2025年01月14日

絶対善と相対善に関しての考察

 物事の是非を問われるとき、人それぞれのたくさんの正義、正しいと信じていることがあって、変な話正しいと正しいがぶつかり合って対抗してしまうのはなぜか?
私たちの暮らしや人生は様々な立場の違いによってその主張が異なる。
 立場の違い役割の違いで物事の是非はそれぞれであろう,

今、ひと月前に起きた中学生殺傷事件の顛末に関して報道している。
 内容は、犯人が「殺すつもりはなかった」という証言からか。精神状況、自分の管理環境について精神鑑定をするという。

 馬鹿ですか?

 人を刺し殺すっていう神経はもともと精神異常なのです。わざわざ専門家の(何が専門家かどうか怪しいのですか)意見を聞くという
 論外である、精神異常に決まっています。

 事実に照らし合わせそこに是非などないのですよ。殺したという事実があるだけで情状酌量などこの場合は在りません。
 殺したら罪をかぶる

 多くの殺人事件に対していつも起きるこの手の論議に辟易しています。

 イスラム教の経典には何と書いてあるのか、キリストは何と言っているのか、モーゼのといたユダヤ教は何と説いているのか
 お釈迦様はなんと言っているのか

 原因と結果の法則を言っています

 罪は罪として、自らの行為は自らに帰ってこなければならないというのが因果・因縁であって数学的な正確さをもってその人に結果として体験させられるという事になっています。
 仮にこの世で死んでもあの世で償わなければならないという事です。

 何故なら我々の人生はこの世とあの世と行き来しながら永遠に生き続けなければならないのです。

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2025年01月07日

2025年年頭の所感

新年を迎え今年一年のなすべきことを思う。
海図なしに航海に出る船がないように目標設定図のない人生航路も自らを危うくするものである。
という考え方から、私の本年の戦略並びに戦術を取り決めするものである。

 とはいうものの基本理念、人生の方針に関しては例年と変わるものではない。つまりそれは、人間として絶対善であることを芯に仏陀、イエスの教えをもとに日々の生活をするといったことであります。戦略内容はといえば日常の中に自ら為すべきことを列記したものと心得ています。
戦略内容とその目的・・・1.家族との絆を大事にする事。感謝と報恩を軸にした対応をしていく、年老いた父母に対して残り時間がすくなっている事を実感している今日この頃である。
2.観ずる、感ずる、・・・一切の諸現象を大所高所から観ることで第三者の立場を守りつつ心を動かさないようにする。昨今の政治・経済・マスコミ界の無様さに腹を立てていたが極力抑えていきたいものです。正しく見るという仏陀の八正道を心に入れておく。
3.デザインによる仕事の獲得・・・ネット上はもちろんのことリアルな顧客に対して高質な接客を心掛けよう。そのためには文章力言葉の力を学習しなければならない。読書の習慣、俳句、詩、歌集を読むこととする。
4.エンタメに関する目標・・・野球観戦、大相撲観戦、旅行、コンサートなどの観劇にて心の栄養を獲得する。
5.健康に関する目標・・・定期的な診断は福大病院 生活習慣の改善 週一以上の断酒、日々の散歩、ラジオ体操のいずれかを実行、血液の循環を推進
6.心の発見他高橋信次師関連の本を常に読むことで「心の勉強」をする。また正法の情報発信を心掛ける。
どういった方便を使えばいいかに関しての勉強会を開催したい。

 1〜6までの戦略実行というべき「戦術」に関しては日々の目標に落とし込みます。

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2024年12月13日

阿蘇郡高森町にて描いた山々

誰の心の中にもある「故郷への想い」人生の始まりはここで迎えた。

父がいる 母がいる

友がいる そして山川草木がある。僕の心の中に存在している思い出はこの山にある阿蘇

根子岳がいつもそこにあったのです。

山々の四季それぞれに抒情あり。

春に逢った根子岳は季節の変化に伴い山肌を覆っていた木々の色が変わってしまい、これと同じ風景はこの日の天候と相まって二度と見ることのできない景色となる。

これも「一期一会」なのでしょう

この地球上に存在する多くの山々、その山にたった今であっている人がいる。このひと時を味わう事の貴重な瞬間を楽しんでみました

僕の手のひらから離れ土に蒔かれた花の種は、太陽の光と大地の養分と、空から降ってくる水の縁によって今こうして僕の眼を通して心にその生命のたくましさを伝えている。何も語らないが「花」としての矜持を感じることはできます。

