物事を表現するのに言葉がありそれは文章として明日に残り、人々の記憶にとどめられるものであります。
清少納言の「枕草子」・・・春はあけぼのから始まる四季の移ろいに関する文章はその当時の情景を見事にあらわしています。
デザイナーである私は、またコピーライターでもありマーケティング研究者でもあります。だから目に入るものや事に対してある程度敏感になっていくわけで、その一環として古文などに親しむことを自らに課しているのです。
というのは、古文といわれる時代には写真などの画像は存在せずただ文章と絵によってのみ、作者の感情なりを表現するしかなかったのですから、現代人以上に文や絵に対する感性が豊かであったのだと思われるからです。
むしろ不便だったからこそあのような素晴らしい文章が残っているのだと思うのです。
人間というのは不思議なことに困難であるからこそ何事にものめりこんでいくのかもしれません。
デジタルも便利だけど人間本来はアナログの生き物だと思うのです。デザイナーである私は、絵の具、染料、水墨、筆、などアナログに徹して、いかに情景や状況を語るかを日々鍛錬している事であります。どんなことに気を付けているかというと、例えばこんなこと
スーパーの店頭は野菜や果物が一番目立つところにあるという現象から何を見るか・・・
おおきく二つの狙いがあります。一つは季節感の演出という店舗のメッセージを感じてほしいから「あぁ もう秋だねー」などといったお客の感性に訴求する役割と、もう一つは販売力強化して旬のものを劣化する前に販売して不良在庫にしないためです。「旬だから買っておこう」のようなメッセージです。街を歩くという事は感性磨きに役に立ちます。
人ならでは有している感情と芸術の融合によってセンスアップをはかり、人生を潤いのあるものとしていく。さらに
人が人として生きていくに際し「何が正しくて、何が間違っているか」という事を常に考えておかなければならないと思うわけです。今の時代は「多様化・個性化」という名によってどんなことも自由だということで動いているようですが「多様化」という名のカオスの世界を作り上げていっているのではないかと、デザイナーは考えるのです。
普遍的な哲学なるもの、宗教なるものを研究してみても個々様々な意見が混乱していて基準となるものの所在・・・必ずあると思うのですが・・・
が人の間で論ぜられるときにそれぞれが食い違っていることが多いような気がしてるのです。という我々のデザインの世界では「好感もてるか否か」といったすこぶる個人的な意見が散乱しているんですがね・・いずれにしても正法という道を歩むことで様々な問題の所在が明らかになって行くという事を日々体感、経験しているわけです。

【関連する記事】