2023年07月28日

言葉の乱れ

 最近の女性の言葉遣いに驚いている。
電車やバスに乗っている若い女子たちの仲間言葉とでもいうのであろうか、とにかくむごい
家庭でもそんな言葉を使っているのであろうか。一昔前の(今でもか)不良少年、やくざ言葉とでもいうべき言葉を若い女の子が使ってる
「てめえ」「このやろう」「○○じゃねえよ」「やばい」「ざけんなよ」など
聞くに堪えない・・と思っていたら
 我が国の言語による論議の場、国会に於いての某女性議員の「やじ」の言葉の汚さに驚くと同時に美しいフレーズによって成り立っている「日本語」の乱れはこんなところにも表れているのだと情けなく思う次第であり、国民の見本となるべき指導階級の方の良識、教養をも疑ってしまう、いつから日本はこうなったのだろう。

 考えてみよう、言葉を発する前の状況を。当たり前だけど言葉を発する前には必ず心の動き、思うという行為があるのである。では何を思って言葉にしているのだろうか、思う内容によってさまざまな言葉遣いがあらわれてくる。相手を見下す言葉、罵倒するする言葉 いつくしむ言葉
優しい言葉、勇気づける言葉、それぞれは日々の生活上に大きな影響を与えていくのであるが 今日の問題その言葉の知識の問題である。つまり「語彙力」不足としいうより無知勉強不足による、知識の欠如といえる。

 その欠如の原因として文学文芸の世界衰退にあるのではないか、文字離れ、アニメ全盛の簡便セリフ回しによる物語の展開。母国語を満足に学習していないにも関わらずの英語教育の推奨、我が国の歴史に対する無頓着さは文化レベルの低下を招くというのは当然のことであろう。
 教育界においては学歴至上主義がはびこり、高偏差値の学校に行っていながら一般社会での言葉遣いや真の「教養」を持ち合わせていない方々か゛重宝されている世界になってしまっている。

いずれにしても、言葉遣い一つで仲間の種類が決まり同一化現象で、野卑な言葉を使っている人の集まりは野卑な人々が、丁寧な謙虚な言葉を使っている人々の集まりはそれなりの人が構成していくのは「波長共鳴」の法則どうりである。
 ただ、それは形のみ追い求めていても心の中からそうでないとたんなるかっことりになり続かないのである。
言葉遣いの本質は心の中の環境と深く影響しているという事を知りたいものである。

 言葉遣いの乱れはそれ相応の仲間との集団ができ、その集団を利用しようとするこれまた悪い奴がいるという事を肝に銘じていこう。

心の乱れが言葉の乱れに繫がり、言葉の乱れは行動の乱れにつながるという事をしって、修正していこう。




posted by 筆文字や隆庵 at 22:15| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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