2022年07月03日

厳しい正法

生まれ育った環境、なかんずく最初に影響を与えてくれるのが、両親であり、基本的にその両親の価値観がその子供に影響を与えていくのだ。という事を考えなければならない。
 この世に生を得た赤ん坊が最初に認識するのが母親であり次に父親であろう。その影響下にありながら育っていく

物心がつき始める2歳ごろから感じる家庭内の雰囲気から赤ん坊ながら自らの位置を感じ始め、3歳4歳となり次第に最も近しい母親の立ち位置に同化していくものもあれば逆に父親に同化していくこともあり、それはその時点での両親の在り方によって左右されるのであろう。

 子供は純粋であるといわれるが決してそんなことはない、環境に対して敏感であり、相対する大人によって態度を変えるものである。
という事をよくよく考えていきたいと思う。
 命の尊さを知っている親の子は愛され、人を愛することを知り、本来人が人として平等であるという事を知りそれぞれの役割を尊重できる尊いものだという事が心の中で育っていく。
 あたかも十分に耕かされた土地に蒔かれた種子はすくすくと育つかの如く

 半面愛のない家庭に生まれる子供もいる、それどころかほったらかされ抹殺される子もいる、そこには愛はないのか不憫を通り越しているが

 これすらも必然であると、因果律であるとされるのも神理であり原因と結果の法則下にあるというのである。
 そして万物の働きはすべからくこの法則によってある
 過去世から持ち越したものもあるという事を教えてくれている。

見た目、物質界では子供であっても その魂は幾度となく地上界を体験し数々の善行と数々の悪行を行ってきていてその結果を受けているのである。と、厳しいがそれが法というものである。

 



 


posted by 筆文字や隆庵 at 22:50| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年07月02日

心の中にある捨ててもいいもの

 私たちは有限である肉体とともに未来永劫・・・というより過去現在未来に永遠に存在している・・・心と同居しているのであって現在地球上にある物質とともに今ここにいるのです。

 霊視できるのであれば今の現実にある肉体とその肉体にピタッと重なっている次元の異なったもう一つの肉体が見えるはずであり、「死」とはそのもう一人の自分が離れるという事なのです。
もう一人の自分は実態があって、重たく鈍感な物質から解放された軽やかな、すがすがしい存在であることを理解するでしょう。執着を捨ててしまっていたらその心は天に上り明るい世界に住することになるのですが、執着を捨てきらないと、どんよりとした雰囲気の中に自分を押し込めてしまい本来明るいはずの世界を自らして暗く考え、そしてつらい思いでしばらくは生きていくのです。

 この世でしか役に立たないものやことにしがみつき手放せなくなってしまってる状態を心の中のお荷物、執着というのです。
 
生きているときに持っていた地位や名誉や財産、学歴、美貌とそのことによる優越感、又これらの反対の世界観で地位に対しての反発感や恨みねたみ、そねみ、美醜に対しての劣等感などの心は捨ててしまわなければならないものなのです

 では、なぜ執着心があるのでしょうか。その執着心とはどこから生じていったのでしょうか・・・その事をじっくりと考えなければならないと思います。
 考えられるきっかけは私たちが生まれ現在に至るまでの思ったことと行ったこと、それに関連して発生した現象の数々にヒントがあるわけです。以前のブログで何度も述べている「原因と結果の法則」の中にそのカギがあるのです。

 いずれは消えていくこの世的な物質が大切であるという考えが世界的に蔓延していて、財産をたくさん所有しているのが偉いのだといった風潮が世界を支配しているためで、そのためには金儲けしなければいけないとばかり経済活動にまい進する。それにはいい組織、会社にはいって出世するか(財界人)、自分で会社を興して儲けるか・・・または官庁にはいって、政治家、大臣を目指すかはたまた専門家として著名になるかなどと考える。この考え自体は別に問題ないが要はそのことによって優越感や劣等感をもつことなのであって、得た利益を自己中心の欲望のためにのみ考えるという事が問題なのであって、執着の元なのです。

