2015年06月30日

ビジネスのおはなし

飲食店や商店経営に造詣深い評論家先生の本を読む。
どのような事業展開もその「経営原理原則」は変わらず次のような思考手順にて問題を詰めていくことが大切であるということで、私の仕事はその中でどの部分に事業ドメインがあるのかを考えさせられたのである。

まずは、どのような事業でも認知度向上による初回客の獲得が必要であるということは当然のことでありそのために・・・いかにして認知度向上するのか・・・・

認知度向上を目標としたときに、私の仕事がどんな位置づけであるのかを明らかにしていかなければならないだろうな・・・手段としての筆文字デザインコンテンツ・・・があり、イラストなどがあるわけである。
posted by 筆文字や隆庵 at 11:15| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月28日

自らの個性を磨く

自分を愛する人は、

先祖、両親、兄弟姉妹を大切にする

自分を愛する人は

友人、同僚、上司部下を大切にする

自分を愛する人は

故郷、日本、世界各国を大切にする・

このような心の動きを大切にしたいものである・
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2014年11月26日

貪欲

私たちの成長を阻むもの
心の中にあり、その心のあり方が運命を差配する
はばむことの根源を知りその心のあり方を修正することしか
幸福の道ならざるを知ろう
不平不満、貪欲、くよくよ、後悔、疑い、自分だけを中心に思う心
足ることを知らない欲
それぞれの想いあるかなしかを
今一度考えてみたいものです

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2014年11月24日

潜在意識

別々に存在していると思っている「自他」は、実は一体のものであってすべては自然の中に同じ生命体として存在しているのであります。
一見すると海と陸とは別々のようであっても、海底ではつながっているように別々の人間のように思っている私たちも、潜在意識の奥ではつながっているのであります。

森羅万象が、法則どうりに循環しているのと同じように、私たちの心も循環しています。森羅万象が、波長共鳴の法則の中にあるように、私たちも波長共鳴という法則から一歩もでられないということを知らなければならないのです。

良いことを想うということは良いことに波長を合わせるということであり、悪いことを想うということはその悪いことに波長を合わせるということになりそれぞれがそれぞれを寄せ付けてしまうのであります。

善因善果、悪因悪果が法則だということです。
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2014年08月11日

考え方の習慣

ある問題が目前に現われたとき、各人が思う事柄によって大きく運命が変わることを知らなければならないのです。
知らん顔して何ら関係ないようといってその事象を無視する人
この事象はなぜここに発生しているかをじっくり立ち止まって考慮する人
自分にとって大事なことだから
この問題の解決にあせる人
ともかく目前に起きている自分に関係している事象だから
なぜ、この事象が起きているのかその原因をじっくり探ろうと思っている人
様々な思い方があります
実は、私たちの目前に現われる問題はすべて自らの普段の思ったことや行ったことの結果として
事象となっていることを知らなければならないのです。
とすれば、自らのどの思いや行動がこの事象を生み出したのかを
感じ、そして確認し、修正すべき思いや行動を反省し
その修正したことを実践する
これが運命を修正できる唯一の方法であることを知らなければならないのです。
思いなくして行動なしなのだからまず思いを修正していきましょう。
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2014年07月25日

心で思うこと

心の大地によい種子を播くこと
現在意識は種子であり、潜在意識は大地である。大地である潜在意識は種子を選別しない
播かれる種がよい種子であろうと悪い種子であろうと、雑草の種子であろうと、またその種子が意識して播かれたものであろうと、無意識のうちに播かれたものであろうと、すべて芽をだし、育て上げそれを生活体験として顕現されるのである。
「まいた種子が生える」とイエスがいわれたこのことと同じことを釈尊は「因縁」即ち、原因があって結果があると説かれた。
よい原因をつくればよい結果がくる。悪い原因をつくれば悪い結果がくる。
  だから、幸福になろうと思ったらよい原因をつくりなさい。それが法であると説かれた。
種子を播く人が、瓜の種子を播けば瓜が生え、茄子の種子を播けば茄子が生えるように、慈愛、憎悪、健康、病気、平和、闘争などこれらの心を持てば潜在意識を通してこれらの心は実現されるのである。
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2014年07月03日

抑止力なるもの

今から2500年前、中インドの小国であるコーサラ国のカピラという城に誕生した「ゴーダマシッタルター」の父「シュットダナー王」は若きゴーダマに次のように述べます。
「お前はやがて子供ができるというのに毎日考え事ばかりしている。お前がカピラを出てしまえば私は一体どうなるのか。わしも年を取っている、民百姓のことも考え跡取りらしく振舞ってほしい」

父親の主張は一国を預かる者にとって当然のことであった。外敵から攻められ、戦いに負ければその国の種族は奴隷となりその累は、子子孫孫にまで及ぶ。戦いには勝たねばならない。平和を維持するためには戦いのスキを与えてはならないのだ。武力を常に保有し敵国をけん制してゆくことこそ一国の最高責任者としての務めである。

そのつとめを父の目からみたら怠っていると見えるのであろう。しかし、ゴーダマにはそれ以前の問題があった敵といい味方といい同じ人間同士ではないか。なぜ人間同士が戦わなくてはならないのか、また戦いに勝ったとしてもその勝利はいつまでも持続するとは思えない。戦いに勝てばいつの日か負ける時があろうる
勝負の中に人間が没入する限りは、人間としての真の安らぎ、心の平和を確立することは到底出来まい、何故なら勝負の世界には絶えず作用反作用の動因が絡み合っているからである。
勝者のおごりと敗者の憎しみ・・・この相関関係は時計の振り子のように右に左に揺れ動き勝者はやがて敗者につながっていくことは永い歴史を見れば瞭然のことではないか・・・国を守るための武力、勝つための政略それ自体すら、心の平和を失った苦しみではないのか。
・・・・・「人間釈迦」高橋信次著 より




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2014年06月20日

希望、願望、期待

物質的世界の近代知識はわれわれの精神的世界への希望と信仰を弱めた。
現代人は世界に破壊を持ち出すものに関しては発明し創造することができる。が
世界に平和ををもたらすものに関しては発明も創造もできないのである。
何故なら平和の君なる実在者、神・・・の地位は現代世俗の知識体系にはないからである。
しかもなお、神なる実在者は我々とともにあり、そして神を実際生活にいきる方法があるのである。
現代業界の騒音の中にあっても、われわれは心を静めることができるのである。
今日のジャングル地帯のような混迷の企業競争の荒野にあってもわれわれは心を静める瞑想するために
我々の時間の1/10を別にとっておくことができるのである。
心静かに瞑想する時間はちょうど希望する心が希望するものを招くように実在者・・・神を呼ぶのである。
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2014年06月14日

個人だって歴史を作っている

じいさんばあさんをただじいさんばあさんとだけと認識していてはいけないのです。
彼らや彼女ら、もちろん私もこの世に「おギャー」と生まれてからの時間を今日まで生きてきているのであって、乳児期 幼児期を経て少年少女であり青年期を迎え段々と年齢をかさね熟年となりそして老人となっていくのであって、それぞれが各人の生命活動の歴史を歩んでいくのです。
生まれてきたということはいずれ老いたくなくても老いるし病気をしたくないと思っても病気をするし死にたくないと思ってもいずれは死ぬわけであるのです。

お釈迦様は「生老病死」「四苦八苦」という言葉で表現されました。娑婆というものはこの四つの苦しみからは逃れられないのです。と説かれました。

多くの人たちはこの「生老病死」と説かれたということから一歩も先に進まず「人生は無常なり」と「苦しきことのみ多かりき」といった風に解釈しているのではないでしょうか、
しかし、さらにお釈迦様の説法は次のように続くのです。
「生老病死」いう事態を諦めなさい「四諦」つづいて「八正道」の説法があるのです。
「死」のあとに訪れる「あの世」という世界があり、この「あの世」こそが本来の私達の真実の世界だと説かれているのです。
 その「あの世」というところから私達は「この地上界」に両親の縁によって誕生するわけです。それぞれの人生の中で学ばなければならない課題をもっているのだということを知らなければならないのです。
 永遠の魂である私達は、波動のあらいこの地上で調和の大切さを学ばなければならないということをお釈迦さまが教えてくれていることを知らなければならないのです。
posted by 筆文字や隆庵 at 11:38| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月30日

信仰の力

信仰というものは、人を非難したり独善的判断で人の性格の欠点をつつき出したり、軽率に人を批判して悪口をいって喜んでいるようなことでは開発されないのである。

信仰は、人の善をあからさまに伝え、人の悪については沈黙を守り「罪を憎んでその人を愛すべし」という神の法則を守ることによって生長するのである。

「汝ら、人を裁くな、裁かれざらんためなり。
  己が審く審判にて己もさばかれ
 己が計る量にて己もはかられるべし」

              スターデリー著「奇跡を生ずる信仰」より抜粋
posted by 筆文字や隆庵 at 16:17| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月28日

教会の信者

現代の教会のまことにまじめな会員の多くは、自分は「神を信じている」と信じているのである。
しかし、自分の息子や娘の非行的な姿に直面するとき、彼らは恐怖、心配、不安の誘惑に屈してしまうのである。
 その時彼らは 恐怖、心配、悪を信仰している事になるのである。

「信仰うすきものよ!」とイエスはいう

多くの人々は真に神を信ずる者は人をもまた信ずるという教えを体験によって学まなければならないのである。
「恐怖、不安、心配」というものに自らの心の波長を同期させてしまうとそれは現実を作るのである。
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2014年05月26日

