今から約2500年前の話しだという事で驚いている。
今も十分通用する話であり、ある意味当然なことである。私たちが仕事をするときはまずどんなことで人様の、社会のお役に立てることができるかという事から始まる。
私自身大変つらい思いを経験している。
零細のシンクタンクに勤めていた時の事、もう数十年前の話しなのであるが、当時その会社のオーナーはバブル期における投資の失敗によって多額の借金を抱えていたようだ。ようだと推測気味に語っているのは、その時に私たち約10名の社員には聞かされていなかったためでもあるが、その全貌が明らかになったのは給料の遅配が再三訪れていたことから社員が気づき始めたのであった。
仕事はあったにもかかわらず、である。
通常の仕事の流れとしては、ある企業の新規事業進出企画なるものを受注したとして、入金は着手金として3分の1、中間報告時
3分の1、最終納品時に残金というのが私たちがクライアントにお願いする内容となっていたのである。
であるが、何故給料遅配になっていたのだろうか、それはオーナーが先方に(クライアント)頼み込んで着手時に全体の3分の2の金額を前倒しで入金してもらっていて、その金額を借金の返済にあてていたのだ。もちろん最終の入金額も返済に充てられていて、私たちスタッフはほとんどがただ働きだったという事になるわけである。当然社員の不満は高まり一人二人と会社を去っていったのだ、その際に未払いの給与の借用書をもらっていたそうだが、なんともはや情けない話ではあった。
私は、といえばやめればいいもののクライアントとの橋渡しを担当していたことと、自らの仕事の後始末もぜんぜんできていないし、実は私個人名指しの(指名されている状態)仕事は結構発生していたことも相まって沈む船に乗り続けていてとうとうオーナーとオーナーの親族と私だけのチームになってしまったのであった。当然借財返済には及ばず入金かそっくり返済に充てられる、私の貯蓄も底をつきいよいよと思いやめようと決意。
そういう私にあろうことかオーナーから借金の申し込みがあったのであった。給料もらえず、仕事はしている、出張もあるいそがしい私、
もう無茶苦茶な話だ。
バブル期の行動そのものはまさしく金さえあればという観点から不動産投資、証券などへの投資。そしてバブル破綻、信用を失っていく「金なら返せん」という状況に陥ったという話。
私自身は、それまでの仕事ぶりを買われいくつかのクライアントが個人的に応援してくれることになり、なんとか独立の道を歩み始めることができたのだが、オーナーの代わりに借金した金額をオーナーに貸すというまことにへんちくりんなオチが付いた。貸した金など帰ってこないと覚悟の上であったのだ。それより勉強させていただいたのだと感謝の心をもち袂をわかったのである。
まず仕事の質を上げることを第一考え、そのための勉強を怠ることなく顧客満足に貢献する事こそが金を作るコツなんだという話。逆説
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