2023年08月05日

人間の生き方その役割

 自分が一体何者かと日々確認することを大切に思っている。
何者であるかをという事は同時にどんな役割を持っているかについて日々考えているという事になる。
 さらに何者であるかという事は自らの人生という歴史の中で体験によって培われているように後天的な要素をももっているといえるのである。
 
そもそもの生まれ持った性格に周囲の環境や教育、親の在り方の影響を受け人格を形成していくのである。
少年期、青年期、中年期とそれぞれの年代に応じた問題解決の連続というのが大きく自分を構築していく。

 その時々の役割、立ち位置によって解決すべき課題のありようは異なるもののいずれにしても問題解決への努力が自らのアイデンティティに大きな影響を与えていくのであろう。
本来の自分は「徳を高める」という目的のために今を生きているのにその目的を忘れ物欲のとりことなり、そのためにあらゆる問題を惹き起こしていく。

 それぞれの問題解決のために
自分でいう言葉は自分の耳で聞くことが大事
自分の立ち振る舞いは自分の眼で見ることが大事

そうして、自分で見自分で聞いて心に恥じることがなければ人もまた敬服するであろう。

「人のふり見てわがふり直せ」
人生には順境もあれば逆境もある。これは栄枯盛衰の自然の法則で少しも不思議ではない。
だが順境の中にも逆境はがあり逆境の中にも順境がある。

 だから逆境にあっても不満や自暴自棄の気持ちを起こさず、順境の中にあっても慢心や怠る心を起こしてはいけない
 ただ敬の一字をもって終始一貫とするが良い。

  心静かに自然が生み出す草花をみていると少しも無理なく強いてやってやろうという気構えは全くない・・・
  
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2023年08月04日

言志録より

最も優れた人は天を師とし、次に優れた人は聖人を師とし、その次に優れた人は書物を師とする。
  
※ 天とは「自然こそ最良の師である」というところの自然そして宇宙の真理のことをいう。あるてはキリスト教における創造主・神と考えてもよい。かつて夏目漱石のいった「則天去私」自我を棄てて天に従う・・・という天と同義である。
高橋信次師はそれを「大宇宙大神霊」といわれた。

※ 2500年前の釈尊はこの世を去る時にアナンを始めとした弟子たちにこう言った「人を頼りとせず法を頼りとせよ」「法帰依・自帰依」を説かれ最後の説法とされた。

つまり宇宙自然の公理は公平普遍なので、優れた人は天を師として教えを受け、次に聖人、書物となる。もちろん聖人・書物から学ぶことも重要だがそこにはそれぞれの表現方法の違いがあり言語の解釈によっては天理と異なってしまう場合があり万人の師としては言い難いものだ。

仕事をする場合は、天に仕えるといった謙虚な気持ちで行うのが大事で、人に自慢しようといった気持ちがあってはならない。

現実をみるにつけ昨今の政界、経済界また教育界に於いて指導的立場であるはずの人たちの徳性、品性のなさにはあきれてしまう。

学問の何たるかを知らずに地位名誉、物質的利益のためには手段を問わない人々のなんと多いことか、自民党女性諸君のパリ外遊の件など自らの立ち位置、役割がどこにあるのかを忘れている結果ではないか。百歩譲ったとして、言い訳として視察のためという大義名分があったとしよう、それにしても世の中は思い込みと誤解を生じさせるようなマスコミが情報支配しているといった自覚が欠如しているとしか言えない。

ビッグモーターの事件に関してはこれも物欲のなせるわざ、その典型的事例。これら中古車市場に対する裏切り行為であろう。
またぞろ日大アメフト部問題の発覚。いずれも天の法則に反する事ばかりである。

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2023年08月01日

学問とは

 学問にはげむという事は立派な徳のある人間になるためにするのであって、決して学歴を得て社会的な経済的成功のためにするものではない。
単なる知識を得て試験やテストの解答のためにあるものでもない。
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2023年07月28日

言葉の乱れ

 最近の女性の言葉遣いに驚いている。
電車やバスに乗っている若い女子たちの仲間言葉とでもいうのであろうか、とにかくむごい
家庭でもそんな言葉を使っているのであろうか。一昔前の(今でもか)不良少年、やくざ言葉とでもいうべき言葉を若い女の子が使ってる
「てめえ」「このやろう」「○○じゃねえよ」「やばい」「ざけんなよ」など
聞くに堪えない・・と思っていたら
 我が国の言語による論議の場、国会に於いての某女性議員の「やじ」の言葉の汚さに驚くと同時に美しいフレーズによって成り立っている「日本語」の乱れはこんなところにも表れているのだと情けなく思う次第であり、国民の見本となるべき指導階級の方の良識、教養をも疑ってしまう、いつから日本はこうなったのだろう。

 考えてみよう、言葉を発する前の状況を。当たり前だけど言葉を発する前には必ず心の動き、思うという行為があるのである。では何を思って言葉にしているのだろうか、思う内容によってさまざまな言葉遣いがあらわれてくる。相手を見下す言葉、罵倒するする言葉 いつくしむ言葉
優しい言葉、勇気づける言葉、それぞれは日々の生活上に大きな影響を与えていくのであるが 今日の問題その言葉の知識の問題である。つまり「語彙力」不足としいうより無知勉強不足による、知識の欠如といえる。

 その欠如の原因として文学文芸の世界衰退にあるのではないか、文字離れ、アニメ全盛の簡便セリフ回しによる物語の展開。母国語を満足に学習していないにも関わらずの英語教育の推奨、我が国の歴史に対する無頓着さは文化レベルの低下を招くというのは当然のことであろう。
 教育界においては学歴至上主義がはびこり、高偏差値の学校に行っていながら一般社会での言葉遣いや真の「教養」を持ち合わせていない方々か゛重宝されている世界になってしまっている。

いずれにしても、言葉遣い一つで仲間の種類が決まり同一化現象で、野卑な言葉を使っている人の集まりは野卑な人々が、丁寧な謙虚な言葉を使っている人々の集まりはそれなりの人が構成していくのは「波長共鳴」の法則どうりである。
 ただ、それは形のみ追い求めていても心の中からそうでないとたんなるかっことりになり続かないのである。
言葉遣いの本質は心の中の環境と深く影響しているという事を知りたいものである。

 言葉遣いの乱れはそれ相応の仲間との集団ができ、その集団を利用しようとするこれまた悪い奴がいるという事を肝に銘じていこう。

心の乱れが言葉の乱れに繫がり、言葉の乱れは行動の乱れにつながるという事をしって、修正していこう。




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2023年07月27日

隆庵考

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阿蘇山ぐるりとコレクション 
故郷である阿蘇の思い出を「根子岳」を中心にした山々を描きながらさまざまな出来事や思いを記し自らの歩みを再確認していきたいと思う。
 屋号「隆庵」の意味するところ
本名 隆 の心の中にひっそりと存在している「庵」は過去・現在・未来の三世を生きるもう一人の私の居るところ。そこから覗き見る「森羅万象」「人生の機微」「心の世界」を追求することによって人とは何か、自然とは何か、宇宙とは何かといったことを形而上に求め、感覚的にとらえたものをどう形而下にて表現できるかを絵画という手段をもってわが「庵」に投げかけようとしているのである。
 物質を物質ならしめている「エネルギー」という存在、目には見えないが確実にある。
その物質の仲間であるこの地上に個性をもっているかのごとく目前にそびえたちたたずんでいる山々
 山は山、それはそのまま地理的で無言の物理的存在としての一面をもっているのである。
しかしながら、その単なる「山々」のもう一つの側面であるところの「エネルギー」という無形で人々の歴史的存在を見つめてきた「情実」の側面の存在を忘れてはいけないのである。
人それぞれは例外なく生まれ育った土地があり独特の風景の中で各人の人生が始まるわけであり自然に思い出として心の中に刻まれているのである。したがって隆庵は山々が情実的存在であると論ずるのである。
 地上にあるすべての物質は変化しているという事
身近な存在である山や谷や石ころなどの鉱物も日々その姿を変えているというのが自然の摂理、人間でいうところの「生老病死」という循環の中にある。例外なしに
ただ、山とか岩とか鉱物全般の変化の速度と有機物質である草花しいては私たち人間の変化の速度が大きく異なっているために私たちが見る山々はあたかも変化していないように錯覚するのも仕方ないことではある。
 「故郷の山かわらず我を迎えけり」と
人生の節々には悲しみ喜びなど様々な心の動きを体験させられる事態が訪れるのだが、その折々に私たちを慰め勇気づけてくれる事がこれらの自然の力であるかと思う。
実のところ我々を取り巻いているすべての環境は我々自身が創り出している想念エネルギーとその想念エネルギーに波長の合ったものを引き寄せるようになっているため、普段の想念の在り方に注意しておく必要があるのだ。山々に対して感謝の念を送る時その山々も感謝のエネルギーによって我を迎えてくれるものである。
釈尊の言葉に「山川草木ことごとく仏性あり」とあるようにすべてに神のエネルギーが満ちていると考えるべきであろう。神のエネルギーとは「愛」でありすべての生命活動の前進を助ける存在であることを知らなければならない。 2023 7/27 「隆庵」考
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2023年06月29日

