2023年12月09日

自分とは何者か

70歳を越えた自分という存在を今一度考えてみたいと思います。これは持論なのですが僕たちが生きているという事は単なる肉体的生存といった危うい、変化していきいずれは滅びてゆくといった物質形態だけではなく、精神というか心というか目に見えないが確実に存在しているもの。
 所謂形而上なる考えとその考えによって積み重ねてきた自分という性分との合作が自分なのである。という事です

その自分を分析していく。まず人間であるという事、それに伴い家庭人であり妻にとっては夫であり子供にとっては父であり孫にとっては祖父、もちろん先祖にとっては子孫であり親にとっての子供という事になっておりそれぞれの立ち位置によってその役割は異なるものの家庭の中の自分ということである。

仕事人としての自分は若いころから独立自営の道を歩んできているため定年のない仕事師である。職種はデザインを軸にしたブランディングプランナーとして現在がある。
その他は日本国民であり、県人であり地域の住人でもあるわけでそれぞれに役割が存在していているのである。

友人たちとの関係には自分の存在意義を確認することが出来る。という点でこれも「自分」という事になる。

 僕個人としては自分は自分の人生を経営している「経営者」であると認識している。
特に経営していくためにいくつもの課題を抱えていてその課題解決のために少なくない「プロジェクト」を抱えていて日々問題解決にあたっているのである。
 経営である以上は経営の目的は何かを明確にしておかなければならない。実際多くの企業や団体には「理念」「生きがい」などを明記しこの社会の中でどういった役割を担うのかといったことを文章に認めており、企業や団体のレゾンデートルとして共通項目として徹底しようとしている。 同じことを「自分」の中に構築しておこうというのが僕の主張。

 僕の年代になると経済のための仕事を引退している友人が多いが、社会とのふれあいのためにボランティアや趣味にそのライフスタイルを転換している例が顕著である。
 僕は堂々とお金をいただく仕事をしていてるのだが、仕事に関して言えば売上に貢献できているという事が自分のレゾンデートルとなっていて、その仕事の範囲はデザインを切口にしているものの多岐にわたっている。

 得たお金は仲の良い友人たちとの旅行や食事などに役立っているのが実態なのだ。
 ライフスタイルを考えながら
 ファッション、外食、旅、車の趣味など統一感のあるコンセプトライフを目指しているのである。

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2023年12月08日

Aiの事

 人類がコンピューター世界の仮想現実に生きているというマトリックスの中に「救世主」という存在が生じてきます。キアヌリーブスが演じた「ネオ」という存在です。
 人類は彼に救世主の役割を担わせます。彼も肉体はカプセルに閉じ込められていて意識 というか脳波をコントロールされつつも仮想現実に疑問を抱いている青年という設定なのです。

 映画の物語は彼が束縛されているカプセルから救い出されるというところから救世主として覚醒するまでが描かれているのですが、
支配と被支配という二極対立という状況が設定されているものの、お互いはお互いを必要としているといった内部矛盾を抱えているわけです。 


 この事情は現在の僕たちの社会にもいえることなんではないかなどと考えさせられる映画でした。
チャットAIの普及が現実になってきている以上様々な問題が今後生じるであろう


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2023年11月18日

仕事とは何

 君の仕事はいったい何なんだ・・と問われたら僕は詩人と答えよう
そのうえでこう伝えるのだ

 詩(言葉)や絵を活用して僕が今まで費やしてきた関連の深い人々と生活時間の中で

 何に驚き、感動し 生きる目的をどのように捉え 「生きる目的とは、ああこうだったんだ」と感じたことを

 伝えることだと・・・

 その仕事に完成はない、永遠の終わりなきものが僕の魂の旅だと

 そのことを知っているから・・・

  生きる目的そのT 己の個性を磨くこと・・自己の確立

  生きめ目的その2  調和のとれた世界の創造・・環境整備
           環境とは健康生活、経済生活そして 人間愛の生活 三位一体である。

 現代は混迷の時代を突き進んでいます。人々が価値ある財産を手に入れる努力を怠っているようなそんな気がしています
 価値ある財産とは 永遠不滅の こころ をおいてほかにない
 価値ある こころ は磨きをかけることにより 高付加価値になる
 こころ を磨くとは反省をすることによりこころの錆を取り除くこと

 モノや富を追求しますます自己本位の人間が増えているのが現在の状態である。経済界では志高かった創業社長から自第一として出世してきたサラリーマン社長が代々続いてきた結果としていまの経団連がある。 

 学歴偏重主義が中身の薄っぺらい官僚をつくっている

 政治を家業として考えている国家観なき政治家 いや政治屋の跋扈たるや 国際社会での恥である
 国を治める舞台で幼稚園かと見紛う発表会並みの有様、政治の貧困さを思う
 医者は仁術という言葉はすでに死語、教育者はかつて「仰げば尊し」と呼ばれていたが昨今の偏った思想による
 これもサラリーマン化という波にのまれている
 こういった教育を受けて育った人々が親になっているのであるから、子供にも影響しているため起きている数々の事件

 生き方を説く宗教家も同様な体たらくぶり・・・これもすべてのもとはモノ、富の獲得こそ人の道であるかのような風潮がつくった
 国際社会では戦争、貧困、数々の災害。目を覆うばかりの惨状を繰り広げている。

 人類よ目を覚ませ・・・といっても当面は無理
 今一度熟慮したい。少なくとも僕と僕のまわりの関係の深い人々にとって平和でありますようにと、祈り念じ、瞑想をしようと考えている
 今日この頃ではある。

 合唱礼拝


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2023年11月16日

映画「マトリクス」感想のこと

 AI(人工知能)が意思をもって自らが世界を支配するといった目論見をもって、人類と戦うといった話があります。
ハリウッド映画ではずいぶん昔からそんなテーマで多くの映画を創っています。

 特徴的な映画として1999年に公開された「マトリックス」があります。この映画はすでにAIが世界を牛耳っているという前提ですすんでおり
人類は機械的に栽培されかれらAIが稼働するために必要な電源となっていて、その肉体に連なる脳細胞に仮想空間を見せるための電気信号を与えながら生かされているとい状態を創っているのです。

 特殊な生命維持カプセルの中で人間は夢を見ている状態で自ら電気を作り出し、AIが活動できるエネルギーを供給しているというのがこの物語の基本背景となっているわけです。

 設定その2、21世紀のある時 機械を動かしていたコンピュータが目覚め自ら意思を持ち、人類と対決所謂「機会と人間の戦争」が勃発したというわけなのですが、その当時のエネルギーであった太陽を遮ればコンピュータは破滅するであろうと考えたのか、どっち側が実行したかは定かではないが 太陽そのものの光を遮った巨大な雲を創ったという事で地球を暗黒世界にしたらしい。
 ところが人工知能は、人間の体から発せられる静電気によって自らのエネルギーを供給できることに気づき、いかにして人類を生まれさせるかを工夫した結果、人を栽培することによってエネルギーを確保するという方法をとったのです。
 人類は感情を持ちながら喜怒哀楽によってその生体エネルギーが増幅するといった特性があることにも気づきます。その結果としてバーチャルの世界をつくりその中であたかも生きているのだ。といった環境を作り上げたのです。

 設定その3、バーチャル現実の事を「マトリックス」と呼びます。人はその中で生活しているという 思い込みとAiに設計された各人の特性を持たされ、このバーチャル世界に閉じ込められているという事になるわけです。
 生活環境、自然環境、物理現象などは地球上のものと同様のメカニズムをもって設定されているので、原因結果の法則や、慣性の法則、波長共鳴の法則、エントロピーの法、などによって寸分の狂いなく働いているのです。つまりAiの生存のために人類は「マトリクス」にその意識、脳に刺激を与えられながら繫がれているいわば、電源としての役割を担っているという事になるのです。

 設定その4、「レジスタンス」の存在 Aiと人類の戦いで生き残った生身の人類が存在している。彼らは地球内部にあるマグマのエネルギーを活用した地底に居を構えている数十万人の町を形成しているのです。
生活は当然不自由なのですがいずれAIを滅ぼし人類主体の世界を気づくべく日夜戦いを挑んでいるわけで、時折「マトリックス」内部に侵入して情報を収集しているという事になっていますが、この人類たちはカプセルに繫がれていないため、「マトリクス」への侵入は彼らAiにとってコンピュータウィルスという事になり、退治しなければならない存在であるといえるのです。
したがってコンピュータ内には「ウィルス退治ソフト」ともいうべき強力なパワーをもったエージェントというソフトが日々「マトリクス」内を巡回しているという構造になっているのです。

 まるでゲームの世界です。

 解説長山案   つづき・・・あり



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2023年11月08日

死ぬ前に知っておきたいあの世の事

 承前

■ 計画の場・・次の生の在り方に関しては前世の過ちの修正やさらに何を学ぶべきかについて「ガイド」や「ヘルパー」と相談して計画づくり    
  を行います。ここでいうガイド、ヘルパーとは自分の生命系であるところの守護霊指導霊の事であり最も自分のことを理解している方たち  
  であります。
  過去の延長線上としてやり残した課題を引き続き計画することもあれば、全く新しい学びを計画することもあるわけですがいずれにしても
  そこには人としてさらに成長すべき内容であることは間違いありませんその目的を達成するのに適するように生まれる環境を選択します。

■ 選択に関しては、例えばどこの国でいつの時代に、どういう親の元に生まれるかをきめますが、当然性別も含まれます。
  さらに、何を達成したいか、学びたいのかに合わせて@身体的条件 成長後のの体格、容姿、健康状態健常者か障がい者かと様々な能力な
  ど設定します。特定の事を学ぶ為にあえて障がいをもって生まれることを選択する場合もあります。
  ここまでの選択は変更することのできない「宿命」ともいうべきものです。

■ あらかじめの設定・・次にその人生における重要な出来事や出会いについて設定します。たとえば14歳の時に大病を患うとか、将来結婚する
  人かもしれない人との出会いや一緒に仕事をする人との出会いとか、人生の指針になるような書物なども含まれます。もっと言えば映画や
  音楽、絵画などの芸術作品などもそうでしょう。
  但し、こういった出会いや出来事は設定しますが、それに対して自分がどう対応するかまでは設定しません。それはその時に応じて自分が
  選択し「運命」を作っていくのです。
  人生の節目になるようなことは設定しておきますが、実際にどう生きるかは未定で自分で選択する余地は残っているのです。

■ このように人生においてあらかじめ決めている事柄の上に実際の行動が大きく影響を与えていくというのが、「理」であります。
  大きな節目の時点で我々のガイドである守護指導霊の導きは直観として我々の心に刺激を与えてくれるのですが、うける側の私たちがその
  直観を感じる状態にない場合は通じないことが多いのです。
  その原因となる心の動きは次のようなものです。
  怒り、恐れ、悲しみ、苦しみ、恨み、ねたみ、憎しみ、不安、不満、心配、罪悪感、愚痴、イライラ、執着、後悔、悲観、固定観念、
  優柔不断、貪欲、疑い、その他マイナスの感情等
  これらの心の状態では守護指導霊のインスピレーションは受けられないのです。

■ 人生の主人公は現実にこうして生きている私たちであることを確認しておいてください。

 ここまで 坂本政道 著 「死ぬ前に知っておきたいあの世の話」より一部抜粋 ご紹介させていただきました





posted by 筆文字や隆庵 at 09:59| 福岡 ☀| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年11月06日

「死ぬまでに知っておきたいあの世の話し」坂本正道著

 標記した本の内容に死後の在り方が次のように記されていました。人は死ぬとあの世という世界に例外なくいきます。
ただ生前の思ったことや行ったことによってしみついている心の振動数が精妙であるか荒々しいものであるかによって行き着く先は無限に存在していると説明しています。

 この書では次のように分類(ケーススタディ)して説明がなされています。
 前提として死後の姿は非物質の肉体をもっています、物質の世界で活躍していた肉体は滅びていますのであの世の肉体をまとうという事になっています。というよりそのあの世の肉体こそが本来の自分でありこの世の肉体は仮の姿という事になるのです。ちなみに顔かたちは当面生前のままだそうです。
 地上界に肉体は置いてきましたが意識だけはそのまま自分のものであり当然記憶力もあります
 意識は地上界にいる時よりも数倍明晰になっており、本性が表面化しているといいます。但しそのメカニズムを生前机上で勉強していない人はパニックに陥り、混乱している例はおおくあり、自分が死んだという事を理解できないという人もいるのです。

 一口にあの世といっても実は広大な世界です。(意識の調和度により段階あり)
この本によりますと低層界・中層界・高層界 と呼ばれている世界が説明されています。まあ大きく3っつの層に分かれているとのことです。
 それぞれの層を境界線のようなものがさえぎっていて異なった波長が存在しているがゆえにそれぞれの層から上の層には行けないようになっているのです。

 境界線・・・この世とあの世の境があります。仏教でいうところの「三途の川」のある領域で自然の花や草原とともに横たわっているという事です。各人によってその川が大きかったり、一跨ぎくらいの小さい川だったり個人差はあるようですがいずれにしてもこの川の向こう岸にあの世の世界があるという事なんです。次に向こうの世界に渡るための通路として
@川にかかる橋、道、エスカレーター、エレベーターなど
A移動手段として列車、バス、飛行機、船などの乗り物
Bそういう乗り物の乗車場 駅、バスターミナル、空港、波止場
C乗り場に隣接するショッピングモール
D色々な建築物 カフェ マンション、ビル、スタジアム  等

 この世ではないのに建物や乗り物、挙句はモールのようなものがあるなんてふしぎな感じがしますがこれは人間が次の世界へすんなりとは言っていけるよう用意されているのです。
 一体だれが用意しているかといえば私たち人間自身の想念と、向こうの世界のヘルパーと呼ばれている存在たちです。
 ここのカフェには中にテーブルがいくつも並んでいて多くの客でごった返しています。左手にはカウンターがあり、右手の先は明るくなっていて明るい日差しが差し込んでいます。窓の外にはテラスがあり、そこにもテーブルが並んでいます。緑の植え込みがあります。テラスは階段状に何段かあるようで、その先に川が見えます。川面がキラキラと光輝いています。ここにいる人は死んでからあの世に行く人たちなのです。
 この境界線から次にどこに行くのかを考えてみたいというかガイドはどこに案内してくれるのだろうか、

 低層界の事・・・この低層界は2つの層に分かれている@はこの世のすぐ近くにある層 Aはこの世から少しだけ離れたところにある層

 @の状況の事例ではこの世(物質界と重なっているという風に言えるかもしれません)非物質の体のままこの世に居続けている状態です

 ■ 樹海の中で道に迷い、出口を求めて黙々と歩き続けている男。死んだのに、そのことに気づいていない。
 ■ 生前に住んでいた家にそのまま住み続ける女性、何やら独り言をつぶやきながら「なんだか変だわ、物が上手くつかめなくて素通りしてしまう、それに誰も私に気づかない」
 ■ 死んだら墓の下に眠ると聞いていたので実際に死んだあと墓の下で寝ている人
 ■ 病院で死んだあと、死んだことに気づかないで病院内を徘徊し続ける人。親しくしてた看護師さんに話しかけるが反応がないのでイライラしている。看護師の背中に乗ることもある。

 何が起こったかわからず混乱している人もいるようです。彼らの共通点は現実の家や部屋、死んだ現場にそのままいるという事で、その場にとらわれている「地縛霊」といえます

 この領域には死んだことに気づかずあちこちに動き回っていたずらや悪さをする霊たちもいます「浮幽霊」ともいわれる存在で人を怖がらせ   たり 寝ている人の上に乗っかったり、羽交い絞めにしたり(これらを金縛りともいう)性的に誘惑しようとしたりします。
 彼らは一見自由そうですがこの領域からは抜け出せないという点では「囚われ」ています

 Aの状況の例としては

 ■ 病院のベッドに男性が横になっている。その人は死んだことに気づいていない。部屋やベッドはなんとなく薄ぼんやりしていて、向こうが透けて見える。部屋もゆがんでる・・・みなその人の想像が生み出したものだ
 ■ 炭鉱の爆発で死んだ人。岩の下敷きになったまま動けない必死に動こうとするが岩が重すぎて動けない。自分の思いが岩を作り出している。
 ■ 雪山で雪崩に遭遇して死んだ人。雪崩を何とか切り抜けて生き延びたと思いこんでいる。雪山の斜面を霧の中ひとり黙々と歩いている。
  雪山は自分の思いがつくり出している
 ■ アトリエで絵を描き続けている画家、思い通りの絵が描けないので描いては破りを繰り返している。このアトリエも画家の思いがつくり出したもの
 ■ 自分の部屋で食べては寝て、起きては食べるという事を繰り返している太った女性。
 ■ 自分の部屋にこもり、愚痴を言いながらひとりで酒を飲み続けている人

 @Aとも自分の思い込みに囚われているという点で同じであります。何れも地獄界という世界です。

 中層界の事(地獄界だと思う)

この領域は「信念体系領域」とよばれている。ここには信念や価値観を共有する人たちが集まって作る世界が無数にあります。あの世では「同じような思いを持った人たちは互いに引き寄せあう」という原理があります。「類は友を呼ぶ原理」とも言います。
この世でも同じ原理が働いていますが、あの世ではこの世以上に強く作用します。その結果、同じ信念、価値観、宗教観、嗜好、趣味、欲望を持った人たちが引き寄せあい、集まって一つの世界を形づくります。その集団の大きさは数人程度のものから数万人規模のものまであります。事例を紹介しましょう

 ■ キリスト教の特定の宗派の人たちが集まった世界・・・生きていた時に一つの教会に通っていた人たちが死んでからもあの世に同じ教会をつくって、そこに通っている。自分たちか死んだことはわかっているが生きていた時の習慣と信仰心からここに引き寄せられてくる。この世でやっていたのと同じ儀式をしている。
聖書にかかれている1000年王国が来るのをただひたすら待っている。「王国はいつ来るのかしらね」といいあいながらいつまでも待っているのです
 ■ 生きている時に座禅をすることで「悟り」を得ようとしていた人たちの集まり・・・死んだ後も同じことをしている。大きな木の根元のまわりに人が並んで座禅のポーズで座っている。みな黄色の袈裟をきて坊主頭。そこに座ったままじっと動かない。いつまでも座禅をしている。悟りは得られない
 ■ 食欲旺盛な僧侶たち・・・豪華な食べ物が所狭しと並んだテーブルにラマ僧のような服装の人が何名か座って、片っ端からその食べ物を食べている。ところが、その食べ物は口元からぽろぽろと落ちてしまい、うまく食べられない。
 それでも次々に食べ物をつかんでは口へ持っていく。仏教でいうところの「餓鬼界」
 ■ 性的に求め合ってうごめいている人たちが何万と集まっている世界。彼らは必死に求め合いながらも、決して満足は得られない。

 ■ 受験生の世界・・・図書館の一室で様々な学生服を着た人たちが机に向かって一心不乱に勉強している。死んだ後もそのまま受験勉強を
   続けている。
 ■ 生け花を習う集団・・・おしゃべりをしながら楽し気に花を活けている。家元がここでも幅をきかせている

 ■ 議論好き思想を戦わせている集団
 ■ 武士の集団戦ばかりしていて、死んだり生きたりしている

 同じことのくりかえしというらせんに入り込み心の安らぎのない世界。

 生前の思いや行いが作った執着心がこれらの世界に同期して自らが入り込んでしまっている゛地獄゛です。

 あの世の世界B 高層界
ここは光と喜び、優しい癒しのエネルギーに満ち溢れた世界で、開放感と爽快感にあふれた自由な世界です。
先ほどまで記した低層界、中層界と違い自由度があるという事です、とはいうもののここには長居はできません。ここは次の生に移行する準備を行うための場です。中継点といっていいでしょう。活動の概要として・・
 ■ 光あふれる世界にいる間に、自分の家や場所を持つ人が多いようです。そこを拠点として、次の生の準備をしたり亡くなった知人たちを
    尋ねたりします。
   生前の家をそのまま作る人もいれば、理想としていた家をその周りを含めた形で作る人もいます。例えば南洋のコテージ風とか田舎の屋敷  
  等・・どうやって作るかといえば想像力を使うのです。あにかんの世は意識の世界ですから思い描いたものがそのまま形になります。そこ     
  で次の生に関する計画をたてるという事になっています。
 ■ 受け入れの場。この光「あふれる世界」に来る人が最初に到着するところがこの「受け入れの場」ここで温かく迎え入れられます。
  人は死んでからまっすぐにこの「高層界」に来る人もいれば地獄界に立ち寄ってから来る人もいますが、いずれにせよ不安な気持ちを抱い  
  ています。そういう不安を払しょくするために先に亡くなった祖父母や両親、家族、知人が出迎えに来ます(ガイドとして) 。
  さらにここには、じつに多くの場所があり死んだ人たちの期待に沿うようなところにつくことになっています。たとえば美しい公園や
  花の咲き乱れる草原、ホテルのロビーや温泉旅館の玄関、あるいは、金ぴかの御殿の玄関、天国の入り口のような建物という具合です。
 ■ ここは天国でも地獄でもなく次の生へ移るための準備する場という事を説明されます。
  死んだ人が生前どんなことを思いなしてきたかを反省する場であり、人生の決算をする場所であるという事なのです。

 ■ 癒しと再生の場。人は死ぬ過程で何らかの形で肉体的なダメージを受けていいる場合がほとんどです。肉体はすでにないのですが肉体が
  ダメージを受けているという思いがあるためにそれがあの世の体にも反映しているケースがあります。
   そこで、病院で治療を受けたり、リハビリしたり、マッサージをうけたり、温泉治療などをしてくれる施設があります。そういう施設に
  は、医や看護師に扮したヘルパーたちが大勢働いています。

 ■ 教育の場。生前の癖で自分が好ましくない思考・行動パターンをとってきた場合それを修正するために必要な模擬体験を繰り返し行う
   ことが出来る場があります。
  また、ここには巨大な資料館があり、これまでに生きてきたすべての人の人生経験が保管されています。ここで自分のこれまでのすべての
  生について知ることが出来ます。


  あと次号









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2023年10月17日

かけがえのない人生

 100人が100人、すべての人は選ばれし者であることを認識せよ
 数億分の一の精子と一個の卵子、この出会いの瞬間から始まる肉体的命の誕生という奇跡

 この瞬間を経て神と悪魔の合宿所が建設されていく

 100人が100人、大きな使命を持ちこの合宿所(肉体)をもって修行への旅立ちとなる。
 生老病死という避けられない宿命を背負いながら時として喜び、怒り、哀しみ、楽しみといった心の動きに
 翻弄されながら日々をおくる

 途中ふと考える、この旅はいつまで続くかと・・・

 それぞれの人が逃避できない修行の旅は果てしなく続き終わりのない旅となる
 旅の途中よき友を得て楽しい旅となり行き先でよき環境に出会い 旅の意義を知る

 何度となく繰り返す旅 その都度初めての旅のように思う

 それぞれの旅人は循環の法則の中に生きる。

 100人が100人逃れられない宿命の中で自らの運命を切り開くのだ




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2023年10月16日

真実とは

 僕たちが真実と思っている事が果たして真実なのであろうか? と考えたことはありますか
真実の定義とは、それがめに見えるものそのものであるとしたとき、僕たちの直径20センチ程度の頭脳に付属している眼から入手する画像情報と耳から入手する言葉情報、音の情報といってもいいかもしれません。さらに触覚 触ることによって入手する情報、
所謂五感でとらえることによって得られる情報しか与えられていないのです。
 身近なことにしてもなかなか正確な情報を得るという事に苦慮している僕たちが、ましてや遠く離れている場所の情報たるや多くの媒体を通してのみ得ることができる情報はいかにしてその正邪を見極めればいいんでしょうか。
 テレビという四角いモニターに映し出されている情報か、はたまたSNSによる不特定発信者による情報かいずれかであります。

 という事は何者かによって虚偽の情報をながされてそれを無条件に信ずるという姿勢であったらどうなるのだろうか・・
現代の世界の混乱はこういった正邪混合の情報氾濫によってもたらされているという意見もおおく聞く

 そこで僕たちは正しく物事を見るという事をしなければならないのです
現実に対処している自分の心と行動は真実であると思いたいが、ここに自我という名の思い込み、固定観念や生活の習慣、考え方の癖などがあり自分にとって都合の良いもののみを真実と捉えてしまっては必ずと言っていいほど取り巻く環境との軋轢、特に他人との関係におおきな問題を生じさせるのである。

だから自分に関係する出来事に関しては深く因果律や感性の法則、波長共鳴の法則などと照らし合わせてみることが必要であるのです。

僕たちのみの周りに起きる出来事は過去自分が作った原因の結果を受けているし日々の生活の波長によって引き寄せているともいえるのです。
考え方の癖や、思想習慣などが影響していると考えられます。つまり自分の心にないものは目の前には現れないという事なのです。

真実は一つ受け取り方は無数にあるといえる。
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2023年10月15日

宗教の誤解

 宗教と宗教団体は違うのである。

 世界宗教といわれているキリスト教は「神の子」イエスが始祖、教祖といわれているが彼は大工のせがれであって宗教家ではない。
教祖としたのはのちの弟子たちによって作り上げられた虚の振舞いにすぎない。特に「パウロ」によって始まったといわれている。がその通りであろう。

 イエスが偉大な奇跡を起こしたのは事実であろうがその事をクローズアップして、このような偉大な御業を行うイエスは神の一人子であって我々凡人の到底手の届くものではなく、ただ崇める存在であるとの思いを強くもち、その事を多くの人々に伝えていったということだという事が時を経て、のちの教会宗教になっていったものと思うのである。イエスの教えは「愛ある世界の完成のために為すべきことを記してい、その方便のために数々の奇跡を起こしたのである。

 凡そ2000年前の出来事を口伝えで、又文章で、正確に現代まで伝わるものであろうか、ましてや言語は様々なのだからあやふやであろうことは想像できる。

 だから、イエスという方が語ったといわれている「聖書」の存在も以上の理由により、論理的に判断しなければならないだろう。
 
同じことがシャカにも言える、特にお経といわれているものに関して今漢字で表現されているがもともとお釈迦様はインドの武士クシャトリヤだったというインド人である。ならば漢字で表現できるはずはない、少なくともサンスクリット語であったろう所謂古代インド語だったはずである

 それが何故漢語になっているのだろうか、

そんな疑問を思いもせずただ信じるという集団がおかしいと思わないのだろうか。そのことを明確にしている団体はない
キリスト教団体、仏教団体、多くの新興宗教団体など思考停止しているとしか思えないのが現状である。

 宗教上による相異によって戦争まで起きているのが現実。それは宗教上の問題ではなく宗教団体・組織の対立であって真の「宗教」とは別の話しである。

 全ては物質欲と自己満足という空虚な考えによる宗教もどきの信仰が対立を作っているのである。
本来の宗教とは哲学がないといけない、論理が明確でないといけない、科学的な説明ができないといけない、常識的でないといけない

 個人の考えでは到底及ばないのが自然現象でありそれこそが宇宙を示す教えである。
凡ての宗教団体はその自然の事を学習しなければならないのである。

posted by 筆文字や隆庵 at 22:23| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年10月14日

無能の知について

 実行することがなくただ知っているだけならそれは「空想」である。

 知恵なくして行うのは妄動である。

 学問をする者は心眼をひらき、偽物の姿を見てこれを本当のものと思ってはいけない

 「中江藤樹のことば」より

 真の学問は、人の心の汚れを清めて行い良くすること

 悪い学問は博学の名誉を欲するためにただ知識を詰め込む といっている


 学問は立派な人になろうとする学問は自分の徳を磨くためにするのであるから道を体得することを尊ぶべきである。

 雑多な学問をして外面を飾り立てるようなことはしてはいけない

 ところが最初の学問をする者はその精神を忘れ、他人に自慢するための、まるで嫁入り衣装を作るようなことをしている

 隆庵所感

 三流の政治家の国それが今の日本国。欲におぼれた人々
あわれなり

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僕は何者?

 君の仕事は何か と問われたら僕は詩人と答えよう
 
 そのうえでこう伝えるのだ「言葉や文字、絵を活用して 僕が費やした人々と
共に生きた この世での生活時間で何に驚き感動し 生きる目的をどのように捉え
 人生の目的とは ああ゛こうだったんだと悟って感じたことを伝えるのだ」

 その仕事に完成はない 
 伝えきれていないことはあの世で、また来世でという風に
 
 永遠の魂がそのことをのぞんでいる以上 終わりなき旅は続くのだ

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2023年10月01日

英語教育がおかしい

英語が喋れて学歴が高かったら出世すると様々な場面で聞く。
おかしくないですか、
英語が語れるからといって、グローバルな社会で活躍できるとでも思っているのだろうか、言葉は自分の存在や意見を主張することと日常的なコミュニケーションのために存在しているという事がまず前提であろう。

 国際社会において国同士が仲良くするために言葉は当然必要であるが、真に大事なことは自らの理念や、所属しているコミュニティの事やそのあり方、大切にしている事とか守らなければならないことを理解したうえでの言葉でないと、単なる交流にしか過ぎない。

 日本語での会話、対話でも同じような理屈がある。わかっているはずの日本語同志の対話でも齟齬があるわけだから、外国語に至ってはその齟齬が増加するという事は当たり前であろう。

 要するに言葉は意思疎通の手段であり、目的にしてはおかしいと僕は思うのです。
 相手の立場を理解しようと思ったら、背景にある文化や相手が育ってきた経緯、歴史、地理的環境に大いに影響されているのだという頗る簡単な理屈であります。

 したがって真の国際人たらんとするならば、まず自らを取り巻く環境、過去の歴史、所属する組織の成り立ち、その組織が何を大切に思いどうあろうとしているかを明確にしておくことが優先されるのではないか

 これは、国家間のやりとりも社会の中でのやりとり、個人対個人の関係も何ら変わることはないでしょう。

 柄という言葉を考えてみよう。お国柄、地域柄、家柄、人柄、などとよく言われます。そうした現状が今の世界・社会を構築している元になっているような気がします。

 それはそのまま 平天下の達成に必要な事柄として存在しているのです。
 お国柄を治める治国、国家の経営を安定させる事、その下の区分で地方がありその地方を構成しているのが各家庭でありこれをととのえる斉家、家柄は人柄によって構成されているとしたときやはり修身という課目が必要という事になるのだと僕は思っています。

 全てはこの修身という課目から始まるのであって今の我が国にとって最も欠けている課目であると僕は思うのであります。その人間として生きていく徳目がないがしろにされ、物質の充足こそが人の目的となっていて、足ることを忘れた「欲望の塊」となっているのが現在の世相であるから、各地で戦争は怒り飢餓に苦しみ、いつまでたっても心が休まらないのであります。

 物質獲得が第一目標となっている以上学歴も受験戦争というものも、学問の本質を忘れた記憶力さえあればその戦争に勝ち抜くという、人間性、所謂人柄など関係なき世界観で構成されているのではないか、というのは政界、財界、学界、文化の分野、はたまた宗教界、教育界の人々を鑑みればいかに人間としての品がないかを知らされているではないでしょうか。

 いつの間にか学問は出世のための芸になってしまい、学者は自分で権威を作り上げることに血道をあげ 政治家は自分の生活費を得る為の手段に成り下がり・・選挙はあたかも就職活動のごとく有様、創業社長のような使命感や世のため人のためにという高邁な精神を有していたかつての経営者は、任期のあるサラリーマン社長によって自分の任期だけはうまくやって退職金で余生を贅沢にく暮らそうといった利己主義者の塊になってしまっているから、平気で消費増税などを容認する「財界人」の存在、コロナ禍で増収増益を確保した「医師会」の存在やこれらを操っている「官僚の諸君」国家観なき集団 愛国心が悪であるとまでいう「左翼市民」

 それでも僕は「日本」は世界の中でも大切な国であることを信じています。

 何故なら「国民」のレベルはどん底に落ちているとは思わないからであって、底力を信じているからです。

 歴史と文化を学ぶ姿勢を失わないようにしたいものです。

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2023年09月04日

自らを奮い立たせる言葉を身近に

 毎日の生活の中で、目につきやすいところに自らを奮い立たせる言葉や、偉人の人生訓、文言等を観ながら暮らす。
無意識のうちに心の中に入ってくる情報は本来人間が有している才能、能力を潜在意識層からの表面化を促し、自らの人生を豊かなものに変えていく。

 言葉にはそんな力があります。自分で自分を洗脳するために活用していきましょう

 自らの運命を好転させていくエネルギーが生まれてきます

僕の好きな言葉は 「知行合一」・・・・知るは行いのはじめ行いは知るの完成・・・調和のために何をなすべきかを知り、どのように振舞うかを日々考え、計画し実行する。

 毎日そうとなえながら日々を生きていきます。IMG_3309.JPG

 画像はくまもん起き上がりこぼし。お客様から好きな言葉をかいてくれぃと注文をいただき書きました。

 こちらで注文を承っています

  http://www.nagayama1997.com
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2023年08月31日

軽佻浮薄

 物事の本質を熟慮することなく、上っ面の薄っぺらい情報に左右され何の根拠も持たずしてうわついた言動に終始している人。
福島における処理水の件 反対などの意見を述べている政治家やマスコミの識者と呼ばれている人たちの事を思うと情けなくなってくるのだ。

 韓国や中国の抗議なんてのは単なるディスカウントジャパン、いやがらせとしか思えない。国際的にみて基準をはるかに下回っているのだから文句を言われる筋合いはない。

 それどころか抗議している国の処理水は我が国の状況よりひどいのにである。
 物事を冷静に見たら当然理解できるはずなのに、もともとゆがんだ国家意思しかないため件の状況を作っているのだが、それに同調している日本人が存在しているというのだから驚きである。

 高学歴のお偉いさんが言っているらしい

 恥とは思わないのだろうか・・まあ物欲の塊だから、金になるからこういっているのだろう


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2023年08月07日

常に学問とは何かを考える

 学問は常に心と一致している事が肝心であって心なき学問、「知識偏重」といってもいいだろう。そのことによって優越感を持っている人の多きことが現在の世界を司っているから、様々な問題が起きているのである。
 よって自分の心をしっかり把握して修養していくことが大事である。

政治を行う場合は第一に目をつけるところは「情」の一字にある。人情の機微に従って世を治めるこれ王道という。学問も徳をもって学ぶべき。

 昨今のパンデミック対応に対する有識者と称する「学者」の右往左往ぶり、や医師会の横暴と医師会に配慮する政府の右顧左眄ぶりはなぜ起きたのか

 所謂今の学者の失敗は学問が狭いからではなく広いため失敗している。学問が偏っているから失敗しているのではなく追求するのが浅すぎて失敗しているのである。
 そもそも医者は細菌学を徹底して学問しているわけではなくその分野は専門家の意見を素直に聴けばいいのにそれを怠る。

 本来学問は立派な人になろうとする心構えがまず必要であってそれは、自分の徳を磨くために学問があるのであって「道」を体得することを尊ぶべきである。雑多な学問をして外面を飾り立てるようなことはしてはいけない
 ところが最近の学問をする者はその精神を忘れ他人にじまんすするためのまるで嫁入り衣装を作るようなことをしている。

 要するに人間が薄っぺらいのだ・・・・

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