台風のせいでこもっている。
昨日は1970年代に一世風靡したファミリーレストランの話でした。雨後のタケノコのように出店されてきたレストランたちは、他社の物まねに終始。その結果というかオーバーストアとなり、全国各地に同じような形の似たような店が乱立したものの、形だけの模倣であって本来最も重要なエッセンス・システム作りまでは至らずに次々にビジネスモデルが崩れあえなく閉店に追いやられた店も数多く見られた。
原因の一つに模倣の繰り返し、似たような店が増え、しかもシステムを持たない付け焼刃のなんちゃってチェーン店の乱立が招いた業界に対する顧客の不信感が生じた事。があげられる
もう一つは、店舗間格差の発生。当時の業界内では次のように言われていた。料理クォリティの高さを誇る「ロイヤルホスト」サービスホスピタリティの「デニーズ」そしてセントラルキッチンの合理化による、システム業としての「すかいらーく」この三企業をファミリーレストラン「御三家」と呼んでいたのだ。 これに追随していたのがダイエー系の「フォルクス」をはじめ、大手資本を背景に「西武のレストラン」その他もろもろがまずまずの成績を残していった。
80年代の中ごろまではお客様の支持を得ていたこれらのチェーン店が徐々に飽きられていったと思われる。
模倣を繰り返した店づくり、メニュー作りの結果「同質化現象」を惹き起こし、立地と価格以外に他店との差別化が出来なくなってしまっていたということ、立地獲得合戦が出店のための不動産関連費用の高騰、更に低価格化による原価率の高騰などにより「ビジネスモデル・・計数」の変化が経営体質に影響を与えていったのかサービス人員の削減などを繰り返し、かつての華やかな「ハレのひのレストラン」という様相から「カジュアルな動機」になってしまい客層の変化、深夜営業時のたむろする若者たちのそんなイメージをつくってしまった。
消費者意識の変化か゛衰退に拍車をかけたように思われる。
80年代後半からの「バブル期」には外食スタイルのおおきな変化として「居酒屋チェーン」の台頭がみられるようになってきた。
ファミリーレストランでは味わえなかったお酒を伴う店として開放的で明るくかつての居酒屋のような 縄のれんではなく「モダン」な店、女性同士でも気軽に入れるようなそんな業態が発生した。
客単価がレストランの2.5倍程度だから従業員の収入もそれなりに上がるということでファミリーレストランから少なくない人員が居酒屋チェーンに転職というレ゛ン勝も起きたのである。
天狗、つぼ八、養老の滝、つぼ八から独立して起業した和民、モンテローザの白木屋、魚民、笑笑、細かく分類された店舗群など一時のファミリーレストランの起業ラッシュに似ているが、この時に都会にお客が集まったころでもある。 逆説的にみると郊外型のファミリー主体の外食が、市街地にもどってきたともいえる。
これらもいずれ他社追随模倣合戦により個性を失っていくのだが・・・
この続きはいずれまた
posted by 筆文字や隆庵 at 13:49| 福岡 ☔|
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