生命活動の本質

 この世に生を受けたものは必ず滅す、人はおぎゃーと生まれたその瞬間から老いてゆくし死にゆくための時間を消費す。これが生命の本質
肉体の宿命、世界のどこを探しても不死のものはない・・・物質的にはである。

 滅びる肉体は物質的に消去し窒素リン酸 カリなどといった元素に変わり再び集中して誰かの肉体となって甦る。木々や花草も同様枯れゆき散っていったとしてもその原子元素は姿かたちを変え新たなる物質の構成物として存在するのである。

 それらの一連の変化は偶然にそうなっているのであろうか、つまり物質の最小極微の存在は形を変化させたとしても、凡て物質の世界で生きているのだといえる。

 されば、人間はどうか。
現代の医学では、凡ての生体状況が数値にてあらわされている。

 つまり人は数値にて構成されているという事になるのである。
それぞれの数値の時系列的推移によって肉体が段々変化していくのがわかり、その際にそれぞれが衰退していったりするのをとどめるために医学が存在しているといえる。

 とはいうものの全員が滅びの道筋に存在しているという事は避けられない事実でありどうあらがっても無駄なこと

 しかしながらこの肉体を支配しているところの「精神」「こころ」はそれぞれの個性をもちながら永遠に存在し続けていくのだ。
 このことを間違えてはいけない。

 肉体は滅んでも「こころ」が永遠に存在するという事なのだから、死んで凡てのこころの束縛から離れることはできないし、自らが作った原因は必ず相応の結果を迎えるのであるから、反省できる心の状態を維持していない人は、まさしく「地獄」であろう

 死刑になって死にたいからといった動機殺人は、たとえその犯人が死んだとてずっとその思いはついて回るのである。
 次元の違うあの世のボディは原子肉体と異なり滅することはないから、生きてるときに首をはねられた人でも、あの世の肉体組織は何の傷もないのである。

 心の状態、心がどんなバイブレーションを発しているかによってあの世で住する世界が決まっていくのだ。

 所謂波動の世界が無数に存在していて、位置的に言えばこの地球上の地表に存在してる波長からはるか上空に存在している波長まであり、例えば釈尊や、イエスの住している世界ははるか上空であるだろうことが想像できるのだ。

 このことは地上界においても高いところは全体を見渡すことができるため多くの状況を観察できるが低いところは狭く小さな範囲でのみ判断することになるという事は自明であろう。

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2023年06月18日

生きているという事は学びの連続

 なぜ生きているのであろう、この問いに対して確実な答えを持っているのだろうか
人として生れてきたという意味はあるのだろうか・・・
 図らずか図ってかは知らずとも

 今の今現実に生きているのである

 ならば何らかの意味があるはずであろう

 いえることは、日々の暮らしの中で心の安らぎを求めているといえるのではないか
 そして、人格の向上をし助け合いの社会を作ろうとしている

 これが人生の目的であろう。心の中から人に何かをしてあげたときには喜びが
人に迷惑をかけただろうな というときなどに訪れる心のざわめき・・・・
 この違いを実感できるひとは向上の道に乗ることができる

 これを感じるとき、「そう、生きててよかった」と思わないであろうか
 70歳を迎えた私は物心がついた10歳ぐらいから様々な現象を経験してきた

 日々の生活環境は人格を向上をする場なのであろう、子供のころの環境に対して子供とはいえ様々な考えを持っている
当時「人格の向上」などとは考えもしなかっただろうが、小さな社会での苦労は子供ながらあったものである。ともかくも

 人生という土俵の中で数々の出来事を経て、その都度数々の体験、観察と判断そして実行などを通して人格を形成していったのが
本日の私たちであろう。
 今日がどんな環境であるかを決定していったのがその収斂されたものと考えられるのである。

多くの体験から、それぞれの運命を司っているのは各人の性格によるものだという事が理解できるようになった。人格の向上とは長所を伸ばし短所を修正することが大切である。という事はみんな知っている

 では、長所とは何か
 明るく楽しく素直に生きる、そして多くの方々にお役に立つこと

 短所とは何か
 怒り、気取り、愚痴、強欲、自閉、粗野、増上慢、ねたみ、嫉み、でしゃばり、怠惰、多弁、独善、くよくよ、後悔、疑い、優柔不断など

 人と比べて優越感や劣等感などの心の動き、

 だから長所を伸ばし短所を修正する事、そのように思い行動していったさきに心の安らぎを得ることができるのである。
人生の勝者とはそういうものである。

posted by 筆文字や隆庵 at 22:27| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年06月15日

旅魂とは永遠の魂の旅をいう

 私たちの生活環境には、様々な経験・思考・性格を持った人々が集まり
それぞれの人格を認め合いながら わがままになったり・厳しくなったり・不平不満を言ったりとというように不思議な縁で結ばれている。
 それらの環境の中であなたは、今素晴らしい人生の旅を続けている。

 何故なら様々な体験、なるほどといった体験を通して、偉大なる自分を作り上げる旅だからだ

「私は向上しなくてもいいです」とはいかないのが人生であり、向上し偉大なる自分を作り上げていくというのが使命だから・・
 人生の旅は、生きている事、生かされている事は ゛何か゛をしなければならない証なのである。

 その゛何か゛を明確にしないならないために、どれだけの多くの人人が悩んでいる事だろう

 明るく楽しい人生を送るためにはこの ゛何か゛を明確にすることで実現していくものである。
 今のあなたは過去のあなたが作ったのであり、今のあなたが未来を創っていくという事を肝に銘じよう
 そのためには自分にとってその゛何か゛とは何かを真剣に考えたいものだ。

 隆庵は(私)常に何かを考えてきた。その何かを・・・
 ひとつには、仕事の事。社会において経済というものを度外視できないのであるから、仕事というものをしなければならない・・と
 では、仕事に関してどう表現していったらいいのかを考えてみた。その中での向上とは何を言うのであろうか
 それはまずは、自分の技術習得によって世の中に何か役立てるものが提供できるのかという点が第一なのだが、学校出たての頃はそんなことも考えられない。ただいくらの給与か、ボーナスはあるのか、業界の経済的現状と将来性はどうかぐらいは考えていた。

 体力で会社と世間に貢献するというのが道だと思った。

 また、学友の一人はこういった。彼は大企業というところに入社。そこで学んだことは出世のためには会社組織の本流にいる必要があるということで会社内部の組織バランスに敏感になって行った。社内に敵と味方があるとかれは言った。そのなかでどう生き抜くかを常に考えているんだといった。

 周りの状況を見ることに自らのエネルギーを費やしたのである。業界そのものが社会の中でどんな経済的位置づけがあるのかを学ぶことはなかった。自分の経済社会の中での立ち位置がどこにあるのかを知る由もなかっただろう。

 隆庵(私)は当時伸びていく業界としての外食産業に従事していた。経済誌などでは希望の産業であり自動車産業をしのぐ市場になるとはやしたて実際そうなった。若き店長として現場に立った
 年上のパートさんやら小難しい料理人(1970年当時はまだまだ職人さんの顔色をうかがう風潮があった)との葛藤を経てともかくも繁盛店を任されていた。26歳若きマネジャーたちの世界であった。
 今なら信じられないような労働時間・毎日16時間くらいはざら。ゴールデンウィークのころの店長としての私のシフトは朝8時から夜中の2時まで18時間ぶっ通しなど体験

 ま、名ばかり管理職といったことでしょう。同じチェーン店の仲間たちも若きマネジャーたちそれぞれの奮闘によって成り立っていた業界。

 大企業の彼はといえば、自分の上司が出世競争に負けたといって、本社の二次企業子会社へと出向。ここで私と出会う発注者と受注者という関係であるが、市場を知らない彼にとって日々はおそらく苦痛だったに違いない。
 でも大丈夫、これから学べばよい・・・時間はたっぷりあるよといった。このころ30歳を少し超えたころ、お互いに家庭を持っていた

と・・・

 

 

 
 



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2023年06月14日

何故の連続体、感謝なき組織は滅すという話

 どのようにすれば、明るく楽しく、素直に生きられるのか
 それは、常に良いことを思い相手のためになることを思い相手のためになることを語り、良いことを実践することである。

 ではよいこととはどんなことであろう。辞書によると よい 麗しい 優れている なかがよい ここちよい たいせつにする 
 良く考えてみると
 日常生活においてよいこととは、自分がよく知っている・・・それはここちよいことだと・・・

 ひとは、本当のこころよさを求めながら

 人を責めたり、批判したり、知識を振り回したり、争いの種を蒔いたり、物事の結果のみ追い求めてそのことを正当化しようとする
 理屈ばかり並べ立てて強引さを発揮する。そんな毒薬を蒔く人のなんと多いことか

 こないだまで、町の小さなお店の主人だったという人が、或るきっかけから次々と支店を出すほどの経済的成功を手に入れたいっぱしの経営者として取り引き先やら、金融機関からもてはやされ小さな町の小さな店の主人が、社長になった。

 お金は増えた、好きな遊びができる環境は手に入れた。

 子供たちへあとを継がせるための準備も滞りなく始めたこれで子供らも裕福に生きられる・・・と思った
 会社の経費で高級車を乗り換え、自宅の小物も経費で落とす、役員報酬はそのまま自分の資産として残す。

 小さな町の小さな店の主人は、町一番の納税者になった。皆がちやほやした、当然後継者もちやほやされていった。テレビをはじめマスコミも取り上げるような経営者になった。高価な骨董品も買った・・というか進められて買った

 そして小さな店時代から頑張ってきた社員がひとりまた一人と去っていった。
 支店が段々運営できなくなっていった。閉じなければならない店も出てくる。

 そうなっていった店限りなし

 どんな世界も感謝忘れた行為に光は与えられない、いずれ滅す。と心得よ



 
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かけがえのない人生

 100人が100人、すべては選ばれし者たちであることを認識しなければならない。
数億個分の一の精子と一個の卵子、この出会いの瞬間。これを神の御業と呼ぼう、日時を経て神と悪魔の棲み処となる。
 そして、100人が100人大きな使命を持ち個の棲み処(肉体)をもって、修行への道に旅立つ。

 途中ふと考える、この旅はいつまで続くかと・・・・
それぞれの人が逃避できない修行の旅は果てしなく続き、終わりのない旅となる。

 死んで凡てがなくなるなら気楽なのだが・・・

その旅の途中 よき友を得て楽しい旅になり、行き先でよい環境に巡り合い、旅の意義を知る。

 何度となく繰り返す旅 その都度初めてのように思う。

それぞれの旅人は循環の法則の中に生きる。

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2023年06月13日

くまモン起き上がりこぼし

今や全国的に有名になったご当地キャラ「くまモン」そのくまモンの起き上がりこぼしにご希望の標語やスローガン、会社などの理念、ぞゆぅの銘、などを書家筆文字や隆庵が、直書きしてご提供するという仕事を始めました。

人生を渡っていく中で私たちを勇気づけてくれる言葉、そんな言葉を毎日目にすることによって自己研鑽、自己教育に繫がって自らの人生を価値あるものにすることができます。

起き上がりこぼしはこけても立ち上がるといった頑張りを表現しています。
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その時に流れる優しい音は「希望の音色」と名付けております

ご希望の文言等お書き添えの上お申し込みください。

費用は5,000円(税込み)ですのでこちらのサイトからお申込みください
http://www.nagayama1997.com

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2023年06月12日

歌、詩、小説観

 五感で受け取る情報によって我々の心にどんな変化をもたらしているかを考えてみたい。

 我々の耳に入ってくる音楽や歌、物語、詩や短歌について、私がどの様に受け取りどのように感じてきたのかそして私の生き方にどう影響しているかを書いてみたいと思います。

日常の生活の中で情報機器から様々な音楽、流れてくる歌に感動する事、その旋律にひかれ、ある時は勇気づけられまた慰められ、心の琴線に触れ涙する事もあります。

 歌詞の中に情景があり自らの人生模様を彩った出来事を懐古する歌詞もあり まさしく人生模様という場合も多いと思います。

 小難しい本を読むより大衆小説の中に人生の妙を学べるって事多いと思うのであります
 私自身は藤沢周平や浅田次郎、なにより「鬼平犯科帳」の池波正太郎 が好みであり

 歌姫としての中島みゆき「心の別名」などの歌に心を打たれるのであります。

 いずれも情操という心を育んでくれる作品だと思う次第であります。



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2023年06月10日

人生の変遷若き肉体から段々と老いる感覚

 人生の旅を歩んでいる私たちは様々な岐路によって、それぞれが判断してきた
選択すべき事態を数々迎え、それなりに決断をしてきたという。その結果がたった今の今現実として目前に現れてきている。

 現在の私の環境の一つ一つは今までの人生の中で思い行為してきた結果として存在しているという事をまず認識しなければならない
言い訳をしなくていい人生をと思いつつ、あの時こうしていればよかったのかと後悔も確かにある。

 さていくつかの岐路に対して自分がどう思いどう反応しどう行為していたのかその道筋を振り返ってみることは貴重なことではないだろうかと思うのである。

 ある時老婆は語った・・・少女時代に読んだ物語は私を涙させるくらい感動を覚えたころがあった。いま読み返してみてその頃の感動した自分をかわいいなあと思った。という

 ある男は語った・・・あの歌を聴き歌い仲間たちとはしゃいだ。バカだったと思いながらエネルギーは有り余っていたよな。という感情と本能を優先して生きていた時代があった。そしてそうした仲間たちもそれぞれの道を歩んでいった

 学業を徹底するためでなくなんとなく流れで大学進学を選んだグループ
 学問に意味を持たない経済的にも家庭にもという原因から進学しなかったグループ
 学問を徹底し専門的な領域にて活躍しようと思ったグループ
 そののち所属した組織の慣習や性質によって新たな知識、哲学のようなものを学んでいき一つ一つが血肉になって行く。

それらの様々な理由により貴重な青春時代をみな送った

 志、あるやなきやを別にしてともかくも今がその収斂された事態。知らず知らず一つ一つの価値判断の基準になっているのだ。
さて、もともとの本来の基準はどうなのだろうかと考えるとき次の一文に出会ったのである。
 
「 活用なき学問は無学に等し」

 知ってるだけでは何の意味もなく理屈を知れば実行せよという事
陽明学では
「知行合一」実践なき知識には意味がなく、理を背景にした行動に意味があるという事

 その行動指針に関してであるがどのような動機によってなされるのかを問いたいというのが未来創造のコツであると思うのである。
 老いてきた今を思うとつくづく過去に反省の題材を求めるのであります



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2023年06月07日

自然の法に逆らう

 男で生まれたら男を追求していき女で生まれたら女を追求していけばいいのであって、それが自然である事を何故理解できない人がいるのか。
肉体的に性が決められているという事を否定できるはずがないではないか
 昨今の風潮が全く理屈に合っていないことを感じるこの頃ではある。

男女は人間として平等であるという事はまことである。しかし肉体的役割や特徴には明確な区別があるという事も一方ではまことである。
どんな人も女性の子宮に宿りそうして生まれてきたことを否定する人はいないだろう、それがまことであるからである。どう希望してもその男女の肉体的役割は変わらんということである。

 だからといって一方だけの性では世の中が成り立つわけではなく双方の調和、歩み寄り、相互の役割の理解が当然のことながら必要でありそのことによって社会の秩序が保たれているのである。
これは、差別などというものではなく自然の秩序であるという事なのだ。

 太古のころよりこの男女という性によって多くの問題が生じたという事はあらゆる史書によってあらわされている。
決して、平和な世界を築き上げたといった話しではない、性は政治をも動かしそして必然的な結果として歴史上に記録されている事を知らなければならない。

 自然に反した分だけその反作用はあとずれるのである。

 西洋社会に於いての同性愛差別はすさまじいものであり、これは宗教的背景もあるが我が国ではそんな差別などなくおおらかであったにもかかわらず今の風潮はいったい何なのか、理解に苦しむものである。

 人種差別、同性愛差別は西洋社会に於いての魔の歴史であろう
「イージーライダー」という映画を知ってるか?  
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2023年06月02日

反面教師

 私たちは自らの現象、現代のおかれている立場や生活の現状をもたらしているのが 私たち自身の様々な決断や行動の結果であってのこととして認識はできる。
 しかし、自身の体験から得られる知識や知恵は知れたものである。だから、他者のことから学ぶという姿勢を持つことはとても重要なことと考えるのである。

 世間で問題となっている様々な事態は私たちに尊い教材として存在しているのだという事を知り、良いことは真似し悪いことは反面教師として学べばよいのである。

 政治の世界の混乱はそういった他山の石として学ぶべき事柄を惜しみなく私たちに与えてくれている。

 総理の息子の話し、それを追求する野党議員の知的水準を疑うような言葉遣い、真実を述べなくて保身に走っているかのごとき様相を示しているテレビをはじめマスコミ各社

 洗い出せばキリがないような事態を展開している

 それは、大局の見えないまた見ようとしない政治家、経済界、そしてそれらになんの疑問も持たない国民。
によってもたらされていると思う。  私もその国民の一人ではあるが常に状況から学ぶべきことを学ぼうという姿勢だけは失いたくないと思う昨今である。

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