物事を深く考えることをしない人がとても多くなったような気がしています。
特に若者という将来のある人々の薄っぺらさに危惧しているのは古今東西いわれてきたことであろう。
我々の時代もそうであった、しかし少なくとも「社会」「国家」に対しての建設的な不満は持っていた。
今は、どうだ
破壊的な、刹那的な不満が渦巻いてしまっているような気がしているのは私だけであろうか
自分さえよければ他はどうなってもいいというような精神にむしばまれている。これは若者だけではなく上は政治から
会社企業から、国民男女に浸透しているかのような事件が相次いでいるのだと解釈している。
正しく物事を捉えることこそが大切なの思考の第一歩
真実は何かと我々が考えるきっかけとなるのはテレビという1m四方から流されるニュースの出来事というやつである
この情報がもし間違っていたら・・・と考えると、思考する第一歩からして間違っているという事になるのだから
よほど注意をしていなければ正邪を見極めることが出来なくなるのである。
よほどしっかりしたジャーナリストの存在が不可欠であることは言うまでもなく、情報を受け取る側の私たちも知性を活用し
常識的な教養を持っておくことが必要
世間に流れる情報が真の第三者の立場からのそれか、何らかの恣意を含んでいるかについて所謂「情報リテラシー」を持つことが大切であろう。
2024年02月01日
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