2021年07月05日

薄っぺらい思惑

 もうずいぶん昔の話、私が高校生くらいの時(昭和40年代の半ば頃)の事を思い出すたびに当時の世相と現代とそんなに大きく変わっているわけではないのだなあと感じるのである。
大衆というか、人々というか、環境というかそれぞれの動向はその本質において何ら変化なく21世紀の現代も50年前のそれも金もうけこそが唯一無二の目的かのように突き進んでいるようです。

 がむしゃらに労働してきた敗戦後の我が国が当時の世界戦略の中に(特にアメリカを中心にした白人国家の思惑の中で)組み込まれていた所以か国家の哲学など忘れなりふり構わない物質主義に翻弄され、現代に連なっているのである。
 学問は単なる出世のための薄っぺらい学歴という名のお墨付きを得るための手段となりはて、その学歴のために前段階のほとんどの暮らしは受験という名のハードルに挑むための日々。

 目的そのものが自己中心的であるために生じる葛藤は当時の私たちに暗い影を落としていったと記憶しています。当時の若者たちを称して「三無主義」といわれていたものです。※無気力 無関心 無感動 
 さらに、虚無主義や無政府主義などが加わり先輩たちの「学生運動」なる自己満足的なマスターベーション的な政治活動など云々青白き薄っぺらい思惑が少なからず当時の私たちに影響を及ぼしていたものと思います。
 一方において「ノンポリ」と称していた若者たちの間には「音楽」という自己主張の手段が与えられます。簡単なコード進行で演奏できるということで多くのギタリスト?が生まれその中からスターが登場していきます。

体制への反逆という意味合いを持ちながら新世界の創出という意気込みはいつの時代も若者たちの「特権」だったのでしょう。
その時代の若者たちも様々な紆余曲折を経て、それぞれの世界の中で活躍をしていくのですが、学歴社会を勝ち残っていった連中による間違った「エリート主義」を振りかざした結果に生じた1990年代のバブル経済の崩壊をはじめ、政治の世界の体たらくぶりは三流と呼ばれる政治家を数多く生み出し、昨今では人の命を守るはずの「日本医師会」自分たちを守ることに汲々とし、教育界も近隣諸国の圧力に屈し虚偽の歴史教育なるものを青少年に伝える機関になり、マスコミに至っては国家崩壊でも画策しているかのような報道に終始しているのではないでしょうか。

世界の中でも名だたる教養と品位を兼ね備えているはずの日本人がこのざまではいかんのだ・・

と思うこの頃ですがこのようにしたのは50年前の若者であった私たちの責任と思い反省している次第です。

posted by 筆文字や隆庵 at 11:30| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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