2023年01月29日

役割、存在意義

 それぞれの人はそれぞれの転生の過程において様々な体験を積み重ねている。
この地上界に生まれる以前は、実在界ともいわれるあの世という世界に住していたのであり、各人が発しているエネルギーという波長の振動数に合致した環境にて同じ波長の人々や自然環境の各人なりのありようの中で、魂の向上のために修行しているのだと、高橋信次師及び師の高弟の一人である園頭師に教わったのである。

 しかし、同様の波長をもっている人々、親しい人達とばかり交流していたら意思疎通が簡単であり、価値観も同様であり そのために日頃の魂の修行には時間がかかるといわれている。そこで、私たちはあの世からこの世へと生まれ、地上界の荒波にもまれるように仕込んできたのだといえる。
 この世の一年の生活から学ぶことはあの世に於いて百年の修行に匹敵すると、高橋信次師は何度も講演の際に述べられていた。

波長の荒い、この地上界において様々な問題を解決していく中で不動心を身に着けることができるか というのが今の自分の役割であり地上界に生まれてきた存在意義なのだ。

 過去犯した数多い失敗を戒めるだけではなく、その失敗の原因はいったいどこにあったのだろうかと追求し、どうあればよかったのかを見出すためにはやはりこの地上界の生活が適しているのである。あの世は意識の世界であるから不調和な思い、自己中心の思いを思った時点で即結果が現れるわけであるから、すぐ反省ができるのである。という事は長い期間苦しむことはないという事であって、そのため現在存在している波長の世界に安住してしまいがちになるのだとおそわりました。
 
 私たちが学ばなければならない課目は多岐にわたり、ある時は専門職としての一生を送りある時は事業家としての役割を持ち、またある時は奴婢のごとき一生をおくり、高度な文明の世界で平凡な一市民としての暮らしをおくり、財産家であったり、ただ黙々と働く一生であったりと主種雑多の体験をしてきているのが私たちの魂の遍歴であろう。 こうした
 こうした体験が何故必要であったか、何故必要であるかと思うであろう、疑問に思うであろう。

 それこそが私たちの役割である、「自己は神性の表現体なり」神意を体現するという使命を永遠に持ち続けているというのが使命であるからに他ならないのである。

 形而上に於いての我々世界の人類が共通に目指すものこそ調和という言葉に値する世界環境を創造することなのである。
そしてそうなるためには少なくとも長い年月が必要であり、これらの調和志向が少ない人たちの中でも構わないので綿々と引き継がれていくことが知っている者たちの使命だと思う次第である。

 こうした教えは世の中が大いに乱れた折に地上に出現された偉大な指導霊の方々が説かれたものであって、いささかも間違いはないのである.
この地球上においては三人の大天使が存在し、創造主であるところの神という存在から一切の権限を託されたものと教わっている
 
 3200年前のモーゼ、2500年前の仏陀、2000年前のイエス この3人が地球上のメシアと呼ばれているのである。

  ※ この話は高橋信次師講演より・・・

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2023年01月28日

問題の発生、原因と修正

 日々の生活の中で起きてくる問題について考えたいと思う。そもそも問題とは何かについてとりあえずの定義を求めていこう、問題とは何かという事である。
 私たちは様々な環境の中でそれぞれの立場というものがある。本質的にあるべき形というものをそれぞれの環境の中に見つけながら相応の自分を維持していることが正常だと認識しているのではないだろうか。

 問題はその維持を困難なものにしている現象が起きたときに発生するのである。まずはその現象に関して考えてみよう、問題の分類として次のことがあげられる。
 生活において必要な経済に関する問題。これは各人の暮らしに必要な物質を手に入れるための手段である通貨であったり食料であったり衣料であったり住居環境であるわけでこれらが不足しているとしたらそれが所謂経済上の問題という事になる。
 必然的に職業、仕事面と密接な関係性がある。そのため経済の問題は仕事の問題ともいえる。
問題として次に記すのは健康上の現象に関する都合である。どんな人も病気などしたくないというのは本来健康で入れるというのがあたりまえであり病気というのはあってはならないことだと認識しているからである。また病気というものは本人だけの問題でなく仕事にも影響を及ぼすし家庭生活にも影響を及ぼすのであるから、健康維持は人生においても大切な要素であることは言うまでもない。
家庭の問題としては上記(経済・健康)の他に夫婦の調和を軸に親子の関係、将来の設計を含み様々な事象に対応しなければならないといった家族の問題、主に心の交流を体験しながら安らぎのある家庭環境を構築しなければならない。

 大まかに三つに分類しそれぞれのあるべき形をどのように確認しそれらの維持のためにどう考えどのようにふるまっていくのか・・というのが私たちの目的であり万人にとって共通の使命であると考えるのである。

 それぞれの問題を原因分析するにあたって大事な点を指摘しておこう
何故この問題が起きているのか、それには今どんな現象が起きているのかをリストアップしてみよう。

 自分に関連する人たち、世間の評判、身近な人たちの自分に対するもしくは自分のなしたことに対する言動、表情などを書き出してみよう
それも、あくまでも善意の第三者の立場で冷静に書き出してみよう、あたかも自分と自分の周りの人々の関連をテレビや映画で見るように眺めてみることが重要であり、出来事によっては単なる誤解であったり、うわさや中傷によって思い込まれたりしている場合もあろうかと思うがそれも含めて自分に関係しているのだという事をまず理解していきたい。
 多くの場合問題のありかはおおよそ人間関係によって引き起こされているものだからである。
 

中には不幸にも詐欺まがいの事件にあい貴重な財産を奪われてしまった人がいたという報道があり、気の毒には思うが果たしてその被害は突発的な事象であったのだろうか、だまされた側は100%被害者だったのだろうか。そこに欲望といった自らの心があったのではないか、と反省しなければならないのも事実であろう。だまされる老人たちもいるしだまされない老人もいるわけでその差は何処にあったのかを考えてみるだけでも大いに参考になるものだ。心の在り方に起因しているのが大方である。

ある歴史のある大企業の粉飾決算が明るみに出た、もう十数年前からの状態だそうだ。何故そうなったのかを考え調べると、創業者社長の後数代も所謂サラリーマン社長という図式が定着していて社内の出世コースで勝ち残った高学歴のメンバーによってポスト争いが繰り広げられている会社だそうで、自分の任期の間は黒字決算しなければならぬとばかり小手先の財務諸表改ざんに手を染めた結果だそうだ、当然その場合は仲間の役員がいて共犯者となるわけで、その見返りという事か次の社長有力候補となっていくのである。これらを繰り返しおこなっておれば本来の業務である自社の製品の開発やブラッシュアップに力を注げ、市場に売り出すまで至らないわけで結果ある時に破綻する運命をたどるのである。これも個人の欲望のなせるわざであり、なおかつ試験という暗記力と要領の良いだけの学歴主体の人材による現実対応力、簡単に答えの見いだせない問題解決力のないリーダーを仰いだ結果である。いまそれらの会社に外資が入り込み自らのアイディンティを見失うという状態になっている。
他と比較している自らがそこにいる以上優越感と劣等感のはざまで心が揺れ動き、どっしりと自らの人生を考えることなしに生きている人こそ哀れな存在であろう。
様々な問題はどういう原因があったかを深く考え、心の修正を図っていくことか゛私たちの人生の目的そのものであることを肝に銘じたい。



※ 苦悩を生み出す原因
 
 正しい道を踏み外したときに苦悩が表れる。苦悩が表れるということは正しい道を歩んでいませんよという通知なのだ
 苦悩を生み出す原因は他人ではなく自分自身にある。このことに大抵の人が気づかないのは、原因を他人に転嫁したほうが気が楽だと錯覚している。
 だが、苦しんでいるのは自分自身であるのだ。

 人生の道は重き荷物を担いで坂を上るようなものである・・と誰かが言ったそうだがそんなことはない。軽やかにすいすいと人生を歩むというのが本来の姿なのである。それを苦悩に代えているのは常に欲望にまみれているからなのである。地位や名誉、物質、財宝、情欲への執着心こそ捨てなければならないのである。



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2023年01月26日

観察・理解・分析

 観察とは現状のあらゆる現象に対して正しく見るという事であり表面的にのみ見ていないか、見ている自分が本気であるか。見ている自分の立ち位置に固執していないか・・自分の都合の良いように見ていないか、第三者の立場で見ていないか、それらのことを基準に観察することが大切であり、誰が言ったからとか、テレビでこう言っていたからという情報では片手落ちの見方 つまり邪見という事になるのです。

 この時点で間違って観察したのである。間違いや嘘を真実と思い込むことがどれだけ次の行動を誤った方向にもっていってしまうのだという事を知らなければならい。
世界は今発信される情報そのものが偏向されているという事をしりつつあり、これが人々の観察という仕事を台無しにしてしまいます。

 自分の日々の行動範囲から得られる現象などは取るに取らない狭いことかもしれないが,その行動の裏付けとなっているきっかけはやはり情報というエッセンスなのです。その裏付けとなる情報を発信している側が何らかの意思を持ち、その情報によって人の行動を左右していくものだといった前提で意図された偏向報道をされたら一体どうなるのか、そろそろ情報の受け手である私たちはその情報の裏に何があるのかを理解するだけの知識を持っていなければならないと思う次第である。

 まずは正しく物事を見ることが大切であり、それには数値を理解する事から始め、情報発信している方たちの過去の言動や報道姿勢、身近に言えば親兄弟、友人、仕事仲間などが今までどういった心構えであってどんな行動をしていたか、言ってることと行ってることに矛盾はないかといった観点で観察していくことが正しい見方をする秘訣であるのです。
 こうした観点から様々な報道機関、政治家、教育者、宗教家を見ていくことで真偽のほどはわかるのです。

特に大事なことは、その時々の各人の情報内容、考え方の変化について必ずその変化の理由というものを発信しなければならないのであってそれがない場合は信なき発信としか思えないのである。
 
理屈が分からない困った人の発言は、その人が無知か何らかの経済の都合か、義理か、いずれかであろう、ならばその上位戦略を観なければならないのですが・・・
 立民党の安住さんの話・・統一教会と自民党の関係を徹底追及すると・・・いう事なのですがその前に自民党と公明党の関係を何故言わぬ

この事例はさっき記した項目のどれに当てはまるか考えてみてください。理屈に合わないという事を分析した。


 
posted by 筆文字や隆庵 at 21:46| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年01月25日

人生の使命と役割

 多くの人たちは、(特に幼いころから勉学に励まされ親の言うとおりにすることが、自らのゆくゆくの満足につながるものと信じさせられた過去を持つ) どうしても物質獲得の多寡が幸福度を高めるのだと思い込み、そのために勉強しテストの成績を競い、よい待遇を得るためにはやはり良い大学に進まなければならないと信じ、そのためには良い高校に合格しなければならぬとばかり試験に通ることを第一義として日々を過ごしてきた体験がその人格形成に大いに影響を及ぼしている。

 そのため自分自身の立身出世のみ考え、競争相手を蹴落として自分の目的を果たそうとする。そして地位・名誉をもって権力の座につこうとする。こうした人間が現代の社会のリーダー格として存在しているのである。
 もともとが自己中心であることを親から、特に母親から教えてもらっているといっても過言ではない。
 そういった環境下からとても公に貢献できる人が排出できるわけがない。

なぜならば自分の存在が自分の欲望を達成すればよいとした思想に基づいているからである。

 どのような環境下であれ人間の真の姿は自己中心的であっては社会そのものが成り立たないという事を知らなければならない
 何故ならどの時代の生活も他者の貢献があってこそであるからであり、大自然もその事を教えてくれている。
 ましてや、私たちは転生輪廻している生命であり神仏の命によって魂の修行をし神仏の体であるこの現象界に、調和のとれた世界を建設
 する使命を誰しもが持っているのである。
 つまり永遠の生命ゆえに、一時の見かけだけの華やかな人生を楽しむのではなく永遠の生命の上に立って人生の道を楽しまなければならない

大自然の循環の方式があるのと同様私たちの肉体もいずれ滅しこの地上界をさり新しい肉体である光子体という乗り物に乗ってあの世というところに帰らなければならないのである。

 一秒一秒、この瞬間の連続で時を刻んでいる。好むと好まざるとにかかわらずである。
だから、私たちは現世において悔いのない生活を送らなければならない。

 
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2023年01月23日

論理的な観察ができなくなった世間という名の無知集団

 劣化を続けるのか政治家諸君。嘘を垂れ流すマスコミ諸君、中身のない薄っぺらな知識しかない学者、芸能人など自称有識者の面々・・・・統一教会を責めているかのごとき会議を続けておりいくつかの行政指導をけんとうしているがこれは別に統一教会だけの問題ではないだろう、一体世の中にどれぐらいの数の新興宗教があるのか知らないんだろうね・・信者二世の問題だってありとあらゆる宗教団体にあるだろって想像つかないんだろうか。
 この問題は今に始まったことではなく桜田淳子さんや新体操の女子選手、仁義なき戦いの作者飯干さんの娘さん、プロ野球監督であった上田さんのご家族、単なる壺の問題以外でも多くの事態を引き起こしていたものと認識している。今回の騒動の発端は安倍元首相の暗殺事件からはじまったように思うのだ。
 マスコミや左派の学者らから連日のように誹謗中傷され、安倍悪人論を展開していたその折に、選挙遊説中にて凶弾に倒れるといった前代未聞の事件勃発に対して多少なりとも、「失敗だった、報道やりすぎだった」と慚愧の思いが湧き上がった その時に犯人が統一教会への恨み云々という話が自供によって出てきたのだ。

 前々からこの教団と政治、特に勝共連合としての反共産主義運動によってマスコミにとってにっくき岸元総理とのつながり、そして安倍さんとのつながりなどの件によってふたたび安倍批判を始めるためのきっかけをつかんだのである。いうなれば統一教会は安倍たたき材料として利用されたといっていい。
 それらの論理は無茶苦茶であり、そのことは他の宗教団体にも派生しなければならないはずなのに他は無視を決め込むといった論理性のない行為に終始していると考える。
実際に死者を出した犯罪集団であったオウムの際は破防法反対の論陣をひいていた各位が今般は統一教会に対して解散させんとばかりの論陣をはる。まったくもって何の説得性を持たないではないか、またこれらのことに触れない、政治家、マスコミ、有識者・・この矛盾に気が付いていないテレビの視聴者。無茶苦茶でござりまする・・・

 決して宗教団体を擁護するつもりはないがこの論理性のなさに呆れかえっている今日この頃である。

posted by 筆文字や隆庵 at 15:08| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年01月20日

過去世に関して

 万象万物はひと時も停止することなく循環を続けている。時計が刻んでいる時の流れなど一瞬のうちに過去となりあっという間に過ぎ去っていっている。と同時に私たちの肉体も刻一刻と老化の道をひた走っているのである。

 その変化していく物質を構成している生命エネルギーは不滅であり、永遠に存在しているものである。
つまり私たちも神理に従って転生輪廻を繰り返し、現在地上界に転生し今があるのである。
 50年100年と肉体をもって生きていてもいずれかは死を迎え、この地上界に肉体はおいて意識だけの世界に行かなければ
ならない宿命を持っているのです。

 意識の世界は永遠に存在しエネルギーそのものの世界ではあるが

 そこは意識の調和度により段階あり、ちょうど現代社会の通信機器が活用している波長の違いでテレビやラジオ、携帯電話などが活用している○○ヘルツなる波長それぞれの違いが物語っているようにあの世という世界は各人の持っている心の振動数にあった世界がそこに存在するのである。
 人にはすべて過去世があり現世があり来世があるという循環の仕組みからは逃れられないのである。
それぞれの人はそれぞれの魂の遍歴の中で学び神意に沿った生き方を身に着けるために何度も何度も生まれ変わり死に変わりしては学び多くの成功とそれを上回る失敗を重ね今の人格を形成しているといえる。

 縁ともいうべき存在は別名として波長共鳴に因果律が重なった結果として今があるという事を確認出来るか、その中に自らのカルマやそれによる境遇というものがあるのだと確認できるか、そのことを理解できるかが今世における目的であろうと考える次第である。

 100人が100人過去世があり来世がある。そのことを実感したときに悟りの第一歩となるのではないか・・自分の人生の使命が見いだせれば幸いだと思うこの頃・・・

 側聞ではあるが徳川家康という方は戦後俳優として日本人に勇気を与えるといった使命をもった長谷川和夫さんとして生を持ったという事。
現代において活躍している方も私たちも過去生きていたのだという事と未来を生きていかなければならないという事を理解したいと思うのてある。
posted by 筆文字や隆庵 at 22:35| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年01月19日

何でもない一日

 何でもない一日の、何でもない風景を目の当たりにする時、ふとした感動が湧き上がってくるときがある。
万象万物の四季折々の姿
 雪に覆われた山肌の姿は、人間の侵入を拒否するかの如く凛とした装いを見せてくれる。
 
野に咲く草花は寒い北風に耐えながら来るべき春を待っているかのごとく土中に、又は岩陰にひっそりとたたずんでいる
 この自然の姿にいとおしさを覚えるのは、人間ならではの感性・・・

淡々と日常の小さな幸せを味わおう・・ゆきの根子.jpg



 
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2023年01月18日

今この瞬間が幸福であるか

 どうすれば幸福に暮らせるのだろう。全人類の目的であろう。
この目的があるからこそ日々様々な分野で頑張っているのであろう。具体的にはどんな目標・目的をもってるのかはそれぞれの生き方によって異なっているというのは周知している。

 幸福の定義を探っていくと、それは経済的に恵まれていることであると考えられているのが現代である、
また、自らの家庭が笑顔にあふれた状況であるというのも幸福の定義上正解であろう、健康的で生き生きしているというのも
幸福の定義上正解であろう

 さて、このようになるにはどうすればよいのだろうかと考える前に人間そのものの本質の所在、あらゆる側面から研究してみるとき
一体、宗教というものが何のために存在しているのかを考えざるを得ない。ここでいう宗教とは団体や組織的な集まりをもっていて国家から法人格を得、税金の優遇を受けているものをいうのである。その宗教組織そのものの存在によって人々は幸福を獲得したのだろうか、はなはだ疑問に思うのである。 

 法華経はお釈迦様の教えより日蓮を尊び、曼荼羅を拝み題目を上げることが信仰と思い込みそうすることによって幸福になれるものと信じているのであろうか、日蓮さんの背景 生存していた時代のことを鑑みたうえでのことかよくよく考えてみたい。鎌倉時代の僧侶であった日蓮の教え、幸福を得る為のノウハウとは題目を上げることだったのか、さうすれば経済的に恵まれることになるのだろうか。家族が円満で仲良く暮らしていけるのだろうか、組織の中での葛藤とかよく聞く話で内輪もめが多いときいている。

 統一教会に関しての話しは霊感商法とかで法律の縛りをかけるそうだが、ならばその他の宗教団体も同様にしなければ矛盾となるし話題の二世信者の問題も統一教会だけではないだろう。
 創価学会、エホバの証人、比叡山、高野山、キリスト教会・・・きりがないぐらい宗教団体の数あり、であれば皆幸福になっていなければならないはずなのに、ちなみに各団体の信者合計は日本の人口を超えるらしい・・・そこに疑問を持たないのが不思議な話と思いませんか

 今の今、この瞬間が幸福であるかに関しては宗教団体の教えは全くの無力である。そもそも今回の統一教会の二世信者のことにしても
 この団体が間違っていることにきずかなければならないのに、

 もっと現実的な努力をすることが大切な信仰であると思う次第である。

 各宗教団体の教えの矛盾を色々研究中


 

 

 
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2023年01月16日

学歴という薄っぺらな概念

 低予算で作られているだろうと思われるテレビ番組が多い。その中で高学歴の芸人や一般人などが登場し物知りぶりを競っているという設定なのだが実に空虚であり、単なる知識いがいのなにものでもなくそれぞれの登場者の勉強家ぶりには感心するも、関心はない。

 学歴偏重社会が生み出したといっても過言ではない現代の社会環境は所謂この高学歴の面々によって創り出されてきたものだといえよう。
何ら変革意識のない面々を育ててきたのがペーパー試験によってつけられた点数の優劣がそのまま社会の中での主流、非主流という色分けに繫がっていったため、人品の低い己の使命感の薄い、我だけ我らだけが満足できればいいとばかりの自己主義が社会を覆っているのが現実であろう。

 学歴主義というのは試験に受かるために必要な問題解決力さえ身に着けていれば試験に受かるわけだがその際には人間が最も大切にしなければならない思いやりの心とか、助け合いの精神とか、他者との調和などの徳性などは二の次になりがちで、この領域の教育はおざなりである。
 試験問題というのは必ず答えが存在するのであるから、その答えを暗記する記憶力をいかに鍛えるかが学習のポイントである。試験に追われている若き受験生はともかくもその記憶力とか入試問題の傾向とかを暗記することが第一の課題なのである。

 それは学歴のためではなくではなく学力向上のための訓練というべきであり、体力のある若い時期に鍛えておきそののちに起きる様々な問題解決に際しての心構えや応用へと役に立つであろう。
 問題と小生思うのは学歴がすべてといった風潮のなかで、優劣が認識され勝ち組負け組という言葉がはやり、○○大卒などといってもてはやされ
あたかも一流な人間と錯覚を起こさせる、これが世界に蔓延した結果が今である。

 人間が創り出してきたとも言える各問題はその過去同じような問題に遭遇した時にどう当時の人々が対処したのか、その結果どうなったかという歴史的現実もしくは発見された物理学の法則からどのように学ぶべきかはあまり重要視されず結果だけを淡々と覚える、そんな学習にならざるを得ないとは思うが、そこが重要なのである。
 薄っぺらい学習に終始してきた戦後のエリートもどきがどう考えどう生きたかを一度検証してみることこそが現代の各界の学者、重鎮たちの仕事ではないだろうか。

 ものしりだけではせかいにとってやくにたたず
 
 しんのものしりはおうようりょくをもっている

 かせつがたてられけんしょうしていきながら もんだいてんをあきらかにするちからこそが

 もとめられているのだ もんだいがあきらかになったら そのもんだいをかいけつするための

 しゅだん ほうほうを じけいれつにあてはめていくことが たいせつ

 これらのじぎょうをすいしんしていくためにはひとのきょうりょくがふかけつ

 そのときににんげんせいがとわれるのだ
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2023年01月14日

格差について

 高額所得者の子息は高学歴を得ることができ高額所得者になるのに必要なレールが敷かれているといわれている。
このことは高学歴というレッテルを持てば人生の成功者として低額所得者の上に位置し偉そうにふるまう事ができるという事なのだそうだ
という事は、受験突破のためのテストに受かりさえすればいいという事になるわけで、そのためにはプロの受験コンサルタント、つまりは専門的な塾が必要となってきていて、塾同士の学生獲得競争というのが激化しているのが現実。
 そこから生じるのが格差社会であるという論が巷間をにぎわしている。

 格差は現実にあれども果たしてそれは正しい現象であるか・・・私心としては現実は現実として認めるもののそれならばそれぞれの役割、人としての使命に関してどうあるべきか考えなければならないのではないかと思っている。

 高学歴ならではの役割というのがある。

 そのことを自覚してほしいものである。まずは生きるという事とは一体なんであるかを考えているか、政治家、官僚、医者、弁護士
みんな生きるという事に関しての哲学があるか、人は何のために生を得ているかという根本について考えているのか、疑問に思う。
少なくとも現実に職を得、生き方について真摯に正直に向かい合っている人も多数存在していて少なくともすべてが高学歴社会とは無縁なり、ひたすら日々を送っている

 翻って政治家の皆さんのレベルの低さに日々情けなく感じているのは私だけであろうか
今近隣国から「情報戦争」を仕掛けられている事に危機感を持つものである。



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私は誰なのかを考える

 人が生きていくという事は少なくとも何らかの立場を持っているということでありそれぞれの立場なりの役割や使命、義務や権利を持っているという事を考えなければならないのだと思うのである。

 私は何者か・・第一に父母の子供であるという事、第二に日本人であるという事、次に妻の夫であるという事 子供の父である事、地域の住民である事・・・親戚の一員である事、仕事を通して納税者である事、お客様に対して物品やサービスの提供者であること、会社のリーダーであること・・誰かのお客である事・・などその立場を書き出すときりがないほど多くの側面を持っているのが私という存在なのである。

 また、健康と私、経済と私、これらのことを考えている心根と私、無限に広がるのである。

社会生活を送っていくために経済との調和を図っていかなければならないのも、家庭生活が平和に送っていくために必要な要素であること、会社、家庭、上司、部下、得意先、それぞれの幸福のためにも円満な精神を持っていなければいけないのも私の使命なのである。

 それを自覚したうえで様々な問題に対して取り組まなければならないのである。

 目的は調和、その実現のためになさなければならない課題を釈尊講和伝・・・「八正道」にみることができるのである。

すべからく人はある時「哲学者」でなければならない、またある時は「科学者」でなければならないとしたときに学ぶべき教えは釈尊でありイエスであり、近年では高橋信次師であるわけで、根本は同様に「調和の実現」というテーマに沿った教えであるという事を知らなければならないのである。

 決してそれはよにいう宗教というものではなく、宇宙の法則、人間の実態のありようなどは普遍的であり現代のような宗教団体の教えとは全く別次元の話しである。釈尊の説いた教えもイエスの説いた愛の教えもそれぞれ僧たちや牧師たちの間で間違った教えになっているのである。

 仏教においては様々な宗派に分かれている。まあこのこと一つ見ても釈尊の教えが正しく伝えられていないという事である。

 お経は釈尊が2500年前に語った教えをまとめて文章にしたものである。それも古代インドの言葉が主であり今のように漢文になったのは
 中国のお坊さんが、インドに行って持帰ったものを翻訳したものを基準にしているため正しいものと不可解なものが混在したうえ永い年月を経ていて言葉も人心の環境も異なっているために古代の釈尊の教えと大きく逸脱したものと考えるのが妥当な考えであろう。
 釈尊存命中にはお経などないわけでそのなかったものを現代読誦せよとは、不可思議である。仏像のまえでお経を読むという行為も不可思議である
 釈尊像に向かってお経をあげるという行為もお釈迦様に対してお釈迦様の教えを説いているというへんてこな話になっていると思うのである。

 聖書もしかり2000年間の間に真実が捻じ曲げられているし

 イスラムのコーランもまた同様である

  推薦したい図書として「人間釈迦」高橋信次著 を勧める次第である。




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2023年01月10日

幸い

 幸いなるかな、死が例外なくすべての物質に適用されること
 幸いなるかな、新たな生命体を得ること
 幸いなるかな、再び(過去数億回)の肉体をまとえること
 幸いなるかな、神意そのものが輪廻をもって我の成長を促している事
 
 これらを理解したときはじめて我が独自の使命を理解できる

 どんな人にも例外なく訪れる輪廻という現象

 この言葉は宗教ではない、哲学でもない、当たり前の現象

 側聞の一 生まれ変わりのサイクルあり、今ここにあり周りの環境あり、人々在りそれもすべては同期生
 
 側聞の二 例えば2500年前の釈尊、今生に於いて 高橋信次の名をもって存在 その高弟のひとり は
      舎利弗として 園頭広周 として存在、過去世の西郷隆盛の生命なり 幕末英雄のひとり。
      ならば彼しる我の生命サイクルおして知るべし。いかなる立ち位置であったかは不明なれど
      縁ありと確信す
 
 側聞の三 世界を平和にするという途方もない目標はいったいどういう事なのだろうか、それは大宇宙開闢の
      目的と相通じているという・・・これ神意なのだという事
 
 側聞の四 我が国の過去において名のある人々がどんな生まれ変わりであったか、元総理田中角栄氏は過去
      戦国時代の斎藤道三であったこと、創価学会の池田大作氏が蜂須賀小六であったこと、元東大学長の
      矢内原先生がイエスの弟子ペテロであったこと。松下幸之助氏が同じくイエスの弟子であったこと
      それぞれはペテロの時代は無学であったため今回は勉強しようと決意したのがペテロであって
      イエス伝導の際にはやはり経済が必要と思ったルカという方の生まれ変わりであったのがナショナルの
      創業者松下幸之助であったこと(氏は心の教育が何より大切であったという事を心の中から知っていられたので
      php活動の一環として冊子を世に提供) 小澤征爾氏がワグナーの生まれ変わりだときいたときに 
      現代の活動それぞれは、やはり過去からの影響ありと感じる

 側聞の五 以上のことから感じることは人は誰しも過去がありいまがありそして未来があるという事であって今の
      生きざまが未来に続くという事をしらなければならないと思うのである。

      そのことを高齢の両親はじめ皆に 死を間近にして恐怖を覚えている人に 伝えていきたいが
      なかなか真意伝わらず
      死の恐怖は心に幻影を起こし、体調にまで影響を及ぼし 死した後も肉体への執着から硬直ししばらくは
      地獄という名の世界に住することを知ってほしい、それだけの理性を持っていてほしいと
      自らを含め、宣言するものであります。

      普段からパニックにならないように、心の構えを備えておきたいものです。

 側聞の六 葬式とその最中とその後の騒ぎあり・・多くの人は自らの死を自覚することなく生きているのだと思っている
      何故なら肉体を離れ、もう一つの肉体に乗っていてあたかも生きていると思っているからなのだが、実は
      波長が異なる世界にいるものだから通信はできない、あたかもそれはヘルツの違う電波があり様々なラジオ局
      テレビ局があり電話ありメールありという具合に 
      肉体という原子細胞は滅びいくつかの32といわれる元素になり地球上にばらまかれ次のステップに生まれる
      肉体をなくした生命エネルギーは普遍的な形をつくり個性を持ったまま生き続けるという事になるのだが
      科学的な証明は今の時点では困難だという事・・・状況証拠はあるのだが

   続きます
      
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2023年01月09日

自然とともに

 私たちが自然の法則に逆らう事なく、暮らしていくことが幸福への道であることをしらなければならない。
自然の法則とは、水が高きから低きへ流れるように・・・なんの疑いもない現象があるように

 物理の法則は私たちに教えてくれているのだ

原因と結果の法則がある・・・動反動、作用反作用の法則、ある方向に対して加えられたエネルギーはそれと同等のエネルギーを反対方向に働く
 といった物理の法則は、私たちの心の法則にも働き なしたことに対しての反動が自らにかかわってくるというのである。他人の悪口を発したら別方向から同様な現象を当事者に与えてくれるというのだ。

善には善が 悪には悪が 愛には愛が 中傷には中傷が 相対してくるというのが法則であり、例外はない

 本年の目標を立てるときもこのことを念頭に置いて紙に書き出し、具体的に実行していきたいものだ。
 幸福な心が安らぐことを基準に今年の人生を送ってた行きたいと思うのです。
 
あと一か月で70歳になります。

知行合一.jpg
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2022年12月18日

人生という旅について(仕事編)

 おギャーとこの世に生を得て今日まで69年と10か月余り、現在も仕事をしている。仕事をしているという事は少なくとも誰かのお役に立っているということか、自分がしがみついていて誰かの世話になっているかのいずれかであろう。
 しかし誰かの世話になっているといってもその誰かにとって役に立っているという事だからこの二者は同等であろう。

 仕事の本質は少なからず誰かのお役に立ってこそであり おおよそ生きているすべての存在はそのまま何らかの役に立っているということが大事であると釈尊はその説法の中で再三述べておられる、
 
 「仕事」は、自らの生活を助けるとともに人々の生活に潤いをもたらすものである。

私の仕事の大部分は飲食店・旅館・ホテル・小売業といったお店の繁栄維持のためのコンサルティングを主とした援助活動だといっていい。
 それも単なる経済的成功のみをよしとせず人生の在り方に関しての
 
総合的な課題を仕事をとおして どう学んでいくかについて考えようではないかという姿勢である。

 それら人生の課題解決の手段の一つとしての経済という観点,からいかに利益を上げるかは大切な事柄であろう。
ゆえに経済の成功を得ることのアドバイスをさせていただくのが私の仕事である。
 少なくともこのアドバイス実施によってか いまだにお客様のコンサルティング要望があることに感謝している次第です。

 我々人類の師である「釈尊」の説かれた理により実践していければ道は大きく開かれるものと思うのであります。

教えは昨今の宗教団体が勝手に解釈して現代に誤った教えがはびこっている事を私たちは知らなければならないのです。
○○宗、○○派、などがあるという事が釈尊の教えが正確に伝わっていない証拠だと思います。



