それぞれの子供だった人たちはやがて思春期を迎え不安定な心と格闘しながら、待ってくれない時の流れの中にある時は埋没し、ある時は希望の光をめざして努力し、またある時は自らすすんで悪をもてあそびあるいは善に執着し、それでも自己の確立を求め人生を確認する。といった経緯を経て
仕事世界に飛び込んでいきます。
学生時代ならば許されるような言動が仕事の世界では許されないのである。といった世界観か゛自分を包囲していくのです。経済優先の社会は人の心根に壁を作り、言うならば敵か味方かといった観点が主流 外的にも内的にもであったように記憶しています。
企業としての競争と同時に社内での出世競争等
派閥あり、人脈あり、学閥あり、その組織づくりは戦国時代さながらの様相が繰り広げられている状況の中において「友」とは何なのだろうかという点を考えてみたいと思います。
本来は縁ある人々はすべて友というべきものであると考えられるし、自らの属する組織のみならず取引先であるべく存在している組織もまた友であると考えたいのですが
競争競合相手として、闘争の相手として存在しているという事で反発しあうという姿を現していきます。
それでも「友」に違いないと思いこむことで心の平和を維持していったように思います。
企業戦士といわれていた職業人がホッとしてリラックスするときに交流したいと思う人がいます
それは、おそらくは経済的取引などとは関係ない立ち位置を持っている人、少なくとも経済的な関わりがない人という
事を察しているのでしょうね
本来はそうであってもなくても交流したいと思う人々についてどれぐらいいるのであろうかと考えてみたらせいぜい10名程度
学校の同級生、同じ価値観を持っている人、という具合に収斂されていくようですね
「友ありてこそ 人生の醍醐味」
「我妻こそ最愛の友」
「真の幸福は縁ある友とともにあり」
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