2023年08月07日

常に学問とは何かを考える

 学問は常に心と一致している事が肝心であって心なき学問、「知識偏重」といってもいいだろう。そのことによって優越感を持っている人の多きことが現在の世界を司っているから、様々な問題が起きているのである。
 よって自分の心をしっかり把握して修養していくことが大事である。

政治を行う場合は第一に目をつけるところは「情」の一字にある。人情の機微に従って世を治めるこれ王道という。学問も徳をもって学ぶべき。

 昨今のパンデミック対応に対する有識者と称する「学者」の右往左往ぶり、や医師会の横暴と医師会に配慮する政府の右顧左眄ぶりはなぜ起きたのか

 所謂今の学者の失敗は学問が狭いからではなく広いため失敗している。学問が偏っているから失敗しているのではなく追求するのが浅すぎて失敗しているのである。
 そもそも医者は細菌学を徹底して学問しているわけではなくその分野は専門家の意見を素直に聴けばいいのにそれを怠る。

 本来学問は立派な人になろうとする心構えがまず必要であってそれは、自分の徳を磨くために学問があるのであって「道」を体得することを尊ぶべきである。雑多な学問をして外面を飾り立てるようなことはしてはいけない
 ところが最近の学問をする者はその精神を忘れ他人にじまんすするためのまるで嫁入り衣装を作るようなことをしている。

 要するに人間が薄っぺらいのだ・・・・

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posted by 筆文字や隆庵 at 10:56| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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