2021年03月22日

固定観念

 過去に捉われていて自分の能力を発揮していないという事を、よく「ノミのサーカス」というたとえ話に説明されることが多いように思います。自分の能力を規定してしまっていて本来の自分の力を出せない状況に陥っている状況をあらわしています。
 コップの中に閉じ込められ蓋をされている状態でどれだけ跳び上がっても何度も何度も頭をぶつけ、それ以上はいけないという事になってしまっているという状況なのです。何度も頭をぶつけていると知らすしらずに体が反応し頭をぶつけることがなくなっていきますが、そのことと引き換えにもうコップの高さ以上は跳べなくなってしまっているということになってしまっています。本来はもっと高く跳べるはずなのに自己規定してしまっているのですね。
 だから、コップの外に出してやっても無理な状態になっています。条件反射という事なのかもしれませんが結果として能力と個性を失っていきます。 同様に人間もそのような状況になっている人が多いようです。
 原因は、どうも幼いころの出来事から、また教育からや環境から影響を受けて習慣化している考えや行動によって出来上がってきたものといえます。
 整理すると固定観念の構成原因としては生まれ育った環境であり、父母や家庭でのしつけであり、また学校教育により生じる事であり、その中から形作られた性格であったりするわけです。
 特に戦後の日本における教育界や言論界、学界、産業界に至るまでGHQkの「ウォーギルティインフォメーションプログラム」によってガタガタにされてしまった感があります。誤った国家間によって自虐史観を植えつけられ、家族の絆を壊すような政策を実施させたり、男女の役割にまでその影響を及ぼしていくような様々な計画によって今の日本が翻弄されてきたように思うのは私だけでしょうか。
 いうまでもなく教育や思想や習慣や間違った物質優先主義から派生した問題は私の中で一種の固定観念として大きく作用してきました。だからこそ本来の自分に帰り、本来の人間の姿をあるべき暮らし方を考え直さなければならない時期が今来ているような気がしています。


posted by 筆文字や隆庵 at 10:17| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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