 世の中はそれぞれの個性が絡み合ってそれぞれの人が社会の中で貴重な役割を演じて人生を豊かなものにしていくというのが真理なのだから
各人がそれを理解し実践していき、この世から去る時になんの執着を持たずに、滅びゆく肉体にこう呼びかけるのです「私の肉体よ、よくここまで頑張ってくれたものだ、今から君は灰になって地球に帰っていくが、私はこれからあの世という世界に移住するのだ、再びこの世に生まれるときはまた君たちの元素にお願いすることになるだろう、その時はまたお世話になります」と・・・

 さらに見送ってくれている親族や仲間のみんなにはこういいます「みなさん、私は先に天上の世界に一足先に還ります、いろいろとお世話になりました、またあの世に皆さんが還られた時にはお会いして地上で生活していたころの思い出話に花を咲かせようではありませんか、ではひとまずのお別れです。さようなら・・・」と

 こう言える自分でありたいと本日もまたがんばります。

知行合一.jpg



 
posted by 筆文字や隆庵 at 09:55| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年07月01日

要約「山上の垂訓」

 空を飛ぶ鳥は地上に倉をつくることをしない、地上の動物もその日の生活に満足している。
明日の糧を求めて相争うのは人間だけだ

 鳥や動物はその日の糧で生きながらえている、万物の霊長である人間が明日の糧を求め、それゆえ独占しようとし
争う姿が果たして正しいのであろうか

 生き急ぎ死に急いでいる姿はまことに愚かしいことである。

2021-11-13 16.57.39.jpg
posted by 筆文字や隆庵 at 15:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年06月30日

希望の日々

 人はすべて、明日という希望に満ちた時を迎える準備ををしているといえる。
それも、例外なくである。なぜならばすべての人は永遠の命を持つものであり、この世だけでの存在ではないからである。
 物質である原子肉体が滅びた後は光子体というあの世の体に魂をのせ活動するのである。

昨日よりも今日、今日よりも明日というように日々の研さんをしている人、怠惰でなにもしていない人というのは本来はいないのである。
日々の研さん、努力行為、日常の暮らしぶりなどはそれぞれが来るべき将来を創っていく原因となり

結果として人はそれぞれの事態を受け取ることになっている。
自己本位の思念と行為はそのことの反動として自らの運命を形作っていきその事態の対応方法によって
そして新たなる原因を作るというのが法則であることを知らない人が多すぎると思う今日この頃ではある。

[028062].jpg
posted by 筆文字や隆庵 at 12:48| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年06月29日

夏越の祓、半期決算

夏越の祓・・・6月という頃一年の半分を経て罪穢れをおとす祓の行事があるという事
日々忙しく過ごしてきたため知らず知らずのうちに人様に迷惑をかけたこともあったろう、自分自身を傷つけたこともあったろうということだから、それら一切をお祓いしようとしたものだと思います

年末の12月は年越しの祓というのです

これは一年間の罪穢の祓いです。
神道の儀式ではあるがキリスト教では懺悔、仏教では止観

企業経営では決算・・・社会の節目はどの領域も同じサイクルかな



posted by 筆文字や隆庵 at 09:06| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年06月28日

日本の旬 七十二侯

 旧暦 夏至の次侯で菖蒲花咲く というところなんですが実際にはこの花が咲いたら梅雨到来という季節だそうですが
昨今少しはやまっていて すでに南九州では梅雨明け宣言だそうでなんともはやいそがしいこって

旬の魚・・・刺身で一杯やりたいものです

 脂ののったかんぱちは癖のない風味がいいという方が多いようですね

無題 - 2022年6月26日 17.06.04.jpg

 

posted by 筆文字や隆庵 at 15:41| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

苦しみの原因 

 苦の原因は、増長慢、自己卑下、自我我欲、愚痴ったりそしったりして、自分自身をその中に入れてしまうところにあり、こうした状態がいつまでも続くと自分の意識まで腐らしてしまいそれはそのまま地獄に通じてしまうということ。

 八正道の実践のうち正しく見るという事は前述した
次に正しく思うとはどういうことかというと、心の眼で見るという事 正見)
つまりこれは各人に内在する潜在意識の世界観から、ご都合主義、我田引水にならないように、ご都合主義を排除した思い善意なる第三者の立場から思うということであり
 この思いによって物事が創造されるという原理原則を学ばなければならないのである。

正しく語る・・正語に関して不調和を引き起こすような言葉は使わないという事は当然であり、コミュニケーションの道具として対話や文章に至るまでいきわたるものである。

  ここから生活の場面について説く

正業・・正しく仕事をなすについては、まず第一に与えられた仕事に責任を持つことであり第二には他に迷惑をかけないことである。
  
 具体的には約束事を守る。
約束ごととは時間や方法、手順のこと そして経済的な利益のことである。

 第三は独占しないこと、第四は万人のための正しい行為というのが重要である。

 仕事を通じて己の心が神仏の思いと調和されたか、さらに万人のための仕事としてなしえたかどうか万人のための調和にどう寄与したかが正しく仕事をなす根本だとしいう事。


posted by 筆文字や隆庵 at 12:54| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年06月27日

政府への意見

真剣に物事の判断について考えたいと思う。
報道によると関東地区の電力がひっ迫してるから、節電をせよという
政府からのお願いだという
報道によると熱射病に注意し、冷房を適切に調整せよという
政府からのお願いらしい
コロナが心配だが熱中症が心配だからマスクは自分で考えてするかしないかを適宜に決めてほしい
政府からのお願いらしい
つまり、各自自分で考えてくれという事らしい
結果何のために政府が存在しているかを自分たちを慮ってくれ、と言っている
世界がきな臭い環境になっているが防衛費を増やすのにこまごまと意見調整をしている
専守防衛を旨とする憲法論議は後回しだという
専守防衛とは国民の誰かに被害があったら防衛しますという事という事をどうやら理解させまいとしているらしい
いつも国民は愚かだからといって様々な政策をー立案し実施する
いい加減にしてほしい
 
あほな大将敵より怖いとは・・・けだし名言なり

posted by 筆文字や隆庵 at 20:24| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年06月25日

色心不二

 あの世とこの世と同時に生きているのにそのことに気が付いていない人たちの多いこと。このことが理解できればすべての人が平和な人生を送っていけるだろう・・と主張したい
 なぜならば 私たちの思考は即座に霊的な環境にコンタクトされ、それの実現を目指し肉体的な働きに直結するというメカニズムになっているからである。
 思考そのものはその善悪に限らずそれぞれバイブレーションを発し、しかも波長という波型を持っているのであり、その波長に合ったものや人を引き寄せるという事になるのである。
 何もないと思われる空間には数多くの波長をもった素粒子、波動というものが飛び交っているわけであって、そこには音楽のメロディやら絵画のアイディアなどが振動として存在しているという事なのである。
 天才と呼ばれていた「モーツァルト」は作曲する際に音符が降り注いでくるといっているし、レオナルドダヴィンチも描きたいシーンが目の前に広がるのだといっていたらしい

 この世に存在するものはあの世にも存在していると高橋信次師は講演で述べていられたし、かつまだこの世ではないものもあの世にはあるのだともいわれていた。
 かくのごとく、すべからく私たちはあの世とこの世を同時に生きているという事になり、幸不幸も思考から生み出されているという事を知っておくことが重要であるのである。

・・・・先思後動より

[028042].jpg
posted by 筆文字や隆庵 at 14:13| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年06月22日

私の仕事

デザインが未来をつくるという事
 人間社会が成熟していけばいくほど人々は日常的に生活していくための基本機能は充実
取り立てほしい商品が当たり前のように存在していて、それを供給する側からはどんな商品開発によって自らのサバイバルを図ろうかと
苦慮しているのが現代の市場であります

 今、存在してはいないがこんな商品があればいいなと思うものを 想像して創造する これこそが未来を豊かな社会にする商品なのだ

 こんなキャッチフレーズで数々の企業は生活創造提案を旨としているのだ

「ライフスタイルオーガナイズが私たちの使命」・・・

 そんな企業って多いですが、その存在を知らしめるためにはデザインが、不可欠という話。2021-06-22 15.11.47-1.jpg2021-06-22 15.11.47-1.jpg



 わがふるさと 熊本阿蘇のふもと高森町から観る「根子岳」の風景なり
ラベル:筆文字看板
posted by 筆文字や隆庵 at 14:00| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年06月21日

思うという事はエネルギー発散するという事

 エネルギーとは量子でありそれは粒であり同時に波である。
 何らかの意思をもって発信されるエネルギー自体には善悪などなくただエネルギー粒子として存在する。
 そこに意思という私たちの思いが重なって一定の方向に向かう事になるのである。
 またエネルギーとは波動、それも発信する主体の目的意識に合致した波長をもって宇宙空間に発せられるのである。
 波長共鳴の法則どうり同じ意思をもったエネルギーと同調し増幅もしていくのである。

 それは光の波として存在し発信と受信の理屈がそこにあり、例えばラジオやテレビ局が保持しているヘルツなるもので
 映像化されたり音が聞こえたりするというものと同じ原理である。

 私たち人間もそれぞれの発信する意思のエネルギーの波長、周波数によって同期したり分離したりしているのである。
 知らず知らずのうちに味方と敵という言い方や、相性が悪いなどというがそれはまさしく波長の共鳴度といえるのである。

 上下運動の激しい波長、静かな波長、荒々しい波長、それぞれ各人がどんなエネルギーを発しているかを考えてみよう。
 
 思考はエネルギーであり意思を持った波長をもっており同調したり反発したり様々な波長が入り混じっているのが私たちの
 世界であるといえよう。
 だから、なんとなく苦手な雰囲気だとか馬が合いそうだとかの思いが起きてくるものなのだ。

 
posted by 筆文字や隆庵 at 09:37| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年06月19日

正しく見る(八正道より)

 釈尊の教えにある八正道とは、もともとの苦の原因が増長慢、自己卑下、自我我欲、愚痴ったり、そしったり、妬んだりして自分自身をその中に入れてしまうところにあり、こうした状況がいつまでも続くといつの日か自分の意識まで腐らしてしまいそれはそのまま地獄の世界に通じ、本にいは明るい現実を暗いものにしてしまうという事なのだから、いかに日々を生きていけばいいのかという課題に対して八正道という物差しで対応していきなさい。という八つの正しい態度について説明をされたのである。

いついかなる状況の中でもまずは正見・・・正しく見るという事が大切である。

どういった立場でみるかというと 心の眼で見るという事であってこれは各人に内在する潜在意識の世界であって、現象の近視眼的なものと異なり宇宙的立場、世界的な視野で見る守護霊の世界の立場、すなわち正しい見解をもつという事になるわけです。
特に自分に関係のある事柄については善意の第三者の立ち位置からの観察が必要という事になる。

自らの行動に対しても正しく見るということが大切であって、一瞬一瞬目にするものやことをその真実はどこにあるのかを見極める訓練を私たちはしなければならないのである。2022-02-08 20.46.14.jpg
posted by 筆文字や隆庵 at 12:24| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年06月17日

責任について

自らの人生経営というか日々の生活というか、いろんな立場の自分があるという事を考えてみたい
どんな人にもついて回るのが「責任」という名の課題。その責任を全うするために私たちは努力というものをする。
どんな立場であってもそれぞれに責任というものがついて回るという事を知らなければならない。
責任とはある意味「約束事」であり、ある意味「目標達成」であり生存そのものを左右させるほどの重要性をもっているのが「責任」という名の課題なのである。

プロ野球の世界に於けるコーチという職業人の責任は、全体を運営する監督に対して適宜の選手を育て、通用するような技術でもって成果をあげること、それが責任というもの

業績アップの約束している経営者は数値目標に対して責任を持つ。
会社ならば予算達成の約束は責任と同義

家庭では妻や子の安全確保も責任である
女性として家族の世話をするのが責任である・・・というと反対論者の叱責を受けるかもしれないが・・
政治家は国家の現在と未来を構成する道筋を考え実行するという責任を持つ

いずれにしても世界は約束事とそれを守ろうとする責任という科目が両輪となって回っていくことが真理であろうと考えるのである
それができないときに物事は混乱 不確定な不機嫌な現実が訪れてくる

それらの原因はいつの時かに責任を全うしていないときに作られている

このことを反省すべきである
2022-06-07 17.50.56-2.jpg

ひまわりを成長させると約束をした僕はその責任を果たそうと毎朝水をあげたり 撫でてあげたり 言葉をかけてあげている
それが責任



posted by 筆文字や隆庵 at 22:39| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年06月15日

自分の歴史

 古希の同窓会、小学校時代の友との交流あり懐かしき風景がよみがえる。
割と気軽に参加しようと思ってましたが
 長年の様々な理由ここにありてすべてが懐かしいものばかりではなく、触れられたくない事柄もあるというのが小学校時代から芽生えていたというのが実感としてあるものだ。
 そこには、私たちの幼き時代の大人たちに左右させられていた問題も踏まえていて、各人それなりのレッテルが張られているものなのでしょう。
 永年の推移ありても ひとつの認識としてあるようです。幼いころの影響は各人の家庭環境からにじみ出る立ち振る舞いが各人のアイデンティティを形成しているような気がする。・・というのが小学校の同窓会

 地域の中での小中学校という事ならば、校区の関係から少しは小学校時代より範囲は広がるもの・・・である。

つまり・・
 それぞれの人生はいくつかの区切りをもってその時々に色々な決断をするようになっている。それはまるで小さな田舎から都会に出ていくときの道のようなものであり、特に山村で生まれた私にとってはそんなに多くの選択肢はなくあぜ道から村道へそして県道、国道へと合流していくという事になっている。
 その都度、人は増え選択肢は広がり見聞も増えつつ環境への対応力もついてくるのである。

小学校がいくつか集まり一つの中学校に行くのだがその時点で一つの選択となり学業や運動能力などによってそれなりのグループが形成されていく、その後高校、大学と、また一部は社会人として旅立つ人などそれぞれの人生の主人公として自らの歴史を紡いでいくのである。

実は、様々な時点における決断というものはこの世に生まれてくる前に色々と計画しているという事は前にも述べた。そういう意味ではある種の運命というものかもしれない。たとえば過去世においては王として生まれ、その生涯を窮屈にしながら一生を終えたので今度はのびのびと生活できる環境で自由に趣味に没頭しよう、その中から神理をまなぶといった方針をたててきた人は、頑張ってみても政治的リーダーにはなれない、仮に何らかの後押しでなったとしても、もともとそんな計画は立ててなかったのでうまくいかないことが多いのである。
 
各人の運命には上限と下限とがあってそのあいだを上がったり下がったりして一生を送るのである。
上限はその人の運命の好調時、下限とは最低時、一番苦しい時期である。
上限 下限の枠は各人によって異なっているのでその枠の外には出られません。大抵の人は下限と中間の間を行ったり来たりしている場合が多いのである。

ここに、神理正法を学び理解し実践することの重要性がある。

高橋信次先生の話をきき、本を読み実践していくとその各人の運命の下限に落ちることなく上限にまで自分の運命が切り開かれていく
病気が治ったとか事業が好転したとか、いい顧客に巡り合ったとか、いい職業につけたとかはこうした原因によるものである。

 以上のように自らの歴史を歩んでいく過程に神の光を導いていくためにはそれぞれの機会における判断、決断が正法にかなっているかを考えていくことがだいじでしょう




posted by 筆文字や隆庵 at 10:25| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年06月09日

ひまわりが咲いた

 春先に種から育てたひまわりがつぼみから黄色い花びらを開き自慢げに胸を張っているようです「どうだ、咲いたぞ」とばかりの態度である。
あんな小さな粒がこんなになったのかと思うと感慨深いものだ

 かくのごと生命の営みは実に巧妙で不可思議で神秘的であると思う。

この生命がどのような経緯で発展し生成しそして次世代へつなぐものであることそのプロセスを研究し語り説明してくれる学者は多い
だが、その生命を生命たらしめている根源に関しては現代生物学で解明できないという事

 生命活動に感動2022-06-07 17.50.56-2.jpg
posted by 筆文字や隆庵 at 19:32| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする