2022年08月07日

高校野球考

 おらが村さの物語・・・昔はそんな言葉が似合う土臭い趣があった高校野球も今や各高校の経営の一環として存在しているんではないかと思ってしまう。
 確かに、野球は他のクラブ活動と違いその注目度もずば抜けて高く毎々甲子園大会は、ある選手にとっては将来の方針を決めかねないほどのビッグイベントにもなっているのではないか。本来は高校教育の一環として存在しているはずなのに。

 まあ大部分の選手はそんなことはないとはおもうのだが

強豪私学の選手構成を見ていると、一体故郷の代表としてふさわしいのかなと思うほど他県からの出身者でレギュラーが占められている。といったケースを見かける。

 原点は「おらが村の○○ちゃん」が出てるゆえに郷土の代表と認識できるのにである。一種懸命に白球を追う選手たちの問題などではなく
大人たちの都合なのかもしれない。

こんなエピソードがある。
 とある地方都市でのこと・・強豪チームを率いていた監督を招聘、合わせて選手たちもその監督を慕ってきた強豪シニアリーグの出身者
なんとベンチ入り選手の中で地元出身者はただ一人。
 こんな状況だがともかくも何期も全国大会出場を果たしたのだが、応援すべき地域の商店街の店主たちは寄付金はおろか、通常のもりあがりにもなし・・・通常だと(件の高校以外の出場の時) 頑張れ!!○○高校・・・などと掲げ、のぼりなど作っているのだが

 選手の父兄たちも球場内の目立たない場所でわが子を応援しているという有様。高校野球ファンの中高年のおじさんたちからは心無いヤジが飛ぶ「おおい、外人部隊・・・云々など」

 なんか変なことです。

世界のグローバル化の波は高校野球にまで派生しているのかと思ってしまう。
愛国心や郷土愛 愛校心 家族愛などもその重要性を失わさせようとしているとしか思えないのが、昨今の風潮として感じるのは私だけであろうか、結果として地方の持つ独自のアイデンティティも、文化ごとないがしろにならないかを危惧している次第だ。

 毎年この時期になるとそう思ってしまうのは年のせいかなぁ
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2022年08月04日

国際社会動乱


国際社会、ウクライナ問題も醜い争いがつづいているか゜一体どうなっていくのだろう
中国が台湾に向けて強硬な戦略を駆使しないだろうか
これらを対岸のことのように我が国の首脳たちはまさか安穏としていないだろうか
政治家の皆はどんな考えでこの困難な状態を解決しようとしているのであろうか、
危機管理がいかに重要であるかの思いは、数々の災害や他国のできごとから何か学んでいるのであろうか
いくらでもシミュレーションができる環境も与えられているはずの人たちは我々が選んだ国会議員先生の面々だと
思うのですが、果たして国民のために寄与しているのであろうか
東アジアの平和はどう維持されていくのであろうか
なんだかんだ言っても日本は平和を愛する国であり、世界の中で最も人品の高い国民で構成されているものと思う

とは、いうものの昨今のマスコミという心の毒バラマキチームが危うい日本をつくるかの如く闊歩しているのではないかと危惧している。

特に情報弱者に対しての振舞はもはや嘘つき集団と化している。
世界平和のために調整できる一人の政治家は何者かの手によって抹殺され、世界混沌の糸口を各国の首脳が失った事件としてとらえているのに
こんなことも理解できない日本のマスコミにはほとほと愛想が尽きました。

世はまさに末法と化し各人が自分勝手に欲望に忠実なるリーダーの存在を認めてしまい、自らの首を絞めているのが現状
最低限の社会制度として今のところ「民主主義」がいいのだという国家群、いやいや強いリーダーの発揮する「独裁・専制主義」が制度として正しいと認めている国家群。

それぞれが主張している姿を見るにつけ根っこの部分にそう大差はない。
結局、命令を下すものと従うものの二面があるだけであろう。問題はリーダーの資質によって大きく情勢が変わるという事なのだ。
主権在民という言葉がある。民主主義の本質だというが、それはない

民意がーというマスコミが騒ぐがそれもない。

正確な情報開示がない以上主権在民などはありえないではないか。また民にそのすべての情報開示しても対応ができないことが多いというのも事実であろう。

だからいたずらにあおってほしくもなく担々と事実を報道すりゃいいものの
反体制が知性とばかりかっこつけ
本来の人間の在り方を愚弄するような報道には辟易する そんな日々が私の心の形をゆがめていることに気づく

でも、生きている人すべて神の子であり、中国古典「大学」にある「明徳」・・・明徳とはすべての人が天から与えられた善なるもの、輝かしいものであるという意

現実にはその特質をいまだあらわしていない消極的な存在であるという事を思いながら、彼らの幸せを祈りたい。












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2022年08月02日

恥ずかしいと思う過去の出来事

 幼少のころ、知った知識を母親にまた年下の者に偉そうに言ったことがある。今思えば恥ずかしい話。そのことを父には言えなかったことを後ろめたいなんて思ったころ
少しだけ学問の入り口に入ったと思った中学のころ、自らを「文武両道」といきがっていたころ、大した訓練なしに学年上位だったといって偉そうにふるまっていたころ、
カントやヘーゲルなど読み 世の中を知った風に分析していたころ そうなんだなんて納得していたころ

 こんな難しいことを知ってるって偉いだろって思っていたころ

 恋をしてしまい、それまでの自らの論理や知識が吹っ飛んでしまったころ

結婚が果たした役割も中途半端な理屈で判断したころ

社会常識にふれ今までの論理(らしきもの)が通用しにくい環境を迎えここから 理想と現実の違いに苦労するころ
 
 生きるってどういう事かなと今一度 考えさせられるころ

様々な出来事が 良きも悪しくも自分の心の根っこに色を付けていきます
 
 幼少のころから少年時代、青年時代そして壮年となり、老齢を迎え。自らの人生を振り返ると恥ずかしきことのみ多かりきとばかり
思ってしまう
 少なくとも、それらの重き荷を下ろしすっきりした状況を迎えるにはどうしたらいいのでしょうか・・・

 反省は事細かに自らの心に曇りを付けている出来事に対して、感情的ではなく論理的に自らの思ったことや行ったことを善意なる第三者の立場で観察し、分析し、その原因を知り、二度と行わないという事を自らに誓うという事で決定するものだと思いましょう

思い出してみて恥ずかしいと思う、そんなことを反省し神様に詫びましょう

 そこから明るい日々が始まるのです。



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2022年07月31日

人生の目標

 ビジネスそのものの目的達成のために私たちは、一連のミッション(到達すべき目標)に達する道筋を考え、様々な小目標 や中目標を設定し大目標に至るわけである。

 これを○○プロジェクトなどと名付け遂行していく

 ではプロジェクトとはそもそも何なのかに関して考察してみたい

 ある目的達成のためにその達成されている状態を画像としてイメージ化できているのがまず最初

 どうありたいのか、という形を定めるのだ

 それを具体化していこうとするとき、ビジネスならば期限が前提的に必要であり、イメージではなく数値にて表現できているかが
 鍵である

 例えば、売上高目標 これは企業などによく活用されている最も単純な目標ではあるものの 概ね何のために? という視点があいまい
 になりがち

 例えば、経費目標 これは売上目標達成のために活用されるものとして管理されているかがポイント 適切な運用が望まれているが
 額そのものの管理はよほどの突発的要因がなければ容易である

 とは言うものの、変動しやすい売上目標達成のためのシナリオづくりが重要な事は自明の理である

 という事はやはり売上目標達成のための「プロジェクト」推進というのが考察できる

 それには テーマ⒈ 分類・・・達成条件の数々をリストアップし さらに細かい要素を考える  例えば売上を構成する要素は下記項目が考えられる

 端的に購買数×単価 がそのまま公式となる 店であれば客数×客単価という具合になる

 さらに細かくすれば 購買品目数といった関連数の増加による購買数か単品なのかといった問題
 その為の関連販売計画といった付随する目標などが必須となりましょう

 テーマU 必要技術・知識・協力者の洗い出し・・・それぞれの分類された項目の実施に関して一体どんな技術や知識が必要なのかを考える
 
 もし自らの中にそれらの技術がないとしたら外部から取り入れるとか、買ってくるかいずれかの選択肢を持っていなくてはならない
 プロ野球はじめプロスポーツの世界で外人選手を獲得したりFAなどのごときである

  テーマV 優先順位・・・物事の流れとしてある作業を優先しないとできない科目が課題があるのは言うまでもない、場合によっては目的地に行くまでの道路や橋を作らなければならないといったこともある

  ※ 具体的なこまごました課題もまた一つのプロジェクトという事になる

  テーマW 進捗・・・つど遅れの確認と達成の確認が日常の作業となる

  ※ 行動目標は必ず動詞で表現することが重要である

  同じように私たちの人生もかくあるように目的達成の要素をひとつひとつ課題として解決していく その連続体が人生ではあるけれど
  
  10年 20年といった期間ごとに設定することがたいせつである

  だから10年後の形のために5年後は そして3年後 来年 今月といっブレークダウンできるようにしていくために私は自分なりにカスタマイズされた手帳を作っているのである。

  一冊の手帳は「未来をつくる」一本のペンは「未来予想図」を描く 「豊かな人生」を設計するのだ
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2022年07月18日

正しい言葉

 言葉は人と人とのコミュニケーションに欠かせない機能であり、その発する言葉や文章によって調和か不調和を他他者に与えてしまうという力を持っているという事を改めて考えていきたい。
 古来日本では「言霊」といって相手に伝わっていくときにピタッとその波動にくっついている光と振動が空気中を伝わっていくものである。
・・・言霊とは光と音の波動を意味します・・・またその言葉を文章にするときはその波動が二次元的に紙に張り付いて光と暗黒のいずれかのオーラを持つのだ・・・と霊視できる方には見えるそうです

 私たちの心、肉体も光からできています。音の振動も、また光の波として空間に振動していきます。心からの言葉はそのまま光の波動となって伝わっていきますが、すぎたお世辞や、横暴な語り方は、光の波動に黒い塊を付着させているため、相手の心を傷つけます。そして傷つけた結果は、自分にはね返ってくるのです。ですから、言葉は、実直なこころで相手の心になって語り合う事が大切です。語調の強い言葉、相手の心に不調和を与えるだけです。
 売り言葉に買い言葉で、町中や電車の中で口論している人があります。互いに黒い塊を創り出し、拡大させています。こうしたことを年中やっていると、病気や怪我をします。心がいつも不安定になっているからです。

 相手が怒鳴っても、決して反発をしてはいけません。反発は自己保存であり、反発する前に、自分を第三者の立場で見、考えてから結論を出しても遅くはないからです。怒った心は怒った人の心に帰っていくものであり、これに心を動かしてはなりません。第三者の立場に立って反省し、いわれなきものであれば「哀れな人」だと相手を思いやればいいのです。そして「神よ、あの人の心に安らぎを与えてください」と祈ることです。

 高橋信次師 著  「心の指針」より

 言葉は自分と相手の意志の交流です。それだけに常に調和ある言葉を心掛け、調和ある対人関係をつくるようにしなければなりません。

 最近安倍晋三元総理に対するマスコミやSNSに於いての雑言は度を過ぎているものもあり、聞いているだけで不愉快になるようなことが大手の新聞社の中で発信せられているようです。
人としてどうかと思うような言論はいずれその発信者に帰って何らかの現象が起きるとしいう事を彼らは哀れにも知らないのでしょう。
 神よどうかあの者たちに神の光をお与えください こころに安らぎをお与えください・・・祈り
posted by 筆文字や隆庵 at 10:18| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年07月10日

追悼安部さん、これからのお願い

 我が国にとって大切な、重要な稀有な政治家が肉体生命を絶たれた。このことがこれからの日本の、いや世界にとってのどれだけの痛みであるかを知らなければならない。
 特に安部さんのいない自民党は国家観なき、愛国心なき集団に成り下がりそうなそんな予感あり。
選挙に勝って自分の給料を確保していきたいという、志の低い議員たちは時々によって選挙に勝てることを優先してあっちこっち右顧左眄しながら世をわたるすべを学び本来の自らの職業のつとめなるものを自らの都合の後回しにしているような、そんな議員が多く存在している。

 このことは、国際情勢が安定しているときはいいが現代のように世界のバランスが危ういときには、はなはだ不安であるのだ。
緊急の時にこそ、国家のことを優先して物事を捉え解決していこうとする姿勢をいかに周りに示すのか、これが為政者としての態度であり、国民へのメッセージを力強く発信できることが優先されるのだと思う次第である

 安部さんの遺志を受け取るべく岸田さんに奮起をお願いしたいものである。

 現有する政治家にたいして日本の未来を託しあの世に旅立たれた安倍晋三元総理大臣の冥福をお祈りすると同時になにとぞ天上の世界から、日本国と世界の平和対して
 いろいろと示唆をお与えいただきますようお願いいたします。

posted by 筆文字や隆庵 at 20:30| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年07月07日

愚人の多き事

 日本人の給料が上がっていないという。あたりまえである。

働き方改革などという、働かなくてもいいんだよという政策は、給料が上がらなくてもいいんだよ、休みが多ければね・・・
真実の狙いはいかに効率よく生産性を上げるのかという事なのだが、現実は労働時間が減っただけ

 今夏の電力がひっ迫しているとのこと。あたりまえである。

脱原発、自然エネルギーの活用を主人公にしているのだからね・・・
不安定な電力を主にしておこうなどとは、偶然に頼る賭けみたいなものである。
現実は政府が国民に対して節電のお願いをしているという、体たらくぶり
コロナが怖いけど、熱中症のほうがもと怖いから、マスクは外しましょう。
でも節電お願いします、でも熱中症が怖いから冷房をつけましょう。リモートの仕事でコロナ感染を防ぎましょう
自宅で冷房して仕事してるほうが、出社してまとめて会社にいるより電気を使うんではないだろうか・・・と誰もかんがえないのかな・・

 愚の骨頂は過去にも多々あり。建設工事とくに公共事業の無駄遣い、政治家の暗躍?、業界内の談合は悪であるかのごとき風潮づくり

結果として建設業の衰退、公共事業請負で成り立っていた下請け業者、孫請け業者、果ては一人大工や左官、その他の職人さんの仕事激減
と、廃業。地方の小さな工務店に至るまで大打撃を受けつつあったのが30年ほど前の話、これらの話は枚挙にいとまがない。
仕事がなくなった田舎町では若者が離れていくのは当然であり、過疎化をうむ。あたりまえである。
 もともと小さな工務店や一人親方の職人集団など普段から受注活動などできやしなくて、ゼネコンや下請けからの仕事の割り振りで助かっていたところ、(これを別名談合という)自由競争が正義とばかり、価格競争になっていき結果として人件費の安い海外に仕事をまわされるということになったのだ、これは製造業も同様。外国に主導権を奪われるという事になっていったのだ

 今や、各業界において培われていった日本ならではの職人技、仕事に対する矜持などが失われつつあることに困ったもんやなぁ・・・
と思うきょうこのごろである。

 今夜は七夕・・願おう・・・我が国の将来が豊かでありますように・・そして世界が平和でありますよう・・



  何かを成し遂げるためには国民一人一人が愚人であってはならないと思う、愚人が選ぶのだから、政治がおかしくなるのはあたりまえ
  
反省
posted by 筆文字や隆庵 at 09:44| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年07月06日

楽しいことリスト

 毎日を楽しむ

 1. 好きな音楽を聴いている 
 2. 体調が良い・・すっきりとルーティンが始まる 
 3. 悲惨なニュースを見ない 
 4. ひいきしている野球チームが好調
 5. 食べ物がおいしい
 6. 家庭内で明るい言葉が飛び交う
 7. 仕事がスムーズに進められている
 8. 好きな本が読める時間がある
 9. 楽しいことの計画が立てられる
10. 趣味が充実している
11. その他 何がある?

   朝のクラシック音楽を聴きながら、ベランダに咲く花をめでる 適当な空腹感を覚えながらトーストと紅茶で朝食を摂る
   昨夜はホークスが勝ったなあ でもヤクルトはまけたなぁなどと語りながら本日の仕事を考え実施する
   読書といえば
   正法という人間の生き方が書かれている本を読む、今週は 高橋信次著「心の指針」と決めてあるので空いた時間に目を通す
   仕事に関する理論書は今 「デザイナー読本」を読む

   この夏の旅行の計画を立てる
   水彩画で透明感のあるグラスの描き方を研究する
   海辺の夏を描いてみようなどと思う
   
   クーラーの効いた書斎にてかくのごとく過ごしている・・・今日この頃に感謝・・・
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2022年07月05日

生きることは学ぶこと

 私たちが学んでいる「正法」とは普段の生活、暮らしの在り方から分離しているものでなく、生きているそれ自体がすべて学びの機会であり、様々な生活場面で展開される事態が学びの場でもあるわけです。
 正法は私たちの周りに影響を及ぼしている存在、ありてあるものであって過去現在未来と永遠に続いていくものなのです。

 正法という法に則って良の行為には良、非の行為には非というそれぞれ結果の在り方が変化するものであることを勉強していくというのが私たちの使命なのです。

 勉強は多岐にわたります。そこに理論という知識の集約されたものとそれを裏付けるための行為、愛と慈悲の大切さを知るための数々の出来事
に対してどう思い行動したか、良いことは継続しているか非に対して適宜に反省し修正していったか、そのことを継続的に習慣化されているかなど、いつも正法は私たちに問いかけてくるのです。

 これらの問いにともかくも応えようと努力を重ねること、またその道を歩むことが私たちの使命なのです。今の努力は決して無駄ではありません。なぜなら永遠の魂の旅を続けているのですから、今世でダメでも次の世で実を結ぶようになっているから、心配はいらないのです。

 慣性の法則が働いていることを知りましょう。


物理学の法則と霊である心の法則は同様に存在しています。

原因と結果の法則・・因縁の法則  エネルギー不滅の法則・・魂の永遠性  循環の法則・・転生輪廻  慣性の法則・・業(カルマ)の法
波長共鳴の法則・・類は類をもって集まる 
 

posted by 筆文字や隆庵 at 16:44| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年07月04日

心の振動・波長

 人々が何かを願うという事は、心に振動を起こすという事であり、その振動を持ったエネルギーが空気中に発散されるという事です。
すると同じ振動数をもったエネルギーと同調し引き寄せあい共鳴するという事になるわけです。

 テレビもラジオも電話もすべてがこの原理で成立しているという事を知らなければなりません。
人間関係もこのように波長のあった者同士が結びつきますし、物質にも同じ法則が働いていることであり、親和性ともいうべきものによって分子構造、原子構造となっているのです。

 音楽で使う音叉、チューニングに使ってる器具ですがこの「波長共鳴の法則」を活用しているという事になります。

家庭も、企業も国家も実はこの法則下にあるわけで、どのような波長を出しているかによって家庭も企業も国家もその運命の一端を波長に担わせることになるのであります。

 不調和な家庭から発信される振動は次々に不調和を助長させるものであり、同様に企業も不祥事を起こし又は事故を起こし
客商売でも客層の変化を起こす、国家も同様であり不調和な思想習慣も何らかの悪影響を及ぼす事態が発生するものであります。

  修身 斉家 治国 平天下 を今一度心にとどめておくことが必要です。
posted by 筆文字や隆庵 at 15:59| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年07月03日

厳しい正法

生まれ育った環境、なかんずく最初に影響を与えてくれるのが、両親であり、基本的にその両親の価値観がその子供に影響を与えていくのだ。という事を考えなければならない。
 この世に生を得た赤ん坊が最初に認識するのが母親であり次に父親であろう。その影響下にありながら育っていく

物心がつき始める2歳ごろから感じる家庭内の雰囲気から赤ん坊ながら自らの位置を感じ始め、3歳4歳となり次第に最も近しい母親の立ち位置に同化していくものもあれば逆に父親に同化していくこともあり、それはその時点での両親の在り方によって左右されるのであろう。

 子供は純粋であるといわれるが決してそんなことはない、環境に対して敏感であり、相対する大人によって態度を変えるものである。
という事をよくよく考えていきたいと思う。
 命の尊さを知っている親の子は愛され、人を愛することを知り、本来人が人として平等であるという事を知りそれぞれの役割を尊重できる尊いものだという事が心の中で育っていく。
 あたかも十分に耕かされた土地に蒔かれた種子はすくすくと育つかの如く

 半面愛のない家庭に生まれる子供もいる、それどころかほったらかされ抹殺される子もいる、そこには愛はないのか不憫を通り越しているが

 これすらも必然であると、因果律であるとされるのも神理であり原因と結果の法則下にあるというのである。
 そして万物の働きはすべからくこの法則によってある
 過去世から持ち越したものもあるという事を教えてくれている。

見た目、物質界では子供であっても その魂は幾度となく地上界を体験し数々の善行と数々の悪行を行ってきていてその結果を受けているのである。と、厳しいがそれが法というものである。

 



 


posted by 筆文字や隆庵 at 22:50| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年07月02日

心の中にある捨ててもいいもの

 私たちは有限である肉体とともに未来永劫・・・というより過去現在未来に永遠に存在している・・・心と同居しているのであって現在地球上にある物質とともに今ここにいるのです。

 霊視できるのであれば今の現実にある肉体とその肉体にピタッと重なっている次元の異なったもう一つの肉体が見えるはずであり、「死」とはそのもう一人の自分が離れるという事なのです。
もう一人の自分は実態があって、重たく鈍感な物質から解放された軽やかな、すがすがしい存在であることを理解するでしょう。執着を捨ててしまっていたらその心は天に上り明るい世界に住することになるのですが、執着を捨てきらないと、どんよりとした雰囲気の中に自分を押し込めてしまい本来明るいはずの世界を自らして暗く考え、そしてつらい思いでしばらくは生きていくのです。

 この世でしか役に立たないものやことにしがみつき手放せなくなってしまってる状態を心の中のお荷物、執着というのです。
 
生きているときに持っていた地位や名誉や財産、学歴、美貌とそのことによる優越感、又これらの反対の世界観で地位に対しての反発感や恨みねたみ、そねみ、美醜に対しての劣等感などの心は捨ててしまわなければならないものなのです

 では、なぜ執着心があるのでしょうか。その執着心とはどこから生じていったのでしょうか・・・その事をじっくりと考えなければならないと思います。
 考えられるきっかけは私たちが生まれ現在に至るまでの思ったことと行ったこと、それに関連して発生した現象の数々にヒントがあるわけです。以前のブログで何度も述べている「原因と結果の法則」の中にそのカギがあるのです。

 いずれは消えていくこの世的な物質が大切であるという考えが世界的に蔓延していて、財産をたくさん所有しているのが偉いのだといった風潮が世界を支配しているためで、そのためには金儲けしなければいけないとばかり経済活動にまい進する。それにはいい組織、会社にはいって出世するか(財界人)、自分で会社を興して儲けるか・・・または官庁にはいって、政治家、大臣を目指すかはたまた専門家として著名になるかなどと考える。この考え自体は別に問題ないが要はそのことによって優越感や劣等感をもつことなのであって、得た利益を自己中心の欲望のためにのみ考えるという事が問題なのであって、執着の元なのです。

 世の中はそれぞれの個性が絡み合ってそれぞれの人が社会の中で貴重な役割を演じて人生を豊かなものにしていくというのが真理なのだから
各人がそれを理解し実践していき、この世から去る時になんの執着を持たずに、滅びゆく肉体にこう呼びかけるのです「私の肉体よ、よくここまで頑張ってくれたものだ、今から君は灰になって地球に帰っていくが、私はこれからあの世という世界に移住するのだ、再びこの世に生まれるときはまた君たちの元素にお願いすることになるだろう、その時はまたお世話になります」と・・・

 さらに見送ってくれている親族や仲間のみんなにはこういいます「みなさん、私は先に天上の世界に一足先に還ります、いろいろとお世話になりました、またあの世に皆さんが還られた時にはお会いして地上で生活していたころの思い出話に花を咲かせようではありませんか、ではひとまずのお別れです。さようなら・・・」と

 こう言える自分でありたいと本日もまたがんばります。

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2022年07月01日

要約「山上の垂訓」

 空を飛ぶ鳥は地上に倉をつくることをしない、地上の動物もその日の生活に満足している。
明日の糧を求めて相争うのは人間だけだ

 鳥や動物はその日の糧で生きながらえている、万物の霊長である人間が明日の糧を求め、それゆえ独占しようとし
争う姿が果たして正しいのであろうか

 生き急ぎ死に急いでいる姿はまことに愚かしいことである。

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2022年06月30日

希望の日々

 人はすべて、明日という希望に満ちた時を迎える準備ををしているといえる。
それも、例外なくである。なぜならばすべての人は永遠の命を持つものであり、この世だけでの存在ではないからである。
 物質である原子肉体が滅びた後は光子体というあの世の体に魂をのせ活動するのである。

昨日よりも今日、今日よりも明日というように日々の研さんをしている人、怠惰でなにもしていない人というのは本来はいないのである。
日々の研さん、努力行為、日常の暮らしぶりなどはそれぞれが来るべき将来を創っていく原因となり

結果として人はそれぞれの事態を受け取ることになっている。
自己本位の思念と行為はそのことの反動として自らの運命を形作っていきその事態の対応方法によって
そして新たなる原因を作るというのが法則であることを知らない人が多すぎると思う今日この頃ではある。

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2022年06月29日

夏越の祓、半期決算

夏越の祓・・・6月という頃一年の半分を経て罪穢れをおとす祓の行事があるという事
日々忙しく過ごしてきたため知らず知らずのうちに人様に迷惑をかけたこともあったろう、自分自身を傷つけたこともあったろうということだから、それら一切をお祓いしようとしたものだと思います

年末の12月は年越しの祓というのです

これは一年間の罪穢の祓いです。
神道の儀式ではあるがキリスト教では懺悔、仏教では止観

企業経営では決算・・・社会の節目はどの領域も同じサイクルかな



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