盆正月という日本ならではの歳時。というより久々の故郷への帰省。故郷の山に向かい語ることば「おおい、今帰ってきたぞー。元気でがんばったよ 」

懐かしい友との語らい、お国言葉、セピア色の思い出話がとびかい心をふるわせてくれている。そんな思いを絵で語ってみました。

水彩・墨字・万年筆それぞれの筆記具にてある時はモノトーンで影だけで表現してみたり近代アートっぽいイメージ画であったりと勝手気ままに紙の上に表現しています。

背景となっている僕の思いは「下手って面白かろ!!」「人の心に記憶に残るもの」としてなんとなく違和感みたいなものを表現してみたいという事です。↓
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B0CVBP73VG
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posted by 筆文字や隆庵 at 15:58| 福岡 ☁| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年12月04日

職業に貴賎はあるか

若い時には思ってもみなかった人生のだいご味の味わい方に関して、年齢を重ねるたびに深く考えるという事になっている自分を発見した。

ある映画の中のセリフにこんなのがありました。

 ある青年が今の仕事を辞めたいといった相談をするのです。

彼は造船所にあるクレーンになる鉄板に錆止めの塗料を刷毛でぬるという作業場のペンキ職人の見習いでした。日々その作業をモクモクと行うだけの単純な作業の繰り返しに飽きもうやめたいと告白します。それに対して先輩はこう答えます。

○○君、君が辞めたいならばやめればいいがこれだけは言っておく。この社会には数々の仕事がある、職業といってもいいだろう。もともと「職業に貴賎なし」とはいうがわしは貴賎はあると思う。ええか勘違いすなや、職業と人は別やで、人に貴賎はないからな。職業について考えるんや・・・そもそも職業にはその職業なりの「職業のつとめ」というのがある。この職業が人々との暮らしにどんな役割があるのだろうかと考えている姿勢が尊いものであってそれを考えていない考えようとしてもいない、ただ衣食を得るためだけの職業観を卑しい職業といえるんやないやろか、少なくとも今のわしはそう思っとる・・・とその青年に答えたのです。

 青年曰く ペンキやの職業のつとめとは何でしょうか

 先輩曰く そらじぶんでかんがえんといかんやろ、少なくとも今の仕事のつとめとは、この作業の先の先まで考えてみてからでも遅くはないと思うよ

 錆止めが終わった鉄板は組み合わされ巨大な重機になって行きさらにその上から装飾となるブルーの仕上げペンキが吹き付けられます。

 さらに造船所の現場にてクレーンとして立ち上げられます。船を創るための役割をもって、設計通りに船の建造に役立っていき。多くの人や物を運ぶ流通の一部を担うというわけです。

 ひとつの仕事はこれだけ大きな役割を持っているという事に気づかなければならないという事です。

 日々暮らしていってそんな場面を想像すると皆に感謝しなければとしみじみと思う次第です。

 ・・・・この映画では職業とは何かについて考えさせられました・・・

ちなみに映画の題名は失念した
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2024年11月30日

デザインに意識が込められるという事

存在するものすべてに命がある。命があるという事は意識がありその意識はエネルギーとして存在していて、エネルギーというからには波があり粒子があるということであり、それぞれの波にはそれぞれの個性があり無限のエネルギー粒子が独特のリズムというか波の形をもっているという事をよくよく考えたら携帯電話の存在そのものが波長という物理学によって証明されています。波長を合わせるという事で通信できるというか波長を合わせなければ通信できないという事。・・・・なんだかへんてこな話のように思えます、当たり前のように思っていますが実はすべてがエネルギーなのです。

同じことがテレビでもラジオにでもいえるわけでして○○ヘルツというのがその波長の個性を現わしていて、チャンネルを合わせなければ見えないし聞こえないという事になります。

 そこでデザインを考える時もそのデザインがいかなる波長をもっているかによって伝わる範囲が限られてくるのです。その波長を形成しているのは人々の意識のありように大きく左右されます。

特にお店のロゴとかをデザイナーに頼む際にどんなイメージかを伝えると同時に自店の哲学やコンセプトを伝えていただきたいとデザイナーは思っています

よくウェブサイトの中でたくさんのぼんやりしたデザインのマークが並んでいて「お好きなマーク、ロゴのデザインどれでも一万円」などありますが、こんな売られかたをしているデザインを欲しいと思うでしょうか。また無料ですといったイラストなどを欲しがるでしょうか私には考えられません。

 お店や企業・会社のイメージを図表や言葉や店名・社名に使おうとしているその大切な事をないがしろにしている店が繁盛するとは到底思わないからです。問題は自社の商品、飲食店なら料理やサービスがどのようなお客様にどのような使われ方をしていただきたいのか、そのために一目で直観的に理解してもらおうとするための材料としてデザインがあるものという考えから、必ず個別に対応していく必要があります。


どの様な波長をもっているデザインかは今後ますます大切な要素になります。

有機野菜を使ったお店というのを強調しています。

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posted by 筆文字や隆庵 at 10:05| 福岡 ☔| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年11月29日

デザイナー深層心理を学ぶ

人間の意識というのは、表面に出ている意識と潜在意識という意識に分かれているという話は、あらかたの「自己啓発の本」などに書かれていてそれらの活用法なるものについてレクチャーされています。 それらによると表面の意識すなわち「顕在意識」という分野に様々な情報が無差別に入り込んでいるという、又その情報は無意識のうちに潜在している意識いわゆる「潜在意識」にこれまた無差別に取り入れられるという話です。

 本来ならばこれらの情報を取捨選択したうえで認識するといった順序ならばまだしも無差別無判断の領域へ情報が投げ入れられていることに気づいている人は少ないのではないでしょうか。例を挙げればテレビを中心として玉石混合の情報を垂れ流している「マスコミ」最近はそのあり方に恣意がありフェイクニュースありとの評判から「ますごみ」といった呼び名も定着しています。

 さて、問題は通常生活をしている人々に知性が働いているとか理性が物事にブレーキをかけるといった冷静な思考にて情報を取捨選択していければいいのですが、実のところ遮断されることのない情報の渦に知らず知らずに巻き込まれている現代社会では思ってもいないような行動を促されているという事に気づかなければならないでしょう。よくよく調べてみたらわかるはずなのに偽情報を信じ込まされている自分たちに気づくまで大きな過ちを犯していることを知らなければなりません。意識しているうちはまだまだで実のところ何気なくつけているテレビから流れている様々な情報を潜在意識の中に取り入れているのだという事、そしてその情報は意図的にある方向性を持たせるようになっている事、映像と言葉、間を置いた反復によって人々の心の中にしみこんでいきます。

 ここにデザインの仕事の秘訣があるという事も事実です。

ある意図をもって表面意識に自らにとって、其の人にとって気になる情報を与え続けるという仕掛けが広告業界、デザインの世界を媒体にした企業や個人や団体から行われているのが実社会です。

つまり、見る、聞く、匂う、味わう、触れる、ことによって潜在意識にその経験が情報として入り込みます。一方潜在意識の特徴としては、それらの情報を無差別に受け入れるという性質をもっています。さらにそれらの情報を発展させ意識の中で増幅させるといった性質も併せ持っているため、表面意識に対してその実現を働きかけるのです。 

 ですからつい動いてしまったとか、やってしまったとか無意識のうちの行動が現実を創ってしまいます。良いことも悪いことも同じメカニズムが働くのです。

 潜在意識に語りかける方法を駆使して企業の存在感を高め、商品販売につなげるといったコマーシャル役割を知ることも大切です。

 もっとも、これらの事態があらかじめ理解している人々にとってはCM鑑賞リテラシーがあるためそうやすやすとは自分にとって不都合な行動は起こしませんが・・・

 情報の取捨選択はとっても大事ですよね


 記事コンティニュー・・・
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2024年11月06日

季節の表現

物事を表現するのに言葉がありそれは文章として明日に残り、人々の記憶にとどめられるものであります。

清少納言の「枕草子」・・・春はあけぼのから始まる四季の移ろいに関する文章はその当時の情景を見事にあらわしています。

デザイナーである私は、またコピーライターでもありマーケティング研究者でもあります。だから目に入るものや事に対してある程度敏感になっていくわけで、その一環として古文などに親しむことを自らに課しているのです。

 というのは、古文といわれる時代には写真などの画像は存在せずただ文章と絵によってのみ、作者の感情なりを表現するしかなかったのですから、現代人以上に文や絵に対する感性が豊かであったのだと思われるからです。

 むしろ不便だったからこそあのような素晴らしい文章が残っているのだと思うのです。

 人間というのは不思議なことに困難であるからこそ何事にものめりこんでいくのかもしれません。

 デジタルも便利だけど人間本来はアナログの生き物だと思うのです。デザイナーである私は、絵の具、染料、水墨、筆、などアナログに徹して、いかに情景や状況を語るかを日々鍛錬している事であります。どんなことに気を付けているかというと、例えばこんなこと

スーパーの店頭は野菜や果物が一番目立つところにあるという現象から何を見るか・・・

おおきく二つの狙いがあります。一つは季節感の演出という店舗のメッセージを感じてほしいから「あぁ もう秋だねー」などといったお客の感性に訴求する役割と、もう一つは販売力強化して旬のものを劣化する前に販売して不良在庫にしないためです。「旬だから買っておこう」のようなメッセージです。街を歩くという事は感性磨きに役に立ちます。

 人ならでは有している感情と芸術の融合によってセンスアップをはかり、人生を潤いのあるものとしていく。さらに

人が人として生きていくに際し「何が正しくて、何が間違っているか」という事を常に考えておかなければならないと思うわけです。今の時代は「多様化・個性化」という名によってどんなことも自由だということで動いているようですが「多様化」という名のカオスの世界を作り上げていっているのではないかと、デザイナーは考えるのです。

普遍的な哲学なるもの、宗教なるものを研究してみても個々様々な意見が混乱していて基準となるものの所在・・・必ずあると思うのですが・・・

が人の間で論ぜられるときにそれぞれが食い違っていることが多いような気がしてるのです。という我々のデザインの世界では「好感もてるか否か」といったすこぶる個人的な意見が散乱しているんですがね・・いずれにしても正法という道を歩むことで様々な問題の所在が明らかになって行くという事を日々体感、経験しているわけです。


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2024年10月19日

人生を語る

人生というものを事業に見立てて考えてみたいと思います。

事業というからには会社や店を経営するといった観点が必要です。まず何のために人生というものがあるかを考えてみましょう。

 必然的に両親を縁としてこの世界に登場し、小さい時代から育まれやがておおきくなって学校に入っていくわけですが、もともと純粋無垢だった人の心に家庭の思想、習慣ふくめ色々な環境によって、又肉体的な発育などによって五感というもので喜怒哀楽の現象を体験していきます。

 そうした中から所謂経営に似た考えが生じていきます。「何をしたいか」「どうありたいか」

 という経営志向、経営理念とでもいうべき思いが生まれてくるのです。ということから高校を選択し大学を目指します、またある方は十代の若いころから社会に出て人生の指針を決めていくのです。意識的か無意識的かは関係なく何らかの目的を持っているはずです。

 人生経営の基本方針がこのころになるとある程度明確になってきます。

つまり進路が決まってくるという事になります。事業でいえば「創業期」にあたります。当然「成功」「失敗」という事態をへて修正、創意工夫を重ねながら挑戦していくのです。これは例外なくすべての人が体験するわけです。

 思考は行動を生み縁をつくり結果を得るというメカニズム。

「原因結果の法則」どうりに道は進んでいきます。

人生が事業経営という事を考えるならば、どういう領域、例えるとどんな部署がいるのでしょうか。

ゆうまでもなく私たちが社長で司令塔となれば販売部、商品部、経理部、製造部、人事部などの役割があります。自分の人生ですからこのすべてを自らの力で処理していくという事になりますが、それぞれに「協力者」があらわれます。「取引先」「得意先」という事になります。もちろん「家族」も含みます

当然「家族経営」もうまくやらなければならないでしょう。


 と・・・まぁ事業経営としたらこんな考えで人生を送っていければいいかな・・デザイナーは考えます。

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2024年10月18日

感性マーケティングの実践

 感性消費行動をどうデザインするかが私の仕事であるが、ビジュアル化すする以前の問題として心のエネルギーの在り方について再確認しておきましょう。
 どのような行動をデザイン化するのかという以前に下記の点復讐の意味を込めて「人生哲学」の整理をしておかなければならない。
私利私欲の心を捨て多くの関係者のお役に立つという事を理念として掲げ、何事を為すも天理に適うべし、大義名分の存在を確かにすべきなのである。このことを念頭にマーケティングデザインを考えるのである。

 1.お客様の感性に訴えるための知識を得る・・自らの感性を育成する。
 2.人間的なコミュニケーションを行い顧客コミュニティを形成する。そのためには自らの人格を磨き人に好かれなければならない。
 3.感性を軸にした商品ライン、マーチャンダイジングシステムを持つ・・・
 4.感性の意味・訴求・言葉・画像・チラシ・の統一感
 5.レストランにあるメニュー・店頭看板・建物のセンス・制服・サービスマンの立ち振る舞い・笑顔・あいさつ・言葉遣い
 6.商品パッケージデザイン・照明・音楽の種類・SNSのデザイン
 7.五感訴求の徹底した統一感
 8.これらを駆使してお客様の行動を促します。

 事例として現在従来の書店のイメージを変えた「ヴィレッジバンガード」なる存在、蔦屋・スタバ・自転車のコラボレーション
 本屋らしくない業態の登場はお客様の心地よい空間提供によって集客実績を上げているように、単なる「もの」の販売から「場面・シチュエー  ション」の販売へと転換している事例である。

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2024年10月10日

感性消費誘導活動

 マーケティングの在り方は様々な局面で様々なアプローチが行われており、お客様消費心理のどの部分に刺激を与え消費活動に結び付けていくか、つまりどのような動機に応えようとしているかによって「戦略構想図」が変わっていきます。
 大きく分類すれば商品・サービスは日用必需品と非日用品といった性格のものがあります。更にそれぞれの分野においても節約品とぜいたく品といった分類もされるでしょう。
 また一方ではライフスタイルといった各人のこだわりといったものも加味していくと、単純に消費活動という行動をひとくくりにはできないという事がわかるでしょう。
 自ら得た収入をいかに分類するかを想像してみると面白いと思います。車好きの方がいました、その人は住居に対するこだわりは全くなくただメカとしての車に多額の費用をかけてワンルームマンションに住んでいます。
 ブランド好きの彼は、ファッションにかける金額は相当なものであるけど食べ物に関しては無頓着だったり、逆にグルマンで全国の旨いものを追いかけるための時間を仕事に優先する方とか・・極端にいうとオタクライフとでもいうべきでしょうね。
 しかしながらあまりにタイトな市場であり一つ一つ小さいマーケットであるのも否めないです。
 極端に走らずとも世間のトレンドなるものの存在を確認しながら、いかに感性消費を促すかを考えてみたいと思います。