宗教とはなにか

本物の宗教が必要な時代になってきているようなそんな気がしています。
そもそも生きていることに悩みがあって、自分の力だけではどうも乗り切れないなあと思う時にふとどこかの何かにすがりたい
そんな気持ちが起こってくる
その時にすがりたい何かが「宗教」であり、その「宗教」という名の魔物にとりつかれる人々がふえてきているようなそんな気がしています。

宗教とはいったい何かを考えていきたいと思います。
まず、身の回りにあるこまごまとした「宗教」らしきものについて論じたいと思いそれぞれの宗教的儀式に関して考察してみます。
その一 仏教について
最近あるお葬式に参列した折、「導師」というお坊さんがなにやらの「経」をよみ死者に引導を渡すのだという儀式をとりおこなっていたのです
疑問・・・お経の意味がまったくわからない。なにやら「もぐもぐ」と唱えている言葉の意味が不明。
坊さん言う・・・これはありがたい言葉・・・しかし誰がその意味を理解するのでしょうか
坊さん言う・・・儀式が死者を天国にお送りするのだよ
疑問・・・ならば天国というというところはどこにあるのですか
坊さん言う・・・西方浄土にあるといわれているが・・私は行ったことがありません

    ということは、自分が行ったことのないところへ死者を送るということですね
    ということは、旅行代理店の担当者か行ったこともない地に旅行者を送るということですね
坊さん言う・・・一応しきたりとしてそうなっているもんですから・・・
    ということは、仕事としておかしいのではないでしょうか?

    ということは、人間死んだらどうなるのかがわかってなくて
    ただ「しきたり」だからということなんですかね
    お坊さんの仕事って何なのでしょうか、
あの世があるから死者をそこに送る・・・そのための助けをする。
あの世がないのであれば死者をそこに送る仕事って空しいものですよね
仮にあの世を信じていたとして、死者に伝える文言が、あの「お経」ならば、おそらく死者に伝わらないと思うのですがいかがでしょうか。
    
posted by 筆文字や隆庵 at 23:53| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月08日

お寺の坊様にききたい

お葬式にて寺のお坊さんがなにやら「お経」なるものを漢文にて唱える。意味も不明だと思うのだが仏像に向かっ毎日唱えるのだそうで・・・
観自在菩薩行深般若波羅密多時  云々・・・この観自在とはどういう意味なのかわかる人いますか?
posted by 筆文字や隆庵 at 23:53| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月29日

旅魂

ひとは、それぞれ母となる方の子宮に
父なる方と調和されたあかしとしての受精卵として
はじめはただの物質として宿るのです
数億分の一という奇跡がそこから始まります
生命は、やがて体内で進化していきまず最初に
心臓が形作られ、母体から頂く血液の循環が始まり
脳細胞をはじめとし各各の細胞組織が作られていきます
胎児の誕生です。

その時期になると、形作られていく肉体には
その進化をちょくちょく確認のために訪れるあの世の霊
つまり、形作られていく肉体に宿るべき胎児の魂が
試運転ともいうべき
行為を実行するというのです

受胎後2〜4カ月ほどその作業が続いていきます。
その頃の母親との意識のずれが「つわり」という現象を
生じさせるというのです。

おおよそ地上の時間で200年ほど前に、母となる方
父となる方とその間で生れて二人の子供となることを
あの世というところで約束をしてきています

 それぞれの魂はあなたを母としあなたを父とし
私は子として有るというのです
最も、成長に役立つ環境を通してお互いに神の子として
「創造主」の心に一歩でも近付きましょうという
約束をするというのです

 しかし、肉体という衣をまとうと、どうしても
肉体に心が支配されてしまい、真意が分からなくなって
しまいます
 先にこの物質の世界に生れている母の意識との
ずれが生じるのはある意味当然なのかも知れません。
「つわり」は、まだ現世を知らずにいる胎児となる人
と現世に少なからずも毒されている母親との意識のずれ
バイブレーションの相違から生じているというのです。

 死は容易に理解できますが、誕生は神秘です

 神秘ですが、誕生とは物質である肉体と永遠に存在する各各の
 魂が同居するという大いなる儀式というものかもしれません

 このことは、宗教ではないのです

 すべてが、永遠に変化することのなき法則の中に存在していて
 地上におけるあらゆる宗教の違いに関係なく存在しているという
 ことを私たちは知らなければならないと
 言う事です。

http://www5e.biglobe.ne.jp/~spbook/life-after-death/life-after-death-01.htm
posted by 筆文字や隆庵 at 22:21| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月18日

諸法は無我である

大宇宙の営みに関しては、私達がどう考えようとも触れることのできないのであって。ただひたすら従うしかないということなのです。
その法とは
原因と結果の法則・・・動反動の法則、作用反作用の法則
循環の法則   ・・・すべては因果の回転
慣性の法則   ・・・止まってる物体はとどまろうとし動いてる物体は動く方向に対して動こうとする
エネルギー不滅の法則・・・
波長共鳴の法則・・
posted by 筆文字や隆庵 at 22:21| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする