2018年08月01日

潜在意識と現在意識

 現在意識は種子であり潜在意識は大地である

潜在意識は種子を選別しない。まかれた種子がよい種子であっても悪い種子であっても
雑草の種子であっても、又 
その種子が意識して播かれたものであろうと無意識のうちに播かれたものであろうとすべて
芽をだし、育て上げ、それを生活体験として顕現させるのである。
日常の暮らしの中で例えば自動車を運転するときにいちいち手足に命令して動かそうとして
訓練を続けた結果、体が勝手に判断できるようになる。
この場合は現在意識で運転していたのが潜在意識に投げ込まれた技術が内面化し習い性になった
事を意味するのである。
心の働きも同様であり、どのような情報を現在意識が捉えているかが問題となる。


 運命がよくならない、不幸ばかりおきている人たちはその潜在意識の中にマイナスの
 考えや行為という種子を播いていた結果として顕現されているのであって、
 運命が好転している人は心の中にマイナス思考を持たず積極的に前向きに行為をしている
 ということなのであ。

物事がうまく運ばない人の特徴は、ものごとを何事も他人のせいにして自己中心的でわがままで
反省が出来ないこと

上手く物事を運ぶ人の特徴は、両親に感謝し仲間に感謝し、人様のお役に立つために為すべきことを知り
為すべきことを為しまた為すべきことのレベルを常に向上させようと努力を惜しまないこと

 
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2018年07月25日

一宗一派に偏してはならない

 承前

 イエスの教えを信ずることはしなければならない

 しかし、イエスの教えを知り「聖書」を読むことだけが宗教生活のすべてであると信じて

 他の聖者や賢人の教えには一切耳を貸さずに、それを否定し科学も否定して独善的な小我に固まり

 一宗一派にに偏り一人の宗祖、一つの会派 宗教団体による教えだけが真理であるとし他の宗派
 宗教団体等と協調しないという宗教心はマルクスが言ったように「宗教は阿片なり」といわれても
 仕方ないことである。

 イエスが「我は道なり、神理なり生命なり」 といわれたことは正しいことである。

 それはイエスが大我を悟っていられたからである。

 同様にゴーダマも大我を悟っていられた

 イエスは「キリスト」といわれ ゴーダマは「仏陀」と呼ばれ、ギリシャ神話のアポロは「シュバラー」
 と称されていたという

 加えて般若心経では観自在菩薩といった表現になっているがいずれも大我を悟られた方のことである。

 つまり、イエスも釈迦も同じ神理を説かれていたのである。
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大我の人つづき

さて、私たちが永遠の生命として今あるとき

イエスは、「人は二人の主に仕えること能わず」といわれた。これは、肉体の小さな自分に仕えるのか、
それとも神に仕えるのかということである。

キリスト教的に大我というのは、仏教的には宇宙即我に到達した人ということである。

宇宙即我に到達すると、大宇宙が自分が一体になり、大宇宙が自分であり、自分が大宇宙であり、万象万物
すべては神の生命に生かされている生命の兄弟だということがわかる。

愛とは、すべての生命が、切り離すことことのできない、一つに繋がっている生命であるということを知った自覚から
起こってくる、聖なる心である。その一つの生命であるからこそ、人が病気したり、苦しんでいることを見て
自分の事の様に悩み苦しむのであり

また、人の喜びや感動している姿をみて同じように喜び感動するのである。

宇宙と自分と一体となる「宇宙即我」と、神の心をはっきりと知ることが出来る。
その神の心を知ることが出来た自分を大我という。

真の大我の発見、即ち宇宙即我になることは大変難しいことではあるが しかし我々は大我になるように
精進しなければならない。

  参考文献 園頭広周 著 より抜粋

※ 恐らく大我の心を得た人として私たちが知っている偉人はそう多くはないと聞いています肉体を持ちながら
  宇宙即我を顕現した
  ゴーダマ仏陀、イエスキリスト、モーゼ、モーゼの後のエリア ギリシャにおけるアポロ
  近年では高橋信次師(1976年)などがあげられますが
  間違ってはいけないことは少なくとも世の中で宗教と呼ばれているものや○○教とか○○会などという
  組織とは一切関係なく自らの心の中はすべて宇宙に通じているということです。
  私見ですがわたしは一宗、一派、一冊の経典にこだわることなくただ永遠の存在である神と神の法にそって
  生きようと精進していこうと念ずるものであります。
  http://www.shoho2.com/ 

 
  






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2018年07月21日

大我の人つづき

さて、私たちが永遠の生命として今あるとき

イエスは、「人は二人の主に仕えること能わず」といわれた。これは、肉体の小さな自分に仕えるのか、
それとも神に仕えるのかということである。

キリスト教的に大我というのは、仏教的には宇宙即我に到達した人ということである。

宇宙即我に到達すると、大宇宙が自分が一体になり、大宇宙が自分であり、自分が大宇宙であり、万象万物
すべては神の生命に生かされている生命の兄弟だということがわかる。

愛とは、すべての生命が、切り離すことことのできない、一つに繋がっている生命であるということを知った自覚から
起こってくる、聖なる心である。その一つの生命であるからこそ、人が病気したり、苦しんでいることを見て
自分の事の様に悩み苦しむのであり

また、人の喜びや感動している姿をみて同じように喜び感動するのである。

宇宙と自分と一体となる「宇宙即我」と、神の心をはっきりと知ることが出来る。
その神の心を知ることが出来た自分を大我という。

真の大我の発見、即ち宇宙即我になることは大変難しいことではあるが しかし我々は大我になるように
精進しなければならない。

参考文献 園頭広周 著 より抜粋

※ 恐らく大我の心を得た人として私たちが知っている偉人はそう多くはないと聞いています肉体を持ちながら
宇宙即我を顕現した
ゴーダマ仏陀、イエスキリスト、モーゼ、モーゼの後のエリア ギリシャにおけるアポロ
近年では高橋信次師(1976年)などがあげられますが
間違ってはいけないことは少なくとも世の中で宗教と呼ばれているものや○○教とか○○会などという
組織とは一切関係なく自らの心の中はすべて宇宙に通じているということです。
私見ですがわたしは一宗、一派、一冊の経典にこだわることなくただ永遠の存在である神と神の法にそって
生きようと精進していこうと念ずるものであります。
http://www.shoho2.com/









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2018年07月19日

大我に生きる

「マタイ伝」『福音書』第16章、25節より

 己が命を獲得する者はこれを失い、わが為に己が命を失う者はこれを得べし。

 イエスのこの言葉を意訳すると、「己が小我を獲得するものは大我を失い、我が為に己が小我を捨てるものは大我を
 得べし」 

 ということになる

 小我の火とは

 人に褒められることを好み、集会の上席に座り、人に見られんがために施しをし、正しい人間(信仰者)であるかのような顔をして
 長い祈祷や説教をし、又意見し。常に自己中心的で高邁不遜で、小さいことにこせこせし、常に感情的であって、その場限りの
 欲望を満たそうとする人である。
 仏教的に言うと、人間を肉体だと見て、肉体の煩悩執着に振り回されている人々である。

 大我の人とは

 寛容にして慈悲あり、妬まず誇らず、驕らず、礼儀を正しく守り、奉仕報恩の行為をして個人的な利益を求めず、少しのことなどに
 憤らず、人の悪を思わず、不義を喜ばず、神理を喜び、忍辱し、信仰し、希望と愛、慈悲に生きる人である。
 仏教的によると、人間を霊的存在と知って、慈悲のこころを持ち、肉体的な欲望である煩悩執着をなくして、生き通しの永遠の生命
 生きることを知った人である。

 園頭広周 著 「二十一世紀の宗教」より

 小我の人も大我の人も同じく「永遠の生命」であり魂巡礼の旅を現在地球上にて続けている仲間であることは間違いなきことでは
 あるが、それぞれの自我の在り方によって今の人生に影響を与えていくのである。
 
 この内容を理解するには現在の国会議員(特に特定野党のみなさん)の行動をみれば小我とは何かがよりお分かりいただけるものと
 思います

 







 
posted by 筆文字や隆庵 at 13:10| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月09日

言葉

 人が言葉を発するとき、発する以前のこころの在り方が問題となります

心で思ったことの中で 怒りや不平不満 愚痴や優越感 劣等感などといった自己を中心とした思いから

発せられる言葉は、音として空間に表現される時に黒い霧のようなものが張り付いているということを知りましょう

逆に思いやり、愛と慈悲、感謝の言葉などには黄金の光の粒子がその音に張り付いていきます

 前者は聴いている方に不調和を
 後者は聞いている方に調和と安らぎを与えることになります

前者の周りの環境は不調和となっているわけですから 善男善女はあまり近づかないようにします

 だから、情報も正確には伝わりません
 だから、何か事を起こす時に必要な情報が不足することになります

 結果として人のいうことを聴かなくなり、物事は失敗するということになります

常に思いやりや愛と慈悲の心構えの方にはいろいろな協力者が現れ適宜なアドバイスなどを得ることになります

 結果として周りの環境との調和がとりやすくなり成功への道が拓けるのです

  語るということの重要性を知ることが大切ですね
 
常日頃から荒々しい言葉を使っていると、波長共鳴の原理から荒々しい環境を呼び暴力にまで発展することは

よく聞く話ですね





posted by 筆文字や隆庵 at 16:40| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月05日

創造

わたし達は、一宗一派、一冊の経典、一片の主義主張にこだわるものではなく

ただ、永遠の生命である神とその神がつくられた永遠の法とを信じ且つ実践

してゆくものである


キリスト教でもなく仏教でもイスラム教でもなくユダヤ教でもありません

ただ、宇宙が示す教えを知り且つ畏れ 生命すべての成り立ちが私たちの

日々の生活に深く影響していることを肌で感じ、真の人間の生きる道を確認

していこうというのが、人生の目的と使命であることを学んでいるのです

永遠の生命である私たちはいま最も波動の荒いこの地上界において己の魂を

磨く巡礼の旅を続けているのです、その目的は創造主である神のこころに

少しでも近づこうというのが最大の課題なのです

100人が100人同じく神のこころに近づこうと潜在的には理解しているのですが、あまりの地上界の波動の荒さによってその本質を忘れてしまっています

様々な文献、聖書や仏典 日本の古事記などから天地創造の寓話が出てきています

ということは、創造主の存在を認めているということになるわけです

posted by 筆文字や隆庵 at 11:27| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月03日

地球誕生・旧約聖書創世記

1.始めに神は天と地を創造された。

2.さて、地は形がなく荒漠としていて、闇が水の深みの表にあった。そして神の活動する力が
 水の表を行めぐっていた。

3.それから神は言われた。「光が生じるように」。すると光があるようになった。

4.そののち神は光を良いとご覧になった。そして神は光と闇との区分を設けられた。

5.そして神は光を「昼」と呼ぶ事にし闇のほうを「夜」とよばれた。こうして夕となり
 朝になった。一日目である。

6.次いで神は言われた。「水の間に大空が生じ、水と水との間に区分が出来るように」

7.そうして神は大空を創り大空の下に来る水とを区分してゆかれた。そしてそのようになった
 
8.そして神は大空を「天」と呼ぶことにされた。こうして夕となり朝になった。二日目である

9.次いで神は言われた。「下の水は一つの場所に集められて乾いた陸地が現れるように」。
 するとそのようになった。

10.そして神は乾いた陸地を「地」と呼ぶことにし、水の集まったところを「海」と呼ばれた。
 さらに神は「それを」良いとご覧になった。

11.次いで神は言われた。「地は草を、種子を結ぶ草木を、種子が中にある果実をその種類に従って
 産する果実の木を地の上に生えださせるように」するとそのようになった。

12.そして、地は草を、その種類にしたがって種子を結ぶ草木を、種子が中にある果実をその種類に従って
 産する果実の木を地の上に中にあるものをだすようになった」それから神は
「それを」良いとご覧になった。こうして夕となり朝になった。三日目である・・・



  ・・・これは、聖書における天地創造の物語です科学的学説によると46億年前にさかのぼるのですが
     さてと、聖書との整合性をどう考えたらいいのでしょうか
     
     約137億年前に宇宙ビッグバンが生じたとのことですがそのビッグバン以前はどのようになっていたのでしょうか
     想像するに宇宙のロマンを感じますね。
     宗教と宇宙の関連性について考えていきましょう

つづく



 
posted by 筆文字や隆庵 at 14:37| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月02日

宇宙の存在

 宇宙そのものはすべての第一原因者である神ともいうべき一大意識が顕現されたものであるということは
 
太古からの偉人たち少なくとも先覚者として名前が残っているモーゼや仏陀、イエスキリスト マホメットなどによって

神の存在を示唆しています。

 それは、旧約聖書 仏典の数々 新約聖書 コーラン また我が国の古事記にも第一原因者である神の存在を思わせる

ような文が残っています

 これは、一宗一派、一冊の経典、一片の思想信条とは関係なく宇宙の存在があるということを前提に考えていかなければ

ならないということであります

 そういった意味からどんな宗教団体に所属しているか何を本尊にするかなどといったことは些細なことであってというか

そこにあるのは神の存在を知らしめるための方便にしかすぎないのです、元々は私たちも、いや全生命 動物 鉱物もすべて

生命体として宇宙の一部であることを認識する必要があるわけです

 宇宙は結果として一大生命エネルギーそのものなのです またその働きもてんでバラバラで偶然に動いているわけではなく

秩序をもって働いていることを感じなければなりません 秩序があるということはそこに意思があるということです

具体的には法則があるということです

その法則とは

1.エネルギー不滅の法則・・・・・霊の永遠不滅

2.因果律(物理・科学に示される因果律、同一原因に同一結果)・・・・因縁、原因結果の法則(まいた種子は生える)

3.慣性の法則(物理学でいう慣性の法則、動き続ける物体は動き続ける)・・・業の法則、カルマは心の傾向性 習慣性等

4.循環の法則(天体はすべて回転している 地球の自転公転、春夏秋冬、動物と植・・・輪廻転生(あの世とこの世を循環)
       の関係、水の三態 液体 個体 水蒸気などの循環)

5.波長共鳴の法則(ラジオ、テレビ、無線などは波長が合わないと聞こえない)・・・類は類をもって集まる

 これらの法則を誰が作ったのかを考えてみる時に、宇宙の創造者、即ち神の力としか考えられないのです




3.






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2018年06月27日

生き方

 人は自分の人格を向上するためにいきるものです

 それは仕事を通してお役に立つためにいきるものです

 そして本来の、自分を発見するために生きるものです

 それが、私たちを取り巻く環境が学びの場として存在することを

 知らなければならない理由です

 わたし達の目の前に起こることはすべて学びの教材です

 わたし達が学ぶことを習慣化すると光が見えてくる

 わたし達が何を学ぶかで生き方が変わる

 
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2018年06月24日

教育の結果

 人間は本来、各個人それぞれに於いて素晴らしい才能、能力をもっています

それを引き出し育てていくことが教育ということになります

 教育の効果として望まれていることは何なんでしょうか、それは人生の目的のひとつである

心の安らぎを得るそして助け合い励まし合う理想の世界を築くことではないでしょうか

 正邪 善悪を見分ける力 相手を思いやる心 勇気をもって善行する力

このことが教育課題であろうと思うのですが、決して学歴が大事であるということではありません

 現代の教育環境を鑑みると子供のころからいい学校に行くことのみが目的化し偏差値優先の様相であり

偏差値によって人間の価値を決めているようです。偏差値教育の弊害の最大なものは試験には必ず

答えが用意されており繰り返し記憶していけば点数は取れるということであり人を思いやる心や

 人間性などとは関係なくいい大学に入れるということであります 心不在の教育を受け日本の最高学府を

卒業した高学歴高偏差値の御仁が政財官に法曹界にその身をおかれての活躍ぶりを見るにつけつくづく

彼らの非常識ぶりに驚きを隠せません。

小さいころから「勉強しなさい、○○ちゃん」「成績どうだった○○ちゃん」などという親の言葉に

染まっていった結果出来上がったのが、今のあなたたちを作ったのでしょうね。

この方たちの施政に国家経営をゆだねているのが現状なのでしょう。

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2018年06月21日

日常生活の中での悟り

 多くの人たちは、日々幸せな日々を送るには物質的な欲望を満たすことに注視しているようです

 その為に「金銭を稼ぐための仕事」をしていることを否定することはできませんがそれによって

 仕事そのものを経済的な立場からしかみない人たちが増えてきたような気がします という傾向が

 表しているのが昨今の「働き方改革」などという国会での論争や「同一労働同一賃金」などの話

 そもそも昔から日本は資源がないといわれ、外国から仕入れたものに付加価値を付ける、つまり

 働くことで収入を得ていたわけで今もその根本は変わらないと思うわけです

 働くとは「はたをらくにする」といった心構えで日本式のQC活動を支え世界に名だたる技術国家

 という立ち位置を築き上げたのも事実であり国の誇りでもあるわけです。

 いつの間にか西洋式の労働観が輸入され週休二日から週の労働時間の制限等が我が国を支える

 中小企業経営にひずみを作ったのかもしれません。

 西洋と日本の労働観の違いは一体どこにあるのでしょうか

 これを考えてみた時、両者の「宗教観」の違いによるものだろうと推測されます。

 聖書によるとアダムとイブの物語で禁断の林檎を食したことから 仕事は怒りの神から罰として

 与えられたものと位置づけられたという寓話が示すように彼等にとっては仕事から早く解放されたい

 といった意識があるのではないかと思うのです

 一方日本においては「神道」があり八百万の神々がなそうとしている仕事の手伝いをすることである

 ので仕事は喜びだと感じていたはずです。

 そうした日本の伝統を無視して金銭だけにこだわらず「人々のお役に立とう」といった高邁な精神を

 忘れた仕事は我が国の将来を危うくさせるのではないかと危惧しています。

 今一度もう一度考えてみたい題材です

 

 





 
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2018年06月19日

人生経営の在り方(正直)


自然は、正直であります

冬には雪を降らせ春には花を咲かせる

そうした現実は、否が応でも私たちの生活に影響を与えていきます

人心が入り込む余地などありません、この循環は仏教的な表現としては

「諸法無我」といいます

諸々の自然の法則は我が入り込む余地はないという意味です

よって、この変化に戸惑うことなきよう自然体で生きよう

 春夏秋冬の四季、昼夜の別、因果応報、生者必滅すべて

かくのごとき、自然の姿は私たちの生き方を教えてくれています

正直に生きることが大切であります

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2018年06月16日

よき運命を望むならば

さて、前回と同じようにイエス・キリストの言葉より

 「イエスまたいい給う、神の国はある人、種を地に播くがごとし、日夜起臥するほどに種子、生え出でて育てども、人はそのゆえを知らず、地はおのずから実を結ぶものなり」  ※マルコによる福音書 第4章  26節〜28節

  現在意識は種子であり潜在意識は大地です

私たちが思うことは意識的にせよ無意識的にせよすべて潜在意識という大地に

種子を播きます 潜在意識はどんな種子でもそれらを育み、結果としてそれを

生活体験として顕現させるわけです

意識的によい種子(成功へ導く種)を播くようにしなければなりません

何故なら、世相に流されている情報はことごとく暗く、悲惨であり明るくて私達

に勇気を与えるような情報は意図的に閉鎖されているごとき有様です

これが無意識のうちに潜在意識に入り込み、育て上げて行くから注意しておか

なければなりません

暗い気持ちになるような想念を潜在意識に入れるとその通りの暗い現実が実現

明るい気持ちになるような想念を潜在意識に入れると明るい現実が実現するのです

日本では「笑う門には福が来る」というではないですか

一方では「泣きっ面に蜂」  とも言います


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2018年06月15日

人生を経営する

承前

神は、私たちが明るい心をもって、足ることを知った生活をすれば

 みな、心豊かに生活できるように準備して一切を与えていられるのである。

イエス・キリストかく語りき

「野のユリは如何にして育つかを思え、労せず紡がざるなり。栄華を極めたるソロモンだにその服装い、

 この花の一つにも及かざりき。 今日ありて明日炉に投げ入れらるる野の花にも、神は斯く装い給えば、

 まして汝らをや。汝らまず神の国とその義とを求めよ、さらばすべてのものは汝らに加えらるるべし」

キリストはこのように無限供給の摂理を示していられるのである。

 だから、心身共に幸福であろうと願えば 個人がその人生をよく経営していこうとすれば

社会に人に我が身を奉仕しようとする時、その人が貧しくなることはないのである。

人生を経営するとき、奉仕こそが調和の元であることを知らなければなりません、大宇宙が調和されているように

同じく家庭の調和、仕事の調和、身体の調和、人との調和 を目指そうとするとき、必ず道は拓けるものなのです。

 次回へ続く・・・

posted by 筆文字や隆庵 at 12:46| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする