2022年11月30日

日々の生活における事件

 身の回りに起きる出来事は自らがいつの時かに蒔いた原因が、結果としてあらわれている。
だから日々のエピソードを記憶し、記録することがいかに大切かを考えてみたい。

 今の今起きている事象は、あらかじめ自分が蒔いていた原因が結果としてあらわれたことなのである。

その原因の大多数は習慣的に行われていることが多いのであり、多くの人はそれが正しいか間違いかを判断することはすこぶるむづかしぃことなのである。

 大事件はそれなりの大きな原因をつくっているから発生しているのであってそうそう私たちの日常では起きにくいものである。
争いという事態を考えたときに、それは個々の問題の場合と社会活動上の問題の場合とによっては影響を及ぼす範囲はまるで違うのだが本質のところは因果律という法則下にあるのだ

 大は大なり小は小なりの結果が生じているから
それぞれの問題が異なる手段で解決しなければならないだけであつて
基本として解決できない問題はないのである

 間違えてはいけないのは問題はなにもマイナスのことばかりではなくプラスの問題も発生しているのであって、その時は過去プラスの原因をつくっているわけだからそれは今後も継続していいよという信号であるのだという事を忘れてはいけないのである。

 いずれにしてもよかったこと悪かったことにはそれぞれの原因ありなのだから

 日日を記録していくことは大切なのである。

 釈尊の説かれた八正道・・・正しく定にいるべし・・とはこの記録されたもの、ことに対してよきかわろきかを判断し、よきことは続ければよいしわろきはあらためていけばいいのだという教えにつながると小生覚

 今私自身が遭遇している悩みや苦しみは、実のところ私自身が作り上げたものであって、一見してみて私が作っていった問題ではないようなことでもその環境をつくったのは自分であるので心広く正しい生き方をしていくためのありがたい材料なのであろう・・と思うのである。

 


posted by 筆文字や隆庵 at 22:53| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年11月29日

考えなければならないこと

 70歳になったとはいえ、考えなければならないことがたくさんある。
自営業ならではの話し、定年などなくお客様の要望が降り続ける以上、私に引退はないのである。
世に多くの仕事があり、その仕事ならではの特殊な技術に対しての要望や環境に応じての存在価値というものがあ  る。
 その変化に気づかず従前の環境によってのみ成立していた自分の存在価値を過剰に自己評価し、現在の市場にあっていないという現実に目をふさぎ過去の成功事例の延長線上にあるものだという。

 そういった人たちの根本的な間違いを指摘しつつも
ではどうすればいいのかと問われること多し

 まず問題は何処にあるのかを発見する事が第一であるが、その前に理想の形を認識することが大切である。
一体、どうありたいのか。

 自らのおかれた立場から考える
 そこで
 自らの人生の今後のシナリオを構築していく

 あるべき自分とはどんな形なのかをまず考えてその形を成立させる条件とは何か・・・という風に現実的に考えてみることが第一のミッションであろう。この設定条件をどうしたら満足できるのか、そのことに意識を集中させてみよう。

見えてくるものがあるはず

 常にいい気分で過ごしたいのであれば自分さえよければいいというわがままな心構え、習慣を捨てることだ
 
我々の人生は一瞬の積み重ねであってそれぞれの一瞬の思いと行動はそれぞれの結果を生み、その結果に対する認識度が次の結果につながり
幸不幸のどちらかを受けるもの

これ 法則

 それと、自分に対しては誰も嘘をつけないという事

 
 

posted by 筆文字や隆庵 at 22:54| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年11月27日

循環

世の中の社会、大自然の営みは全て循環の法則の中に存在している。
循環しているという事は回転しているという事なので、自らが思い行ってきたことはぐるり回って自らに帰ってくるものだ。
 物理的な行動に関してはその結果が物質的に目に見える形としてあらわれてくるので比較的わかりやすく修正も容易であるが
実はその行動を司ってる思いにその原因があるのだという事を知る人は少ないのである。

「人を呪えば穴二つ」という諺は、人を恨んだ付けはまわりまわって自分に帰ってくるのだという事。

 思いという心の振動は同じような思いの人のエネルギーと同調し場合によっては増幅し自らにかえってくるといった話は多い
良い思いや行動は、良い人々との波長同期を起こし自分に良として帰ってくるが、他人を恨みねたみ嫉妬に燃えるような思いの振動は
 同じような人々の振動と同調し増幅して自らに悪いこととして帰ってくる・・というのが大自然界の法則なのである。

因果律、慣性の法則、波長共鳴の法則 循環の法則 エネルギー不滅の法則はそっくりそのまま人間の心にも作用しているという事なのだ

イエス様は「汝、自らにしてほしいことを他人にせよ」と・・・・逆に言えば人に意地悪な心で接していたらその人の内面に刺激を与え、鏡の反射よろしく自分に帰ってくるのだから、そうしたいときはそうしたらよいわけなのだ。選ぶのは自身・・・・・

posted by 筆文字や隆庵 at 12:00| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年11月18日

精神病院で最初聞かれること

 先日縁あって親しい人を精神病院に連れていき、ともに最初の問診を受けた
もともと、ここに至るまでに発生した内容は他人から襲われているといった被害妄想にかられた挙句警察に電話しようとしたという事
 特定の他人から中傷を受けいじめられているという事
さらに、自分に対して嫉妬心を持っているという事などを、周りの人々に○○(自らに対して敵愾心を有する人)は悪魔であって毒を吐いていると
いいふらかしているといった人物(女性)を精神科に連れて行ってほしいとの主治医の意見に沿いかの病院に同行した次第であり、その時の状況が、人間が生きていく中で重要な要点をついていると思い記すことにした。

 面談内容は下記のこと
ドクターはまず生い立ちに関して覚えている限りのことを語ってくださいとのこと。まずあなたを生んだ父母のこと、兄弟姉妹のこと、周りの生活環境のことなどを質問。親子の関係や兄弟姉妹との関係で、思い出したことや思い出したくないこと等に関してお話くださいとのこと、
現状の生活環境を鑑みても多分言えないことだろうとは思ってみたが、うろ覚えながらピックアップして語った。ただ思い出したくないようなことに関しては言葉を濁すか、記憶に蓋をしているかのごとき態度であったように同行者である私は感じた。

 自分がいかにいい人であり優秀であったかを語るものの肝心な部分どこに住んでいて、どの学校にいて、どんな環境だったかに関しては覚えていないという事を語った。20代から30代の間の話しもところどころ不明というかあえて忘れたいのか記憶に蓋をしてるようだ落ち着きはない
 何故現在ここにきているのかに関しての認識はなく、誰かの指金ではないかと疑心の気持ちがあるようだ
自分の行為言動に関しての記憶も薄く、またさっき話した聞いたことも忘れてしまっているのだという

 年齢的に認知症という事でもあるがそれもアルツハイマー型という診断をいただいて、薬を処方していただいた。

 が、おそらくその見立ては間違い、肉体の病ではない。
心の問題を肉体である脳の問題であると観る精神科医ではおそらくわからないだろうなという結論に達したのである。
 ただ。ここまでの生活の経緯を知るという事でどの時点で心にひずみを持ったかが判明するのだと思うのである。

 嫉妬心、優越感、優越感の裏返しにある劣等感、その劣等感は被害者意識につながり 結果として自己嫌悪、自らを裁く心を持ってしまう
しかしながら、最終的には自分をかばい、守ろうとする意識が働き劣等感転じて人をさげすむという心が出てくるのです。
 その心根はいつ頃芽生え、どのような形で発展していったかそのことを知るためにドクターは生い立ちから現在に至るまでの出来事について細かくインタビューしたのだと思うのである。

 

posted by 筆文字や隆庵 at 22:28| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年11月08日

考える者が考えない者を支配する

 物事を、深く考えるという人が少なくなってきているとつくづく思う今日この頃。人の生きる道についてよくよく考えていく癖をつけていないと、とんでもない未来社会をつくっていくのではないかと改めて思うのである。

 物事を考えない人、つまり考えの浅い人は精神力が弱いと思うのである。
精神力とはエネルギーを受け入れる器であり理解し判断する力のこと、精神力。

心は、ものを思ったり、考えたりするところである。器の小さい人は自分を解ってもらおうとして、相手を理解するところまで及ばないように思う。
 ものを深く考えない人は薄っぺらい情報に触れることで簡単に洗脳されてしまう
これは、その人の学歴や地位に関係ない

 少なからずの人は考えて戦略を立てる人によってコントロールされていることに気づかず、流されてしまい結果として「ふわふわした民意」という名の当事者になってしまっている。

 ならば、簡単に思想コントロールされ情報の正否を知ることのない愚民となるのであろう。

 何気なく聞いている情報番組によって知らず知らずにコントロールされているという事に危機感を持って、自らのリテラシーを確立させなければならない

 何故今統一教会なのか、騒ぎのきっかけが安倍元総理の暗殺事件から派生しているという事を知らなければならない

 良ーく考えましょう・・・マスコミ報道の矛盾に気づこう・・・宗教法人の問題を深く考えていない人々に流されている情報がいかに変なのかを論理的に考えよう

 
posted by 筆文字や隆庵 at 20:15| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年10月26日

問題解決の連続と祈りの効用

 生きていくという事は問題解決の連続だという事を認識しなくてはならない
様々な出来事を迎えたときにどういう風に自らの智慧と力でその問題を解決していく、その中に自分の成長の糧が存在しているのである。
 問題のない人はいない

 どんなに行き詰ったと見える問題でも、心を調和させ祈り問題解決の行動を起こそうと決意したとき必ず その問題を解決する道は心の中から湧き上がってくるものであり解決できない問題はないのである。
 ただ、その問題の解決がいつできるかはその人の過去の在り方などによって早い遅いがあるのは天地自然の理である。

その人にとってもまた周りの人にとっても最も魂の向上、心の向上に適当な時になされるのである。

 調和に向かっての祈りと我利我欲の祈りの違いがそこにあり、魂の向上というのがポイントである。

 さて、現代において「祈りの効用」「願望実現の祈り」などといった思想を流布している宗教団体が数多く存在しているところを見ると人というものはどうも他力を求め、自助努力なしにタナボタ式に願望が叶うと思っているのではないかと考える次第だ。というより深く考えない、手っ取り早く信仰して「願望実現」できればいいとしていないか、信仰宗教というのは大半がそれを売り物にしている。

 昨今世間をにぎわしている「統一教会」なるものを見てみよう。この宗教の名前が一躍有名になったのは昭和45年韓国のソウルで開かれた
700組にわたる「集団結婚式」である。
 基本的には仏教・キリスト教の真理は一つだといっているのはよいとしても、アダムとイブの原罪を人類は背負っている、その原罪をなくさないと救われないが、そのためには教祖 文鮮明 の血分の儀式に参加することであるという。その血分の儀式こそが文鮮明の命ずる人間と結婚することだというのである。
 
 もう一つの顔として勝共連合という政治活動を行う組織でもあるがいまこのことが問題になっているのであるが信者数からみて政治を動かせるほどの力など創価学会の足元にも及ばないのであるが、何故そのことを報道しないのが不思議である。

 いずれにしても人類を幸福にするはずの宗教団体としての「統一教会」は真理から離れている。まあどの宗教団体もにたようなもんだけど・・・
posted by 筆文字や隆庵 at 10:29| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年10月12日

宗教の話をしよう

 前提として次のことを考えよう。まず第一に宗教と宗教団体は違うという事を知っておかなければならない。似て非なるものと私の解釈
次に信仰とは何かという定義づけを一定にする必要があるという事 さらに「神」と称されているものの各人の考え方についての理解

 これらを認識したうえでで話を進めていかなければならないのである。

 永い人類の歴史を経て現在世界に認識されている宗教は大きく分けてモーゼの説いた「ユダヤ教」ゴーダマの教えである「仏教」イエスによる「キリスト教」さらにアラーの代弁者 マホメットの「イスラム教」などが有名であって、その流れを汲んだ数知れない宗派なるものに分類されていき、今や本来のモーゼ、仏陀、イエスの教えがまともに伝わっているとは思えないのである。それぞれは、ユダヤの経典としての旧約聖書イエスの生涯に関しての弟子たちの記述による新約聖書、ゴーダマ仏陀の教えを弟子たちが記した仏典、イスラム教ではモハメットの弟子たちによる記録コーランなどなど

 いずれもそれぞれの国の言葉であり過去3000年2000年の時を経て、今私たちが見ているものは幾千幾万の手を通して得ている知識や情報であるという事を前提に考えなければならないという事。

 今宗教という団体も何らかの情報、言い伝え、古文書などをもとに教義を組み立てているものでありそこには、当然のことながら団体の創始者の恣意によって解釈されていることがあるのだ。
 文化大革命という名のもとにもはや現実では存在しないような孔子の教えもまた、同様に解釈した人の手によるものであるという事を知ろう。

 このように多くの教えは人によって時代によって書き換えてあるのだという事である。
だからといって、嘘ばかりではなく真実もたくさん残されているのも事実である。私は聖書や仏典(日本語に訳されているもの)中国古典より抜粋したもののなかでほぼ同じことを述べている個所に関しては真理であると思うのである。例えば聖書にあるイエスの言葉「蒔いた種が生える、瓜の種を蒔けば瓜の実がなり、麦の種を蒔けば麦が生える」という事をゴーダマ仏陀は「因縁・つまり原因があって結果がある。良いことを思い良いことをなしたら良い結果が生じ、反対に悪い事を思い行ってると悪い結果が生じる。」ということを説かれている。
モハメットは「目には目を」といっている。 いずれも同じことである。

 さて、問題は現代社会に於いての宗教団体乱立の現状をどう見るかである。普遍的で真実のおしえであり宗教が本当に人々の救いになっているのならこんなにたくさんの宗派が存在しているという事に疑問を持たないのか不思議である。
古典的な寺や神社で形式的な教えではなくもっと実践的で日常的なご利益にあやかろうとした人々の心の動きが新興宗教というものにひかれていったのかと思うし、見えない世界という神の世界にあこがれる人が出てくるのも無理もないことだろう。そこに詐欺まがいの事件が多々起きているのも宗教の何たるかを知らないのみならず、深く物事を考える人の少なさが生んだ現象なのだろうと思う。

 人生は一寸先が闇とばかりの様相を呈しており誰しもが望む安定した未来、その未来への橋渡しをしてくれるであろうと信じるのが宗教であり 教えなのである。

 私が学んだ新興宗教各団体の成り立ち、創始者、歴史、教えの内容とうに関して簡単に説明されている書物より抜海して紹介していきたい。

次回・・・統一教会を考える編

 






posted by 筆文字や隆庵 at 18:01| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年09月27日

日々生きるという事

 淡々として日常を送り、大小問わず喜怒哀楽といった心の動きに、ある時は喜怒哀楽それぞれに対して激しかったり、緩やかだったりしているわけであり、いつもこれでいいのだろうかという漠然としたとりとめもない日々を送ってしまっている。

 多くの人はそんなもんだろと無意識に日々を生きている。

それでいいのかといった疑問はないのだろうか・・・・自身に価値観、自分の存在とは一体どんな意味があるのかという事を考えもしない 己の肉体の栄枯盛衰の流れにさしたる意味を考えることのなき人生とは、やみくもに生老病死という時系列に沿った避けることのできない事態に対してすら真剣に考えることを拒否しているとしか思えない。

 はっきり言ってどんな人も死を避けることができないのである。

 「突然の悲しみに際して私たちは遺族の皆様の心を大切に、厳かな葬儀を執り行ってまいります」といった宣伝文句が気になってきた。

 はっきり言ってこのキャッチコピーって何なんだろうか

 葬儀の意味は死者になく生きている人にあるのだろうか、と真剣に考えた人がどれほどいるのだろうか



posted by 筆文字や隆庵 at 18:20| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年09月24日

国家にも働く因果律

 結果をつくる原因というのは何も個人だけの法則ではなく、家庭にも学校にもあらゆる組織、会社、組合、地域社会、国家に至るまで適用されるものだという。当然である
 原因があって結果があるという事は歴史の学習によって明らかにされていることを理解するのである。
 
栄枯盛衰は「驕る平家は久しからず」といった言葉によって伝えられてはいるものの、本来の「人々の調和」を目的とした政治だったならば衰退するものではなかったのである。そこに、自分たちだけが良ければいいのだという驕った心理が働き、平家であらずは人にあらずなどという言葉が残っていることで、滅びの法則が理解できるのである。

 そののちも同様、源氏の在り方もまた自己中心主義によって滅びを迎える
このように、自他の区別、差別が自己中心的思想を持つ者の宿命として、栄枯盛衰を体験してしまうのである。

 さらに、一つの結果は新しい原因をつくる糧となり先人の過ちを理解し、新時代をつくろうとするリーダーが生まれ、改革という名のもと様々な行為を進めていく、多くの仲間たちの賛同を得て程度はともかく成功していくのであるが、再び自らを驕り自己中心的になっていくのだ、人の持つ「業」の深さを思い知っていくというのが人類の歴史があらわしている事なのである。

 何度間違えればいいのであろうか。
21世紀の現代・・・同じことを国家がやってる

 企業がやってる、学校がやってる、家庭がやってる

 自分たちだけが良ければいいと・・・その結果はいずれ自らが悔いる事態を招くのだ

 ブーメランともいう


 
posted by 筆文字や隆庵 at 20:54| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年09月23日

常識なき人々は人間としてもおかしい

 物事に対して、様々な意見があるのは承知している。承知しているという事は常識的意見であるという事だということ
連日連夜、テレビや新聞果てはインターネット上においても統一教会と自民党政治家の癒着ぶりを報道、さも教会による陰謀論までもが吹聴されている。
 このことの発端が安倍元総理を暗殺した山上なるものの犯行理由に統一教会への恨みから犯行に及んだとの証言から、一気に報道のスタンスが変わったのである。重要な問題を統一教会問題へすり替えられたのである。

 一番大事なことはこの殺人事件が、国民意見を集約すべき選挙という日本の民主主義の根幹である時期に、なおかつ白昼に起きた「暗殺事件」であることから、通常これは「テロ事件」というべきである。
 とういうことはまず事件の真相こそ追求すべき事柄であり、再発防止策も含めたうえでの捜査活動を報道すべきであろうと考える。このことによって「テロ防止」のための抑止力ともなるのである。

 それなのにその後の報道に至っては、山上に対しての同情を掘り起こさんばかりの統一教会たたき、そして統一教会に関連している政治家のつるし上げ、その結果こんな反社会的な宗教団体の支援を受けていたとされる安倍元総理の国葬あいならんとばかりの中傷報道。まったくもって的外れな話である。

 統一教会がどれほどの信者を有しているか一説によると8万人、5万人というではないか、それだけの信者数が何故日本を動かすようなことが果たして可能なのか、考えてみればわかること。ましてや「宗教法人」という法的な組織であることを鑑みた場合の信教の自由への束縛になるのだ。「オウム真理教」とは違うのだ。
 確かに「霊感商法」といった事件まがいもあり「合同結婚式」など社会問題はあった。しかしあれから何年もたっていて、安倍政権時代に「霊感商法」救済措置としてそれまでこれらの宗教的な金銭のやりとりにはなかった「クーリングオフ制度」を導入しているのである。
また、これらの商法というものは宗教団体に於いては日常的にある話でありなにも「統一教会」だけの問題ではなく、広く解釈すれば「マルチ商法」もにたようなものであろう。

 宗教では教祖や、教本を信じ神を信じこうすれば幸福になるのだといった信仰をしていてマルチではお金を信じ金儲けで幸福になるのだという事を信じているという違いだけなのだ。
 常識に関しては常日頃の生活の中でこうすればこうなるのだといった因果関係を学ぶと同時に、過去から連なる習わしなどにて身に着けるものであり、結果として周りと最低限の調和が保たれるのだと思う。

 一方人間としての生き方もその常識を踏まえたうえでの立ち振る舞いが必然的に人間社会のルールとして存在しているのである。
 安倍晋三という稀代の政治家の死に対しての各人のふるまいかたにこれだけ差があるとは・・・少なくとも反論できない死者に対しての野党の議員や報道にいかんともしがたい感情が芽生えてしまう昨今である。

posted by 筆文字や隆庵 at 15:26| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年09月22日

大学之道・・・中国、夏・殷・周の時代

 「大学之道、在✓明✓明徳在✓新(親)民在✓止於至善」

 大学の道は明徳を明らかにするに在り、民を新たにするに在り、至善に止まるに在り

・・・三つの綱領としてまず  (朱子解釈)
一、「明明徳」 人が天から受けて生まれもった輝かしい徳(明徳)に覆いかぶさってる濁りを取り除き本来のように徳を輝かせること

二、「新民」  古くからの持ち続けている悪の状態にたたずんでいる民衆を教え導くことて革新させることにあり

三、「至止善」 そして究極の善に至りそこに止まることにある

 3000年も前からこういう教えがあったという事に驚かなければならない
 
 これらの教えは君子・・リーダーたるものの必修課題であった・・・

 明徳とは・・・中国古典「大学」より

 明徳とはすべての人が生まれながらに天から授かった天の道理と同じ輝かしい徳である。  
 ただ、人は肉体を中心にした五官によって生じる数々の過ち、生まれ育った環境や思想、習慣によって濁ってしまった気質がこの明徳を覆い
 その輝きを失っている。
 しかし、本来は明徳という澄み切った善は誰しもが有していて、要はその覆っているものを取り除くことをすれば、本来の輝かしい存在になるのである。「明明徳」、と本来の徳を明らかにするために必要な修行を、自己修養「修己」である。

 次に目標とすべきことが「民を新たにする(親民)」ことである。「明徳を明らかにして自らを修養すればと、それで終わりではなく社会のリーダーとして自らが明らかにした明徳を他者に(民に)おしひろげ、彼らに押し広げ、自己修養自己革新を遂げさせる それが「民を新たにする」の意味。己
 これは修己に対していえば人々を治める「知人」の行為である
 
これが「明明徳」「新民」「至止善」というのが「朱子」の分類による三綱領なのである。

  ※ 参考・・中国古典 「大学・中庸」より抜粋

・・・人の世においてリーダーの在り方こそが社会を円滑にするために必要な事柄・・

posted by 筆文字や隆庵 at 20:42| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年09月18日

日本が活躍することが不満な人々

 日本人以外の人が日本を悪く言うのならかろうじて理解できるのであるが、日本人が日本を貶めるような発言をしたり、行為したりしているのがなぜかを理解するのはかなり難しい。
 深層心理なるものの存在を考えたとき、どこかこの方たちの精神状態のおかしさを感じざるを得ない。
輝ける存在として世界にアピールしこれから100年後の世界平和を導くのは世界中を見ても、日本が最もふさわしいと思っているのに
なぜかそんな気概もなく、ただただ自分と自分の周りのわずかなことが良ければいいのだという情けない政治家、官僚、教育者、思想家、財界人などが大手を振って闊歩しているという、そんな現実を見るにつけ心が疲れてしまう。

 人が生きていくといっても長くて100年その時間なんて宇宙の藻屑のような線香花火のように一瞬の出来事、人生模様にしか過ぎないのに偉そうに闊歩していても空しいものなのだ。
 数多くの災害を乗り越えてきた日本人の底力、助け合いの精神、礼儀正しい性格、優しく愛にあふれた日本人ならではの情緒性などは西洋人とは全く異質のものであり、かつ世界史における偉人たちの言葉を真剣に考え行動していこうとするのは日本人ならではの誠実性のあらわれであるのに、そのことを忘れ去れとばかりの「日本陥れ計画」のごとき風潮は、完全に心の侵略を受けてきた結果であろう。
 その原因の一つには極端な物質至上主義の蔓延とそれに伴っておきる競争主義。自分さえよければ他はどうなってもよいといった自己中心主義
物事の現象一切は何一つ単独で存在しているものはないのであって、独り占めという思考はそもそも論理が破綻しているのである・・・といってもならば共産主義がいいかといっても現実は一握りの人による独裁になっているという事は多くの人がしるところにあるではないか。
 
 いずれにしても栄耀栄華を極めてもそれを実感する間もわずかなものであって永遠に存続するものではないのである。
永遠の生命の営みの中に現在、地球という物質の世界に住しているに過ぎないのが私たちののがれることのできない宿命であり、真の魂の存在を客観的に認識するためにこの三次元という波動の荒い世界で学習しているというのが各人の姿なのであり、その学習体験を通して人格を磨くというのが我々に与えられた偉大なる使命なのであるという事を知ったならば、いかに世界の平和、調和を実現するかの努力が必要であるということなのである。

 しかしながら、一人の人間が世界平和という大それたことは無理な話だし、国家の平和貢献も土台無理だといえるのではないか、と諦めることが多いのではないか・・・といった声に対し中国の古典により開設されている文言があるという事を知ろう。修身・斉家・治国・平天下
 という言葉がある、平天下・・・世界は平和でないといけないがそれは各国がそれぞれ国を治めなければならない、国は各家庭が整っていなければならないし家族の調和はそのこうせいいんである各個人が身を修むることなのである。・・・・という事なのだが。当然現在の中国ではない。この言葉すら残っているかどうか・・・かように物事の連鎖、循環の在り方は3000年の昔から言われていることに注視したい。
 時代と所を変え「モーゼ」の十戒にある言葉は

主が唯一の神であること  ・・・・・・中国古典では「天」という概念である。天網恢恢疎にして漏らさず、「イエス」の言葉は「天の父は汝らの髪の毛一本だにご存じである。と述べられておる。

偶像を作ってはならないこと(偶像崇拝の禁止)・・・・拝む対象物などいらないという事・・現在の日本の宗教法人設立条件には拝む対象物がなければならないそうだ

神の名をみだりに唱えてはならないこと・・・・あくまでも人生は自力の行為が必要であり、自力の極致に天の応援があるという事ここでいう神のみなとは偶像崇拝と同義

安息日を守ること・・・・ある一定の期間に自らが思ったこと行ったことが「自分本位」に流されていなかったかどうかわ反省する時間を設けよという事である。ここから下は現実の生活の中で心がけておかなければならないことだが、古代ローマのモーゼの時代も今も変わっていない徳目なのだ、まあ人間も成長していないものだなあ・・・と思わずにいられない


父母を敬うこと・・・・・敬われないような事件を起こしていることばかり強調して報道しているものだから、人の心はマヒしてしまい日常の中に溶け込んでしまう
殺人をしてはいけないこと(汝、殺す勿れ)・・・安倍元総理を白昼暗殺の犯人をなぜか賛美しているような論調をつくり安倍が撃たれて当然だという印象操作を行っている。統一教会の問題をクローズアップしますますおかしくなってきている。信仰の自由という法律を知らないかの如く、情報操作のやり方は「モリカケ」騒動と同じロジック・・・うその連鎖
姦淫をしてはいけないこと・・・・不倫ドラマ日常観の演出・あたかも純愛のような表現でどれだけの過ちを遠隔的に起こさせて斉家、修身の障害を創っていったか
盗んではいけないこと(汝、盗む勿れ)・・・国家犯罪を犯していることもあり、ある国に対しての忖度働かしている国際報道
隣人について偽証してはいけないこと・・・国家も企業も嘘ばかりであるのに、そこには触れないといった「報道しない自由」の行使
隣人の家や財産をむさぼってはいけないこと・・・勝つために手段を選ぶなともいうべき詐欺まがいの証券期間、株など

 これらの戒めを破りましょうといわんばかりのマスコミ報道は、顛倒妄想ともいうべき仕業であろう

 こうして日本はだんだんと汚染され未来に残すべき「美しい日本」を失いつつある。

 手始めは修身教育の復活による正しい生き方の道筋を伝えていくことだろう、おそらくは100年ほどかかるものと思われるがそのことを思うに今の政治家に頼めるのだろうか、近視眼的な政策もさることながら、そもそも人の存在を無視しての発展などありえない。
 憂いの心を持ちながらの発信をともかくも続けていきたい



posted by 筆文字や隆庵 at 13:16| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年09月17日

嘘つきマスコミにいいたい

淡々とした日々を何事もなく送っている、そう思っていてもその時間経緯の中で、不機嫌になったり喜んだり悲しかったりといった感情の起伏を生じさせている。
 そしてそれら感情の起伏が淡々とした日々の暮らしに影響を及ぼしているのだという事を知らなければならない。
感情の起伏は個人が作っていく部分がある。とは言いながらその元は何かと考えを深くする人は少ない。
物事を深く考えていけばいくほど、昨今のマスコミ情報の偏りに辟易する。
毎日「統一教会」問題を取り上げつつ今の政府批判、ひいては安倍元首相の「国葬批判」につなげていく手法は本来もっと大切な議論「憲法改正」に至る道筋を妨害しているとしか思えないような作戦という気もするのだ。

 ワイドショーによる下劣な報道、一部野党の面々の下品な言動、それらに右往左往している政府の重鎮たち おいおい日本は大丈夫かい?
こんなことも常識的な教養を持っていればおかしいと思うはずなのに、それを許しているかのような国民の数々。
さあ考えてもみてください統一教会が国家の運営にどれくらい影響を及ぼすことができるのだろうか、信者数から見てもわかるであろうに・・
 そんな教団と癒着していたとしても日本の人口から見て些細な事むしろ公明党の支持母体のでかさこそ問題視すべきじゃないか、
マスコミによる「報道しない自由」によってテレビや新聞しか情報ソースを持っていない人たちには正しさの基準を強要しているようにしか思えず、なんだか朝から不愉快になっている自分の心を立て直す必要があると強く思う今日この頃である。

 憂鬱な報道に対して腹がたっててしばらくブログの更新ができずであった



posted by 筆文字や隆庵 at 09:09| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年08月29日

人間釈迦より抜粋

 人間のカルマとは業(慣性の法則)

物に執着する想念と行為による悪循環をいう。
このカルマが転生の過程に於いて修正されなければならないのだが、
しかし、根本的に是正されない限り、カルマは輪廻するので個人的、社会的混乱の過紋はなかなか消え去らないという事になる。

もともとカルマというものは縁に触れ現れることによってはじめて人はそれに気づき現れることがなければ理解もできないし
修正も不可能となる。

その現われの形が大きく発展すると末法となり、社会が混乱することになるのである。さらにカルマをカルマとして認めず、見過ごしてしまうと新たなカルマをつくって混乱にいっそうの輪をかけることも起きてくる。

   ・・・・私たちが日々遭遇する出来事は突発的になんの脈絡もなく起きるのではなく、そこには必ず原因というものが存在していて
       偶然に起きたという事はないのである。
       ある出来事に際して、何故、どうしてといった原因追及の習慣を持つという事がカルマの解消という課題に対して重要な
       思考なのである。
       何度も起きる事柄に対しては特に要注意であることを知ろう。
デジカメ 012.jpg
posted by 筆文字や隆庵 at 09:21| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年08月21日

絵の稽古をする

2022-07-13 13.22.53-1.jpg

 今iPadに凝っていてAdobeのフレスコというソフト・・・お絵かきソフトでかいてみた。
中々の高性能であります。


posted by 筆文字や隆庵 at 09:28| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年08月18日

統一教会問題?

 何を一体騒いでいるのか、君たち頭が悪すぎる。と言いたいぐらいのお粗末な報道
ちゃんと勉強しているはずの弁護士さんの意見の法律無視の言動と政治家との・・特に自民党議員との関連についての追求ぶり
今、何をしようとしているのかと考えると、安倍元総理暗殺と統一教会の関係を、大きく膨らませ
あることないことで保守の動きを止めるような情報操作、情報誘導の作戦だという事を知らなければならないのではないかと強く思う。

 今日5発のミサイルが近海に中国より落とされている
問題は山積

自民党よしっかりしてくれ、安倍さんの対策をつないでいってくれい
posted by 筆文字や隆庵 at 17:54| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年08月15日

常識というもの

 安部元総理の暗殺という前代未聞の事件が起きた。
世界の中で最も平和を創造できるであろう偉大なる政治家を失ったのである。
このことを理解している世界の常識的な首脳たちは 皆嘆き哀悼の意を表明している。

 日本の警備体制の不備、ノー天気なお花畑志向 反安部の執拗でみっともなくて下品で野卑な報道は我が国のマスコミの死を意味している。
たとえ安倍嫌いだとしても昨今の報道姿勢。これはない
 
 選挙運動の演説のさなか無謀な暴力によって命を落とした元総理に対しての報道姿勢に終始している姿。
暴力こそは民主主義の最大の敵、このことをいつも言っている「マスコミ」がこの体たらく、安倍たたきなら何でもいいのだという性格のいびつさ、日本では亡くなられた方に対する最低限の品位があるはず。
 またこのマスコミを無防備に信じてしまっている少なからずの大衆の存在。物事を深く考えることを忘れ去っている国民の知的水準の低下と非常識さに恐怖すら覚えるのである。

 奈良県警は事件の経緯に対して検証しているのであろうか、
 統一教会と叫んでいるマスコミはいったい何を知っているのか
 問題をすり替えようとする何者かの存在があるのではないか
 
安倍さん一派を抹殺しようとしている気がしてならない

 テレビでは毎日のように「統一教会」ネタで騒いでいるが、これは今に始まったことではない。何十年も前から問題視されていたではないか
政治と教会の関係をいうのであれば、公明党の存在に触れなければならないと思うし、よしんば選挙活動に票がいるとしても統一教会信者の数はせいぜい5万人ほどの規模、そのことによって大衆に影響与えれるほどの存在であろうか。
 非常識である。

 ともかく今必要な行動は、事件そのものの徹底検証が先だろうに一体何をしているのか。
法治国家として恥ずかしいとは思わないのか・・・・・・
posted by 筆文字や隆庵 at 08:44| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年08月14日

神の命を生きる

 表面に出ている各人の意識はそれぞれの人の独自のものだと思われているのですが、心の奥の奥の潜在意識の世界ではつながっていて
自他の区別なく神の命の共同体であります。

 だから他人を恨んだり、妬んだり、貶めたりしている思いや行為はすべて同根である自分に帰ってくるという事を知らなければならないのです。

 という事は人の悪口を語るという事は自分の悪口を言っているという事になり、人をほめるという行為や人の幸せを祈るという事は同時に自分をほめ、自分の幸せを祈るという事になるのであります。

 これは何も個人のことだけを言っているのではなく、社会を構成しているあらゆる組織体にも言えるのであって小は家庭から会社組織や国家に至るまで同様なのです。

 すなわち自分だけが良ければいいといった考えは、神性を汚すことになって原因結果の法則が働き自分たちにかかってくる事態が起きるのである。

 朝日新聞他左翼系の報道機関の衰退などに法則が働いているようです
 彼らに正確な情報を流すことを望む次第ではあります。

2021-08-18 15.37.36-2.jpg
posted by 筆文字や隆庵 at 19:59| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年08月09日

国民の教養不足

 国民の教養不足が政治家の堕落をよぶ、日本の政治は国民の意識が作っているといっても過言ではない。
快楽と遊興は国家を滅ぼすといわれている
 
 かつての古代ローマしかり、聖書にあるソドムの話ししかり、国民が福祉を叫び、そのことに迎合するポピュリズム政治家の出現が
増えていくとしたら、まさしく国家の危機

 さて、国民の意識は誰が作っているのか。それが敵ともいうべき「偽物情報」の垂れ流しをしているマスコミという名の存在、特にテレビによって流される汚物。

目に余る安倍氏貶めの数々の報道は、これが日本人のなせることかといぶかってしまう。国民の眼を混乱させている「統一教会問題」なんて何も今更始まったことではない、

 その教会の成り立ちと政治とのかかわりを知ってか知らずか、正しい背景を報道するマスコミはない・・・
問題はこれらのプロパガンダを真実と判断している国民が存在しているという事なんだが・・・

 それでも自民党が支持されているという事、安倍さんの人気はその選挙によって証明されているにもかかわらず、死してもいまだに貶めるような意見しか報道しないという・・・あきれ果てた現象ではある。

 我田引水的なものの見方
 同じく考え方
 意図された誤解を振りまくといった
 嘘つき集団

 これがマスコミであり、その事を無条件に受け入れているのが教養不足の国民
 こんな図式になっているため、政治が堕落するのである

教養を学歴と勘違いしている人たち、お金持ちが偉いと思っている人たち、政治家が偉いと思っている人たち、医者が偉いと思っている人たち
 底辺の仕事が存在しているとおもっている人たち、政府批判が正しいエリートだと思っている人たち、自分の出世のことだけを考えている人たち・・・
 逆にそれらがないために自分を卑下し、つまらん人間だと思っている人たち、そのことによって自分に言い訳をしている人たち、どうせ親がこうだから仕方ないと思ってる人たち、目立つために粋がっている人たち、

 同じ類である。

 いずれも自己保存のしわざである。
では、どういう生き方がいいのか

 私のこのブログのアーカイブに人生の在り方について 記させていただいてます知行合一.jpg



posted by 筆文字や隆庵 at 20:26| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

まともな人生の歩み方

 何事もない 淡々としている人生 喜びだけの人生 楽しみだけの人生 何も考えなくても毎日が素敵に過ぎていくといった
そんな人生って

 面白くないと思いませんか

もともと、自らの人生は今生に於いてこんな事を体験し、その問題解決のプロセスを歩むことによって自分の欠点を解消し人としての成長を遂げようと決意し、平和な世界であるところの「あの世」という本来の自分が住していたところから、この世という荒い波動の世界に今あるのだ。という事を知らなければならない、多くの人は知らないまま(自分がこの環境を欲してきたことを知らない) 他者に対しての恨みやねたみなどをもって他と比較する

 そんな自分が本来は正しくないのだという事は、感覚的に自らが知るところであろう。

もともとの先天的なものとして善であるのが私たち人間の姿なのであるが、後天的なものすなわち生まれでた環境、教育、思想、習慣、肉体にまつわる五感に翻弄され、本性を(絶対的善)を忘れてしまい物質が絶対なんだという世間の誤った風潮に流され、自分さえよければいいとばかり他人のことなどお構いない人々がふえているという現状に心を痛めている昨今である。

 こうした世界の中に於いては、自らの心に問い正しい生き方とは一体何なんだろうかと、哲学を学ぶべき時だろうと思うのである
 間違った思考や風習 情報に振り回されない自分を確立することが最も大切な課題であろうと考えるのである。

知行合一.jpg



posted by 筆文字や隆庵 at 10:38| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする