だから日々のエピソードを記憶し、記録することがいかに大切かを考えてみたい。
今の今起きている事象は、あらかじめ自分が蒔いていた原因が結果としてあらわれたことなのである。
その原因の大多数は習慣的に行われていることが多いのであり、多くの人はそれが正しいか間違いかを判断することはすこぶるむづかしぃことなのである。
大事件はそれなりの大きな原因をつくっているから発生しているのであってそうそう私たちの日常では起きにくいものである。
争いという事態を考えたときに、それは個々の問題の場合と社会活動上の問題の場合とによっては影響を及ぼす範囲はまるで違うのだが本質のところは因果律という法則下にあるのだ
大は大なり小は小なりの結果が生じているから
それぞれの問題が異なる手段で解決しなければならないだけであつて
基本として解決できない問題はないのである
間違えてはいけないのは問題はなにもマイナスのことばかりではなくプラスの問題も発生しているのであって、その時は過去プラスの原因をつくっているわけだからそれは今後も継続していいよという信号であるのだという事を忘れてはいけないのである。
いずれにしてもよかったこと悪かったことにはそれぞれの原因ありなのだから
日日を記録していくことは大切なのである。
釈尊の説かれた八正道・・・正しく定にいるべし・・とはこの記録されたもの、ことに対してよきかわろきかを判断し、よきことは続ければよいしわろきはあらためていけばいいのだという教えにつながると小生覚
今私自身が遭遇している悩みや苦しみは、実のところ私自身が作り上げたものであって、一見してみて私が作っていった問題ではないようなことでもその環境をつくったのは自分であるので心広く正しい生き方をしていくためのありがたい材料なのであろう・・と思うのである。
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