 
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2022年12月15日

正しい事態とは何か

 いろんなことが起きている、防衛費という国家予算獲得のために増税するという話がある。
一国民としてそれはやぶさかでなく国家のために負担しようとは思うのであるが、何故今更唐突にそんなことになるのか。今までの税の使い方の中で防衛に充てる予算はいかほどであったのか、それでは足りないという事なのか、明らかにしないといけないと思う。
 次にある疑問はこの唐突(本来はすでに分かっていたこと)に軍事に関しての危機が迫っているのか、どうなのか、何故なのかといったことを説明できなければならない。
 何事も現実対応として最低限の情報は国民に対して発信すべきものである。

 しかしながら、マスコミ(某国諜報機関の影響下にあるかのごとき有様を世間にさらしている)による偏向報道にまどわされている国民が存在しているのも事実であろう。

 正しい物事の観察は現状をまずは正確にとらえることが第一であろうと、それも自らが過去の歴史を紐解きながらそれぞれの原因と結果の渦巻き状の現象を鑑みながら今を見そして今起きていることによる結果を推測できなければならないのである。

 正しい事態は正しいという各々の価値観の違いによってとらえられている幻のような世界

 各々の価値観によって正しい事態の解釈がなされていることが大きな問題を引き起こしているともいえる。正しいと正しいかぶつかって戦になっている事。これが現実の正しさ訴求による戦いなのだ

 話は横にずれたが、防衛とは何のために、誰のために存在しているのかそれこそを議論のトップにもってこなければ話は始まらない、単なる経済、お金の話しでなく人としての尊厳のことを伝えるのが政府の仕事、学ぶべきは歴史。
 歴史とは人々の考えと実践の結果を記録したものでありそれは世界的であり日本的でありそれぞれの国家的なのである。いまだかつて国民の総意による戦など起きたことはない。あたりまえである。国際社会の中でいかんともしがたいと考えている輩によって起こされていることであって本質は自己中心的な思想から発生した人類の業であろう。

そういった輩から囲まれている我が国の状況の中での防衛予算は、戦に活路を見出さんとしているある国家群から国民を守るべきために必要だと至う事を、政府は声高々に宣言すべきだと思う今日である。


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2022年12月08日

理想の日本を考える。ワールドカップ

どのような理想の姿を日本の国は、描いているのであろうか。
日本の国は、どの方向に進もうとしているのか、国民一人一人に解るようにしてほしいものだ

 何故なら、行き先、つまり到着地点が分かると人は、その方向に動き出すからである。
人間にとっての理想は、世界の平和と人間の幸福を目指すのは当然のことだろう。

 そのためにはそのようになる順序として第一段階を、どんな目標の設定したほうがいいかを考える必要があるのではないか。
国旗の日の丸は生命あるものを生かし続ける太陽を中心に宇宙が描かれ、自然の恵みに感謝して生きるのが日本人である。

 国歌の君が代は、みんなが仲良く助け合い団結をして末永く幸せであるように方向付けをされている。理想の姿は、国旗と国歌を中心に考えるべきだろう。

 サッカーワールドカップを見てての所感である。
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2022年12月07日

身の回りに起きる出来事は自分のせい

 現在自らが置かれている環境は偶然にそうなっているわけではなく、過去自らが思い行ってきたことの決算として存在しているのだという事を知らなければならない。
 これは、心の世界でも同様に働くのです。心の世界というのは好きとか嫌いとかいった感情や、気に入っている友人などとの交流もしかりまた自らに降りかかっている非難中傷に至るまですべてであり、そのことを高橋信次著「人間釈迦⓵」より見出すことができる。

 85頁に
 普通、他人から誹謗されると、つい自分をかばう心がでて、怒りの感情が燃えだすものである。他人から誹謗されるという事は誹謗される何かが自分にあるか、天の試練か、そのどちらかである。しかし天の試練とは言っても試練にあるカルマが自分になければ試練は受けずに済むことである。とするとこれも自分に帰着する。
 原因が自分にあるとするならばその原因を静かに見渡すだけの心の余裕、寛容さがなければ少なくとも道を求める者の態度とはいいがたい。そうしたもう一人の自分を忘れて、相手の中傷に反発していく態度は、もはや修行者とは言えないのである。
 また怒りの感情は、心の平安をもっとも毒す。なんとなれば心の安らぎは人間感情のもっとも奥深いところにあるからである。
もしも人間が感情という情操というものをなくしたらどうなるだろう。人間はロボットと変わらないし生きた人形になってしまうであろう。
人のものを横取りしようと、殺めようと、感ずるところがない。ものの哀れ、救いという愛の心も芽生えてはこないだろう。
 人間には感情という情緒があり情操があるゆえに、大自然の慈悲に感謝し、愛の行為に、人は勇躍するのである。人間の感情はそれゆえに、にんげんであるがゆえのもっとも重要な精神作用であり、これを無視して人間を語ることはできない。感情とは其れほど大事なものだが、その同じ感情でも怒り、中傷、ねたみの想念は慈悲、愛の心を受け止める、ないしは発動させる広いおおきな情動を表面的な感情想念で閉ざされてしまうため、これほど悟りから遠ざけるものはないのである。

・・・・いうまでもなく私たちは永遠の生命をいただいてる神の子であるからしてもうすでに何千回何万回とこの地上界に生をもって様々な事をなしてきています。それはそれぞれの環境の中で己の魂を磨くための道程としてあったにも関わらず、自己中心的な生き方によって多くの過ちを犯してきているもです。それぞれの生き方はいったん天上の世界(心のふるさと)にかえって地獄の世界を経由し反省しているのですが、再びこの世に肉体をもって生活するようになってもまた同じ失敗をしていたり、カルマの解消ができてうまくいったりと人生の学習を積み重ねていくのでありますから、今度の人生によって反省したことの確認をしながら各人の課題をクリアーしていかなければならないのであります。

修正しなければならない項目に関してはそのご幾たびか自分に降りかかっていくように計画しているのも実は自分自身なのです。
そこで冒頭の文章・・・という事になるわけです・・・これを天の試練と表現されているのです。
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2022年11月30日

日々の生活における事件

身の回りに起きる出来事は自らがいつの時かに蒔いた原因が、結果としてあらわれている。
だから日々のエピソードを記憶し、記録することがいかに大切かを考えてみたい。

今の今起きている事象は、あらかじめ自分が蒔いていた原因が結果としてあらわれたことなのである。

その原因の大多数は習慣的に行われていることが多いのであり、多くの人はそれが正しいか間違いかを判断することはすこぶるむづかしぃことなのである。

大事件はそれなりの大きな原因をつくっているから発生しているのであってそうそう私たちの日常では起きにくいものである。
争いという事態を考えたときに、それは個々の問題の場合と社会活動上の問題の場合とによっては影響を及ぼす範囲はまるで違うのだが本質のところは因果律という法則下にあるのだ

大は大なり小は小なりの結果が生じているから
それぞれの問題が異なる手段で解決しなければならないだけであつて
基本として解決できない問題はないのである

間違えてはいけないのは問題はなにもマイナスのことばかりではなくプラスの問題も発生しているのであって、その時は過去プラスの原因をつくっているわけだからそれは今後も継続していいよという信号であるのだという事を忘れてはいけないのである。

いずれにしてもよかったこと悪かったことにはそれぞれの原因ありなのだから

日日を記録していくことは大切なのである。

釈尊の説かれた八正道・・・正しく定にいるべし・・とはこの記録されたもの、ことに対してよきかわろきかを判断し、よきことは続ければよいしわろきはあらためていけばいいのだという教えにつながると小生覚

今私自身が遭遇している悩みや苦しみは、実のところ私自身が作り上げたものであって、一見してみて私が作っていった問題ではないようなことでもその環境をつくったのは自分であるので心広く正しい生き方をしていくためのありがたい材料なのであろう・・と思うのである。




posted by 筆文字や隆庵 at 22:53| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年11月29日

考えなければならないこと

 70歳になったとはいえ、考えなければならないことがたくさんある。
自営業ならではの話し、定年などなくお客様の要望が降り続ける以上、私に引退はないのである。
世に多くの仕事があり、その仕事ならではの特殊な技術に対しての要望や環境に応じての存在価値というものがあ  る。
 その変化に気づかず従前の環境によってのみ成立していた自分の存在価値を過剰に自己評価し、現在の市場にあっていないという現実に目をふさぎ過去の成功事例の延長線上にあるものだという。

 そういった人たちの根本的な間違いを指摘しつつも
ではどうすればいいのかと問われること多し

 まず問題は何処にあるのかを発見する事が第一であるが、その前に理想の形を認識することが大切である。
一体、どうありたいのか。

 自らのおかれた立場から考える
 そこで
 自らの人生の今後のシナリオを構築していく

 あるべき自分とはどんな形なのかをまず考えてその形を成立させる条件とは何か・・・という風に現実的に考えてみることが第一のミッションであろう。この設定条件をどうしたら満足できるのか、そのことに意識を集中させてみよう。

見えてくるものがあるはず

 常にいい気分で過ごしたいのであれば自分さえよければいいというわがままな心構え、習慣を捨てることだ
 
我々の人生は一瞬の積み重ねであってそれぞれの一瞬の思いと行動はそれぞれの結果を生み、その結果に対する認識度が次の結果につながり
幸不幸のどちらかを受けるもの

これ 法則

 それと、自分に対しては誰も嘘をつけないという事

 
 

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2022年11月27日

循環

世の中の社会、大自然の営みは全て循環の法則の中に存在している。
循環しているという事は回転しているという事なので、自らが思い行ってきたことはぐるり回って自らに帰ってくるものだ。
 物理的な行動に関してはその結果が物質的に目に見える形としてあらわれてくるので比較的わかりやすく修正も容易であるが
実はその行動を司ってる思いにその原因があるのだという事を知る人は少ないのである。

「人を呪えば穴二つ」という諺は、人を恨んだ付けはまわりまわって自分に帰ってくるのだという事。

 思いという心の振動は同じような思いの人のエネルギーと同調し場合によっては増幅し自らにかえってくるといった話は多い
良い思いや行動は、良い人々との波長同期を起こし自分に良として帰ってくるが、他人を恨みねたみ嫉妬に燃えるような思いの振動は
 同じような人々の振動と同調し増幅して自らに悪いこととして帰ってくる・・というのが大自然界の法則なのである。

因果律、慣性の法則、波長共鳴の法則 循環の法則 エネルギー不滅の法則はそっくりそのまま人間の心にも作用しているという事なのだ

イエス様は「汝、自らにしてほしいことを他人にせよ」と・・・・逆に言えば人に意地悪な心で接していたらその人の内面に刺激を与え、鏡の反射よろしく自分に帰ってくるのだから、そうしたいときはそうしたらよいわけなのだ。選ぶのは自身・・・・・

posted by 筆文字や隆庵 at 12:00| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする