、チェーンストアしか学んでいなかった私にとってどんな仕事をしたのでしょう。以前さんざっばら批判してきた水商売そのものの環境が繰り広げられる毎日ではあったものの実はそこに、外食業界の将来を見たようなそんな気がしたのも事実です。
バブル期の接待のために使われることが多かったためか予算は現在のような節約はありません、会社の予算があらかじめ定められているので料理内容はともかく全部でいくらいくらで頼む・・といった注文の仕方が多かったような感じです。

私の仕事はともかく個室を予約で埋める事と宴会予約を取ることが第一優先でした。
 したがって日中はあちこちの会合に出かけては名刺を配り頂き、お店の紹介をし来店のおすすめをするのです。夜はお店に立ち昼間にお会いしたお客のお迎えをするのです。
 店の各個室は贅を尽くし立派なお部屋は料亭並みかそれ以上の造りにしてますから(有名な建築士やデザイナーによるあつらえ)接待客は満足してくれますし、価格帯も料亭より安価ですしとても重宝されていたのです。3万〜5万で接待してきたお客様にとって当店はリーズナブルだったように思います。
 チェーンストアでの客単価とは別の世界がそこにはあったのです。
売上が上がるという事は、人件費は高く設定できるし宣伝費も使えます。益々の好循環を支えていくのが売上なんだなあと当時思ったものです。
 いい店、良い料理、良い評判、贅沢な気持ちを良い料金でが、当時の思いでした。お客は商談に、社内のモチベーションを上げるための飲み会に、夜の女性(2次会に行くお店)にこの店をつかえるんだというステータスシンボルになっていったのです。
 今となっては懐かしいんですが官公庁や地元の有力企業、新進気鋭の経営者、スポーツ選手、マスコミに登場する俳優、女優などもお客でした。○○にいったよ・・・・というのが自慢話になるのでしょうねとにもかくにも日々の集客力はすさまじく、やがて2店舗目を出店することになります。
 一店舗であふれていくお客の受け入れ先をつくるというのが第一で且つ別の客層を取り入れるという目的でもあったのです。したがって一点目の敷居を少し下げたアメニティを表現していこうと企画した店舗であります。

IMG_0200.JPG
 復活が待たれる肥後の名城「熊本城」県民の誇りです
 今日のスケッチです。

 隆庵 




posted by 筆文字や隆庵 at 10:07| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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