創造主の神は動物植物鉱物のそれぞれの命を循環という名の仕組みの中でのみ維持できるよう計画された。地球上に於いての様々な現象を考えてみればおのずと理解できよう。
動物は酸素を吸収し二酸化炭素を吐き出すことによって二酸化酸素を吸って酸素を提供する植物の生命を維持させている。相互関係の中に生命の本質があるのだという事を理解しなければならないでしょう。
こうした相互作用のメカニズムがすべての現象に応用されているわけですから、自分さえ良ければいいんだという考えがどれだけバランスを欠いた思考であるか分かりましょう
物事の原理原則が相互作用の中にあり森羅万象が常に一定のリズムで働いているという事を思った時にこのシステムを作られた神の存在を思わなければならない。
偶然に存在しているものは何一つないのである。
さて「全体と部分」について考えてみたいと思います。昨今世界を席巻している「武漢肺炎ウィルス」の猛威について我が国における情報発信の在り方についてなにかと不手際を感じているのは私だけではないでしょう。部分情報がわずか数十センチのテレビという箱から流れ出ていてそのことに右往左往している人たちがいる。
最近はネットという媒体が存在しているもののまだまだ世論を動かすまでには至っていないし60代以上の高齢者においては全くの情報弱者といえよう。
お経の中に「群盲像をなでる」という教えがあります。目の不自由な方が像をなで尻尾を掴むとある者「像とはひものようなもの」といい、耳をなでた者は「像とは風呂敷のようなもの」といいはたまた足をなでた者は「像とははしらのようなもの」といったという話であります。わずかな部分だけを捉えて全体を見る事の愚かしさをたとえ話になぞらえた教えなのでしょう、それと同様なことが現在世界で起きているようです。つまり「マスコミ」による情報だけに頼ると本来とは異なった理解が蔓延するという事です。
今現在「コロナウィルス」といった現象について様々な情報が流されていますがそれって妥当なものでしょうか、日々の発表の中でいわれる感染者とはどういう定義でいわれているのかについて知っている人いますか?ワイドショーやニュースは「大変だ大変だ」と騒ぐのみで本当の事実は伏せられているのではないかと疑ってしまいます。
何故なら、感染者の定義として陽性者と感染者とどう異なるのか、重症者の定義、死者の定義などその仕組みを一切報じないのはおかしいと思う。
例えば、pcr検査での結果水準の是非どの程度のウィルスの数なのか、陽性者=感染者なのか、混同されているようです。また重症患者のうち死亡に至った経緯や年齢の分布、などなど大いに疑問があるわけですから国民に自粛要請し暮らしに制約を設けるのならば知りうる情報は公開すべきです。
さもなければ、私たちが「群盲像をなでる」現象に陥らないように情報リテラシーを持つことが大事だと思う今日この頃であります。それには私たちそれぞれが教養を身につける必要があるという事です。
教養とは学歴ではなく人が人として当たり前に生きていくために必要な技術や体験から学んできた常識というものです。
正しく見るというお釈迦様の八正道を実践していきたいものです。
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