 条件を考えると1.コモデティ商品は安いほどマーケットサイズは大きい。、このジャンルでの価格設定はブランドというものに左右されるので ブランドというものがどれだけ差別化できているかがポイントであるのです。
 2.アンコモデティ商品やサービスは値段の重要性というより好みであるか否かの判断基準がコモデティ商品よりシビアである。
同様なマーケットポジション内での比較になる。

 同じような客単価・一店当たりの購買単価によってそれぞれのポジションがきまる。

 差別化しづらい品目の典型はガソリンスタンドの仕事、立地の差が売り上げの差。
  スタッフの態度が売り上げの差となりましょう。

 感性消費というのは自分にとって心地よいものやことにお金を使うという事になるのかもしれない。とまかくもこの時代を鑑みる時にいくつかの企業によるマーケティング活動のトレンドを追ってみたいと思います。




posted by 筆文字や隆庵 at 10:56| 福岡 ☀| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年09月30日

西郷南洲翁遺訓集より

 自分の生まれ育った地域に対する郷土愛・愛校心・ひいては愛社精神、そして愛国心などというものが最近希薄になっているようなそんな気がいたします。
 ようは守るべき自らの本体、まずは自分の理念をまとめよ・・と西郷さんは言っておられるのです。
 自分とはいったい何者かを真剣に求め本来の自分をみつめ、自分は「神の子仏の子、絶対善なる存在」であることを認めることから始まるのです。そして、自分のビジョンを明らかにし自らに課してみよう。

 「忠・孝・仁愛・教化」 忠と孝とは自分を包み込んで守ってくれる゛大きなもの゛に対する゛愛゛です。
その大きなものとは@国でありA故郷でありB家族であり、あるいは同時代を生きたいる大切な仲間たちの集まりであります。
  さらにその大きなものを支えているのは、他ならぬ自分である。といった責任感であります。

 その責任とは、人類普遍の正義を全うするのが大原則であり そのために「人智の開発」を怠ってはいけないのです。

真の政治家とは、そのリーダーシップの在り方が「天を相手にする」といった観点から当然「私利私欲」というものを捨て去らなければならないのです。そして「天命」であるところの「正義を貫く」という覚悟が必要だという事であります。

 国同士の外交において、世界に対して「私利私欲」があると自分の利のためにおののいていると
「所詮力の前に慌てふためくおののくだけの愚かな国」と侮られるのです。

 と今の政治家いや政治屋という商売をしている方たちに学んでもらいたいものです。



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2024年09月28日

読書感(言葉抜粋)

高橋信次著人間釈迦Vより

 智慧あるものは、まずこの世の業火から急いで逃げ出さなくてはならない。この世は怒りと愚痴に満ち溢れている。
 足ることを知らない欲望が渦巻いているからだ。
 「善なる心」こそそなたたちの主である。

 安らぎの境地、調和は真に自己を愛する者によって得られよう。
 自己の喜びは他にも転化しよう。
 つまり自己を愛する者は他をも愛することが出来るからだ

と、あります。
 このことを肝に銘じ日々の生活に生かしていこうと考えます。

 業火に見舞われてもその火を消し去るだけの自分を創ることが先決なのだ
 その火を消し去るのは他人ではなく自分だという事を知らなければなりません

 「人をアテにしてはいけません」「人のせいにしてはいけません」

 誰でも人生の疑問にぶつかりますそんな時に道しるべとなる書物として私は「人間釈迦」を手元に置いて勉強しています。
 いま私たちが置かれている世界は混とんとしていて何が正しいかどうあるべきか、社会人としてのあるべく形は男性として又は女性として
 の生き方の指針としてこの書物を読んでいます。
 多くの仲間たちもいます。
 真の生き方をともに学ぶ仲間たちです。自分の成長、魂の向上のために自らが自らに投資している仲間たち
 投資する資産とはそれぞれが持っている、時間、やる気、根性、善なる心、人脈、知識、金銭、その他経済的資産などを投入しその結果
 現在の魂の位置、レベルをこしらえているのです。

 より良き人生の構築のため学習していきましょう。
 格好な学習サイト、魂磨きのためのサイトがココ


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2024年09月27日

政治について

 本日実質的に日本の政治リーダーを決める、自民党総裁選か゛行われ結果゛石破氏が総裁となり次期内閣総理大臣になります。
氏の政治観、国家観がどうあれともかくも日本のかじ取りを受け持ってくれる存在となったわけです。
 大局観をもって政治をしていっていただけるものと思います。幸い我が国は独裁国家ではなく、一応民主主義ということであるから心配はしていないのですが
 国家としての誇りをないがしろにすることだけは避けてほしいものです
とはいうものの期待できないかな・・・

 ともかく日本の政治家の質がここまで低下しているかを教えてくれた昨今の政治の動きであります
侵略されないことを祈ります。




posted by 筆文字や隆庵 at 21:11| 福岡 ☀| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年09月26日

問題・原因と結果そして循環

 日々の生活の中で起きてくる問題について考えたいと思う。
 そもそも問題とは何かについてとりあえずの定義を求めていこう、問題とは何かという事である。

 私たちは様々な環境の中でそれぞれの立場というものがある。
 本質的にあるべき形というものをそれぞれの環境の中に見つけながら相応の自分を維持していることが正常だと
 認識しているのではないだろうか。
 問題はその維持を困難なものにしている現象が起きたときに発生するのである。まずはその現象に関して考えてみよう
 問題の分類として次のことがあげられる。

 生活において必要な経済に関する問題。
 これは各人の暮らしに必要な物質を手に入れるための手段である通貨であったり食料であったり衣料であったり住居環境であるわけでこれらが不足しているとしたらそれが所謂経済上の問題という事になる。

 必然的に職業、仕事面と密接な関係性がある。そのため経済の問題は仕事の問題ともいえる。

問題として次に記すのは
 健康上の現象に関する都合である。どんな人も病気などしたくないというのは本来健康であるというのがあたりまえであり病気というのはあってはならないことだと認識しているからである。また病気というものは本人だけの問題でなく仕事にも影響を及ぼすし家庭生活にも影響を及ぼすのであるから、健康維持は人生においても大切な要素であることは言うまでもない。

家庭の問題としては
上記(経済・健康)の他に夫婦の調和を軸に親子の関係、将来の設計を含み様々な事象に対応しなければならないといった問題、主に心の交流を体験しながら安らぎのある家庭環境を構築しなければならない。

 大まかに三つに分類しそれぞれのあるべき形をどのように確認しそれらの維持のためにどう考えどのようにふるまっていくのか・・というのが私たちの目的であり万人にとって共通の使命であると考えるのである。
 それぞれの問題を原因分析するにあたって大事な点を指摘しておこう

何故この問題が起きているのか、それには今どんな現象が起きているのかをリストアップしてみよう。


 自分に関連する人たち、世間の評判、身近な人たちの自分に対するもしくは自分のなしたことに対する言動、表情などを書き出してみよう

それも、あくまでも善意の第三者の立場で冷静に書き出してみよう、あたかも自分と自分の周りの人々の関連をテレビや映画で見るように眺めてみることが重要であり、出来事によっては単なる誤解であったり、うわさや中傷によって思い込まれたりしている場合もあろうかと思うがそれも含めて自分に関係しているのだという事をまず理解していきたい。
多くの場合問題のありかはおおよそ人間関係によって引き起こされているものだからである。

中には不幸にも詐欺まがいの事件にあい貴重な財産を奪われてしまった人がいたという報道があり、気の毒には思うが果たしてその被害は突発的な事象であったのだろうか、だまされた側は100%被害者だったのだろうか。そこに欲望といった自らの心があったのではないか、と反省しなければならないのも事実であろう。だまされる老人たちもいるしだまされない老人もいるわけでその差は何処にあったのかを考えてみるだけでも大いに参考になるものだ。心の在り方に起因しているのが大方である。


ある歴史のある大企業の粉飾決算が明るみに出た、もう十数年前からの状態だそうだ。何故そうなったのかを考え調べると、創業者社長の後数代も所謂サラリーマン社長という図式が定着していて社内の出世コースで勝ち残った高学歴のメンバーによってポスト争いが繰り広げられている会社だそうで、自分の任期の間は黒字決算しなければならぬとばかり小手先の財務諸表改ざんに手を染めた結果だそうだ、当然その場合は仲間の役員がいて共犯者となるわけで、その見返りという事か次の社長有力候補となっていくのである。これらを繰り返しおこなっておれば本来の業務である自社の製品の開発やブラッシュアップに力を注げ、市場に売り出すまで至らないわけで結果ある時に破綻する運命をたどるのである。これも個人の欲望のなせるわざであり、なおかつ試験という暗記力と要領の良いだけの学歴主体の人材による現実対応力、簡単に答えの見いだせない問題解決力のないリーダーを仰いだ結果である。いまそれらの会社に外資が入り込み自らのアイディンティを見失うという状態になっている。
小さなコップの中の嵐のように、学歴による差別学閥による出世競争云々
かつて日本の総理だったМ・K首相は、自分の番記者に対してこういったという「君は東大卒か、ならば何期でゼミの教授はだれか・・・」とそして東大出ではなければつっけんどんだったそうだ。側聞ですがありえる話ですね、その首相が我が国の国益のために何をなし何をなさなかったかを知るならば、学歴の何たるかが多少理解できます。

他と比較している自らがそこにいる以上優越感と劣等感のはざまで心が揺れ動き、どっしりと自らの人生を考えることなしに生きている人こそ哀れな存在であろう。

様々な問題はどういう原因があったかを深く考え、心の修正を図っていくことか゛私たちの人生の目的そのものであることを肝に銘じたい。




※ 苦悩を生み出す原因



 正しい道を踏み外したときに苦悩が表れる。苦悩が表れるということは正しい道を歩んでいませんよという通知なのだ

 苦悩を生み出す原因は他人ではなく自分自身にある。このことに大抵の人が気づかないのは、原因を他人に転嫁したほうが気が楽だと錯覚している。

 だが、苦しんでいるのは自分自身であるのだ。


 人生の道は重き荷物を担いで坂を上るようなものである・・と誰かが言ったそうだがそんなことはない。軽やかにすいすいと人生を歩むというのが本来の姿なのである。それを苦悩に代えているのは常に欲望にまみれているからなのである。地位や名誉、物質、財宝、情欲への執着心こそ捨てなければならないのである。

ここまで読んでいただいて感謝です。

 僕が参考にさせて頂いているサイトがここ ⇒ https://shoho2
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2024年09月24日

花をめでる

季節に応じてそれぞれの花卉は身の程にあった姿でこの世に姿を現し、私たちの心に癒しを与えてくれる。

自然とともに生きている姿は力みもなく、淡々と悠々と身をもってその潔さと清楚さを訴えているようだ。

 そうした草花をめでる心掛けを持ちたいものだ。

そういつも自然は美しいのが本質

 醜いのは自然に逆らっている時の人間の心か・・・

本格的な秋の到来を告げるようにあちこちに彼岸花が咲いている。

様々な森羅万象の働きを感じましょう。デザイナーの感性磨きに自然感賞は欠かせない。
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2024年09月23日

人間の行動について

人間の行動の7〜8割は感情の動きに依存しているといえる。

しかし、感情のみに心をゆだねた人間の末路は哀れで悲しいものとなるでありましょう。

ものに感動する、例えば自然に触れることによって現れる感動する感情というと、怒り悲しみの感情は同一の領域内にあっても、その出所は違うのです。

 心臓がばくばくするような怒りの感情は感情領域の極めて表面的な局所から現われ

感動、感激の感情は同じ感情という領域の中において、もっと深い局所から生じてくるものである。それは智性や理性がつながった領域内から生まれてくる。

 私達の心は表面意識と潜在意識に分かれている。そうして知性、本能、感情、理性、そして意思の五つの機能から成り立っている。さらにこの五つの機能は、潜在意識と表面意識に分かれてはいるが、潜在意識のある部分に至るとこれらの五つの機能は一つに束ねられてしまう。

 人間の行動が感情に左右されることが大きいとしたならば、知性や理性、そして調和を基盤とした本能の深い部分から発せられた調和された感情が望まれよう

 そうした感情は自然の条理にかなうものであり各人が至福に至る近道となるでしよう。

自然の条理だから調和に反する行為はその反作用が訪れるのである。

 この文章は高橋信次著「人間釈迦U」より抜粋いたしました。
人間そのものの在り方についての指針等がこの本によって明らかにされています。
 こういった情報満載されたサイトを紹介します。

 正しい生き方を学ぼうとするならこのサイトをご覧ください。

posted by 筆文字や隆庵 at 10:09| 福岡 ☁| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年09月22日

生き方

普遍的な哲学なるもの、宗教なるものを研究してみても個々様々な意見が混乱していて基準となるものの所在・・・必ずあると思うのですが・・・

が人の間で論ぜられるときにそれぞれが食い違っていることが多いような気がしてるのです。という我々のデザインの世界では「好感もてるか否か」といったすこぶる個人的な意見が散乱しているんですがね・・

 役に立とうと思って仕事をしている事には間違いないんですが、この場合の「多様化・個性化」は良しとしても。基本的な人の生き方は日常の在り方にはいいことかわるいことかといった観点から判断がなされているのか疑問です。

 昔は「おてんとさんが見とるよ」とばあちゃんに言われたもんですが、そっくりそのままの生き方をしていますか?と自問しているのでした。








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2024年09月21日

経営理念を考える

 迷ったら常に原点に返ろうということで、心構えの表現を文字にしておこう・・・とは僕の主張です。


経営理念


私たちは旅館という施設を通じて

「ときめきとなつかしさ」そして「おいしさ」をお客様に提供することを

目的として、次の三つを理念として掲げています


その一、水の章・・・先祖代々より受け継がれてきた湧水とその湧水が生み出している源泉かけ流しの温泉にてお客様に「癒しの時間」を提供いたします。上質の湯あみをお楽しみください。

尚この水は今でも当館の池に湧き出し続けていて熊本県平成の名水百選に登録されています。


その二、大地の章・・山と川の恵みを大切に調理してきた「料亭」を元祖とした料理は自然の旨味を損なう事のない調理法でお客様に「食の楽しみ」を提供いたします。

人吉・球磨地方ならではの食文化をご堪能ください。


その三、人吉球磨の章・・この地方の風土・文化・資源・伝統などを大切にしたいという思いで当旅館を作り上げています。お客様には建築資材である材木、石材にて建造された空間をご案内していきます。球磨川という偉大な存在が育んできた山林、豊かな自然の佇まい,心安らぐひと時をお楽しみください。


しらさぎ荘の三大理念です。
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posted by 筆文字や隆庵 at 08:55| 福岡 ☁| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年09月19日

表現者として

物事を表現するのに言葉がありそれは文章として明日に残り、人々の記憶にとどめられるものであります。

清少納言の「枕草子」・・・春はあけぼのから始まる四季の移ろいに関する文章はその当時の情景を見事にあらわしています。

デザイナーである私は、またコピーライターでもありマーケティング研究者でもあります。だから目に入るものや事に対してある程度敏感になっていくわけで、その一環として古文などに親しむことを自らに課しているのです。

 というのは、古文といわれる時代には写真などの画像は存在せずただ文章と絵によってのみ、作者の感情なりを表現するしかなかったのですから、現代人以上に文や絵に対する感性が豊かであったのだと思われるからです。

 むしろ不便だったからこそあのような素晴らしい文章が残っているのだと思うのです。

 人間というのは不思議なことに困難であるからこそ何事にものめりこんでいくのかもしれません。

 デジタルも便利だけど人間本来はアナログの生き物だと思うのです。

絵の具、染料、水墨、筆、などアナログに徹して、いかに情景や状況を語るかを日々鍛錬しているデザイナーであります。スーパーの店頭は野菜や果物が一番目立つところにあります。

おおきく二つの狙いがあります。一つは季節感の演出という店舗のメッセージを感じてほしいから「あぁ もう秋だねー」などといったお客の感性に訴求する役割と、もう一つは販売力強化して旬のものを劣化する前に販売して不良在庫にしないためです。「旬だから買っておこう」のようなメッセージです。

人が人として生きていくに際し「何が正しくて、何が間違っているか」という事を常に考えておかなければならないと思うわけです。今の時代は「多様化・個性化」という名によってどんなことも自由だということで動いているようですが「多様化」という名のカオスの世界を作り上げていっているのではないかと、デザイナーは考えるのです。
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posted by 筆文字や隆庵 at 15:22| 福岡 ☀| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年09月14日

絵師街を歩くときに考える事

旅館提供型の会席料理は少なくともコース単価で1〜2万円は最低でもかかります、件の居酒屋ではそれを5千円で提供していくわけだから当然無理があります。その無理を解消するために人手を減らす、材料の加工度を減らすといった経営になりお客様にそのしわ寄せがいったのではないかとデザイナーは考えるのである。「

ウィンドーショッピングといったしゃれた言葉にまどわされ、きょう一日は街をを歩く。「百貨店」の慇懃無礼な(のように感じるのは僕だけかな)品揃えを観察しながら、お客様の行動パターンを感じることとする。

 集客しているのは圧倒的に催事のフロア、○○地原産バザールやお取り寄せグルメ大会のようなものを開催している。

 デパ地下の賑わいも同様な顧客ニーズ対応なんでしょうがご婦人方でごった返している。その様子を観察しながら、「マーケティング」に生かそうかと考えている自分がそこにいる。

 心の底から聞こえる「あ〜あ、君は何でも仕事に結びつけるんだねー」といった声である。

 「正直、そのとおりなんだけど悪い?」と答えるのが常である。

 百貨店とショッピングモールの客層という属性は確かに異なっている。

 買上単価の違いがそれを物語っているような、そんな気がする一日でした。

 高級ホテルのディナーのメニューをいかにリーズナブルに提供できるかなんてことも食事しながらついつい考えている・・滑稽さに笑笑

世の中には多くの飲食店があり、それぞれがいかに個性を表現しようかと日々努力を積み重ねているようです。

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posted by 筆文字や隆庵 at 09:24| 福岡 ☀| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする