書物になって記録されているそれぞれの事件、出来事を検討してみると、別世界との通信のうらには非常に重要な、深い意味があるということを教えられるのである。
その際、その通信の内容に関しては注意を向けどのような内容が語られているかは吟味しなくてはならないのは当然である。
次元の異なる世界からの話しにしても現実の地上世界に於いての常識的判断によってその質は理解できるものと考えられるので、知性的に霊媒の信ずべきことを確かめ始めると、疑問は次から次へと湧いてくるでありましょう。
霊界とはどのようなものであろうか?そこにおける活動力は何であろうか、又一定の場所のことなのか、或る状態のことを指すのか、天国とか地獄とかはどんなものなのだろうか・・・と「現世」を去ったら我々は何処に存在するのか、地上世界の心配事はどうなるのか、その意味は何かなどと疑問にはきりがなく、そもそも我々の言葉そのものは抽象的真理を説明するのには不適当であり、霊界の通信においてもその言語の制約を受けるためか、かなり霊人?も苦労されているようである。
とはいうものの、現に霊界の存在がある以上、何らかの方法をもってという方法を学びつつある霊人であることは間違いないことなのである。
所謂大指導霊という存在からの通信を受けていた「リチャードゼナー」による霊界通信が最も格調高く、その内容の哲学性、などは古今東西におけるあらゆる宗教のもとのもと、真理そのものの内容である事から有意義な霊媒による「通信」であるのだ。・・・と「天と地を結ぶ電話」日本 教文社 に述されている。
「リチャードゼナー」による神霊会においてゼナーにかかってくる指導霊は、進歩した魂の尊厳さや実践的かつ超越的なオーラを発する存在であり主たる霊人は「アガシャー」と名乗る大指導霊だという事である。(BC地上に生を得たイエスキリストであると高橋信次師談)
アガシャー曰く「あなたの魂こそが最も偉大であり、あなたの霊的指導者はあなたが自身で何ら努力しないときにはあなたのために何一つすることはできないのである」 これは我々が高い世界の指導霊から実質的な指導を受けられないという事ではなく、意識が高級な指導霊と同期している人はそれに従って感応し、霊感をもってしての援助があるのである。
「天はみずから助けるものを助ける」ということで「自力の極に他力あり」ともいうのである。
ある音楽指導霊の導きに耳を傾けている音楽家は、自分の内部に新しい大作品となりうるものを霊感的に聴くことができるのである。
また指導者は道を指示し方法を示唆することもあるかもしれない、たびたび睡眠中や瞑想中におとずれる直観がそれかもしれないのであるが
そのことに気付き実践の有無を選択したりは自らおこなうものであり、指導者があなたの代わりに行為するという事はないのである。
なぜなら、あらゆる天使たちやすべての指導霊も我々自身と同じく個の生命にすぎないのであって、我々のみる範囲内では我々と何ら変わらないものであるが、ただ一つ大きく異なる点は諸々の経験を通して悟りえた範囲が地上にいる我々が依然として迷妄の暗い雰囲気、オーラに包み込まれているに反して、彼らは宇宙の一なるものをさとっているという事なのである。
さらに彼ら指導霊たちを指導している存在彼らが「天の父」ともいう無限の存在「ありてあるもの」を世界の遥かなる領域にもっているので ある。
秩序ある世界であり、愛の世界なのである。
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