2020年08月17日

戦後の教養層に関して

また、今年も終戦の日を終え、マスコミ各種の報道の仕方に憤りながらも改めて戦後の教養層といわれる人々がいかなる考えで何を為し結果として我が国がどのような国家になり果てたかを考えてみたいと思う。
「国家の品格」を書き下ろした藤原正彦氏による「国家と教養」には次のように書かれています。
戦後の教養層、つまり1945年から1970年までに大学を卒業した人々ですが、彼らは日本経済のリーダー的存在であって80年代バブルをつくり破裂させ、その後はアメリカの「新自由主義」をがむしゃらに推し進め20年に亘る「デフレ状況不況」へと国をミスリードしてきた年代の人たちです。
 戦後の教養層はGHQ史観やそれに基づく戦後体制を墨守し経済成長に狂奔し、たかが経済のためにかつての日本にあった穏やかな社会や人々の思いやりや絆をずたずたにし国柄ともいえる諸々の情緒や形を徹底的に傷めつけてしまいました。
 その先鋒にあって、たかが経済が国家にとって何よりも優先されるべき事柄として吹聴鼓舞してきたのが新聞、テレビをはじめとするマスコミであったことは言うまでもありません。
 一方において、人間を成長させていくべきはずの教育分野においても詰め込み型の知識教育、試験の正解率の高低によって人格そのものまでも決定しかねない環境などが整い、その多くが部分教育に終始したうえで全体の大局を観察する力を奪ってしまったのではないでしょうか。
 
 戦前における旧制高校的な西洋生まれの哲学や文学に傾斜した教養というものの本質が明らかにしてくれています。ギリシャ哲学やシェークスピアの戯曲、ロシア文学、などへのあこがれのようなもの。それは、明治初期の「文明開化」以来の西洋への劣等感に根差した西洋文化への「憧憬」「跪拝」に過ぎなかったのではないかという事である。
 すなわち、日本古来の形、古神道であり武士道精神であり、儒教精神、惻隠やもののあはれ等の情緒をわすれた教養というものは、脳の先っぽにしか存在しない実体も生活感もないものだったといわざるを得ません。

そういった国家のリーダーたちは、薄っぺらな根無し草であり国難にあたって何の力も発揮すべきでないひ弱の存在だったのです。
今や、そうしたひ弱なエリートもどきが引き起こしている現象は今や日本におけるあらゆる場面でみることが出来ます。
日本人としての形を忘れた葛藤なき教養人は戦後のGHQ史観に流され左翼思想に流され、今や新自由主義やグローバリズムに流されています
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2020年04月07日

書生論

 世界的困難の時 我が国にも緊急事態宣言なるものが政府より発令
こういう国難の時にこそ、公と私の関係についての考察が必要であります。様々な決断の中でもこれほど重い意味を持つものはありません
公の決断の前には私人である私たちには従うほかありません。
 とにもかくにも、公のリーダーが苦慮し下した決断を受け止め私の都合をそれに合わせていかなければならないのです。
こうした決断に対してね自らを安全地帯におき、さしたる専門知識も正確な事情も情報の不足もわきまえない立場から公的決断に対して
あれやこれやと批判することを書生論といい現実を乗り越えるために何の役にも立たないことを知るべきでありましょう。

 もし、批判をするのであればそれ相応の論理的な事実をもとに自らの責任の下で論じ、いや行為しなければならないと思うのであります。
ただ、批判のための批判、ただ単に国民の恐怖心をあおるだけのマスコミ、一部の国会議員の論評など迷惑なだけでその存在の不毛ぶりを顕現しているものとしか思えません。
 今更ながら猛省を促したいと存じます。

実際これからの苦難の道は想像に難くありません。

皆で力を合わせてこの苦難を乗り切りましょう。おそらくこの一連の事象は人が人としていかに考えどのようにふるまうかが問われる試金石になるような気がしています

真の愛国とは何かについてともに考えてみましょう


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2020年04月06日

戒め

 今までの生活(環境、教育、思想、習慣)の中から知らず知らずの間に培われていった自らの行動傾向が誰にでもあり、その行動傾向が様々な問題を起こしているのではないでしょうか。
 それぞれの人は所属するコミュニティ、学校、職場や地域社会、に於いて自らが思い行為したこととその結果の如何によって正誤を感じるものであります。一般的にいって明らかにおかしい事象もその中には含まれるわけですがおおむね組織やコミュニティの同調意識によってそれらのおかしいことの方が幅を利かせているという場面が多く存在しているのではないでしょうか、いわゆる生活の柄というものであって様様゛な決断時に顔を出してきます。
 所属している組織によって価値観がなんとはなく定められているのです。大きくは意識の中に存在しているのですがまず国柄、職業柄そして地域柄 家柄、人柄を構築していくわけです。そしてそれぞれの何気ない影響を受けながら生きていっているわけであり「自分がこうだから彼もそうに違いない」と思う人あり「自分の思いがこうだからみんなそうに違いない」と思いながら生きているのが大半であろうかと考えるのであります。
 国同士の軋轢も、企業同士の軋轢も、宗教も道徳も、個人の暮らしも同じようなメカニズムが働いているようです。
しかしながら他と自分はこの時点においてはそれぞれが異なります。
 説得しようとするときも普段の言動がどうあるかが重要なポイントであることは間違いないことです。本来の姿は「何が正しいか」で判断するのだが今「誰が正しいか」を優先しているようです。特に物質経済社会が主流の今は、経済の勝者こそが正しいとばかりの風潮が顕著ならではないでしょうか。
 一方においては、精神主義社会ともいうべき大宗教団体の教祖こそが「正しい」とばかりに日頃の経済社会をないがしろにしている人人が存在するのも事実です。
 そうした中に於いても、各組織のリーダーの普段の言動に問題があればそれは「正しくない」という判断になるように真実はあやふやで非論理的になってしまうのです。
 ある国家に至っては嘘も壱百篇言えば真実になるかの如き「フェイクニュース」をまき散らす、その内容を吟味するに前記の思い方「自分ならこうするだろうから相手もそう考えているだろう」といった国柄をベースに情報発信しているようです「慰安婦問題」しかり「南京虐殺問題」しかりです。
 行動の在り方に「日本人らしさ」が全くありません。
さて、本日の戒めですが「自分がそう思うから彼もそう思うだろう」といった判断基準ではなく長い歴史環境の中での原因と結果のサイクルや日頃の言動から考慮しなければならないという事を「戒め」としたいと思っています。


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2020年03月10日

文句ばかりの野党とマスコミ

コロナウィルス肺炎に関する考察」
政権批判の材料に使われているこの国の政治家やマスコミの暴論に対しての意見
ある現象に際して、その現象が私たちの日常生活に大きな影響を与えるような場合
日々の行動体系の見直し及び修正をかけなければならないかなどその範疇を考慮する必要があります。

そもそもその現象が個人レベル程度に及ぼす場合や所属する組織やコミュニティに及ぼす場合など
様々でありその都度行動などに制約をかけるのが誰か、もしくは何か、という観点からは指図するための制度や習慣などから決定されそのことに従うというのが本来の形であろうとは思うのですが、組織やコミュニティに於いてその制度設計が不備の場合統制のためには時間的制約もふくめると、行動指針の決定は個人のリーダーシップによることになります。

 さて、その際に問題となるのはその現象を引き起こしている原因が何なのかを追求することで問題を発見しその原因を取る除き修正することですがその原因の発見が不十分である場合もありうることです。
しかし緊急を要している場合はその原因追及の結果が判明する前に行動を起こさなければ間に合わないとことも視野に入れておく必要も当然あるわけです。では、原因発見の不十分さは何が原因なのか
 これは、企業経営などにも同様なことがいくつも訪れてきます。様々な問題を解決していくことが経営の本質であるわけで家庭生活だろうが個人の人生生活だろうが同じことであり現象の影響を及ぼすレベルによって決断する担当者が変わるというだけの話しなのです。担当者によっては収集できる情報の質量が異なり問題解決のための情報をどう生かすかも担当者レベルにゆだねられるわけです。
コロナウィルスの発症地の武漢地区の情報が最も大事なものであるにもかかわらずその情報発信が遅れたというのが最初の問題であり同じようにWHOの発信の不適合性がその次でありこの点が世界的規模にて立ち遅れの原因となったわけですがなぜか国会でもマスコミでもこの点に関しての徹底追及はされぬまま不適格な情報のみが飛び交っています。さらに、初めてのウィルスという事で研究が立ち往生しているみたいですがこれも最も大量の検体データを有しているはずの中国からの情報提供が不備という事を鑑みれば現状になっていることはある意味当然な事といえます。
posted by 筆文字や隆庵 at 20:20| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月28日

言葉を発する

 人間が言葉を発するとき、心の中でよく考える習慣をつけていくことがたいせつであります。
簡単に考えて、浅学にてその場をしのごうとする心で語ってしまうことがあるという事を我々は理解している。
 「つい、言ってしまった」ことは、結果として対象となる方に、結果として不調和を与えてしまい、再度の原因を生み
不具合を起こす。
 こういった、ちょっとした一言が物事を大きくしてしまい、その一言によって派生した問題が多くの方たちに迷惑をかけてしまう、思ってもみない事が起きてしまったといった経験は誰しもがしているのではないであろうか

 案外、歴史上の大事件もひも解くとほんの些細な言葉で引き起こされている場合も少なくないのである。

  原因と結果とその連鎖から発生する様々な現象
  今起きていることに対してその原因はどこで作られたのであろうか
  問題解決の根本が発見できるはずである

小さな事の繰り返しが、人間の習い性となり同じような現象に対して脊髄反射してしまう
小さな事の繰り返しが、知らず知らずに心構えの基本を創り上げその人となり、人柄を形成していく
現状を客観的に観察することをないがしろにすると
正しい判断が出来なくなり、結果として嘘を語ったということになる
図らずもついてしまった「嘘」は嘘の連鎖をよび、どこかの時点で「矛盾」を創っていくのである。

posted by 筆文字や隆庵 at 14:28| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月22日

柄という事

 柄とは、本来人や組織が持っている品性や生き方の基本となっている習慣的な心構えと行動体系のことだと私は認識している。

例えば、お国柄という言葉がある。これはある国という組織の過去のある時から現在まで(場合によっては未来まで)引き継がれるところのその国の成り立ち、その国ならではの事情などから導かれ、その結果的構成されている様々な要素。
特にある現象に対する考え方や、行動の方式が意識的にせよ無意識的にせよ自然に理解できるような性格のようなものをもっている状態を「国柄」と呼ぶ。

 この「国柄」に準ずる形で成立している地域の気候風土、地形、基盤となる産業や経済などから形作られた特性、文化等その地域ならではの成り立ちを「地域柄」地方色などと呼ぶ。
同じような観点から社会の風習などもその地方の柄によって生じているものである。

又、会社といった組織ではこの「柄」の事を「社風」と呼ぶ

 「家柄」とは同様にその家庭がもつ過去からの歴史(因果)から培われている考え方や行動、周りにある様々な状況、状態、他者への思いなどが構成する「我が家」ならではの存在意義、教養や文化などの表現の有無などから成り立ってる要素の事をいう。

 では「人柄」とはどう解釈できるのか、少なくとも上述した「国柄」「地域柄」「家柄」といった周りの環境に大きく影響を受けていることは否めない、つまり「人柄」構成する要素としては周囲の環境や教育、思想、習慣そして五感という肉体的な影響に左右されて成り立っているものといっていい。

 つまり、自己を取り巻く環境一切に影響されているのが「人柄」と呼ぶのである。

 これらの「柄」の一切が我々の人生に大きく関与しているのであるから、幸福の道を歩もうとしたときはそれぞれの「柄」の善悪を把握反省しながら生きていかなければならないのである。その「柄」の中で最も大切なものは「人柄」の是正であろう、何故ならその他の「柄」を是正するには一足飛びでは難しく場合によっては何百年かかることもあろうかと考えられるからである。

 しかし「人柄」に関しては自力によって可能でありいずれは、周りを巻き込んで善処することの可能性はあるものの時間をようするものであろうと考えるからである。

 
 




 

 

posted by 筆文字や隆庵 at 14:24| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月06日

語るということ

 我々が言葉を発するときによく考えるという習慣をつけていないと些細なことでも大事件になってしまうことが多々あるという事は多くの人も自覚している事であろう

 特に乱暴な言葉による会話、簡単に何の考慮もなく発せられた態度や行動など要注意

 「つい言ってしまった」ことが原因で回りや相手を不愉快にさせてしまい、

 不都合な現象を結果として発生させ、またその言葉や行動が次の原因になり、原因結果の法則により
 次から次へと問題が膨らみ大きくなっていくものだ

 お釈迦様の説かれた八正道の「正しく語る」ということがいかに大切であるかを学ぶ

 
posted by 筆文字や隆庵 at 12:20| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月27日

不平不満

 優越感と劣等感のはざまに心が揺れている間はいつまでたっても心が休まることはない
 
いつも不平不満が心の中にある状態がそれである、つまり心の安らぎを求めて生きている私たちにとっては

不幸な事なのである

 優越感も劣等感も実は同じ心理状況であることを知る人は少ない 
 同じ心の領域から発信されている感情なのである。

それは、常に他と自分を比較している心でありシーソーの様に上下し、都度心の安らぎを失っている

 「不平不満の根っこ」自分さえ良ければいいという心に繋がり本来「善」そのものである自分の心をいため
 重ぐるしいオーラを発し、周りの人々を巻き込み不幸の種子を播く

 不幸の種子は心の中にて増殖され益々負のスパイラルに入り込んでいく(循環の法則の働き・仏教でいうところの業)

 そのスパイラルを断ち切るには反省しかないのである(仏教でいうところの止観・キリスト教では懺悔という)

 反省こそが心の汚れを取り去る手段であることを知れ


 

 
posted by 筆文字や隆庵 at 22:14| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月22日

信仰の生活

私の信仰とは、思想でもなければ考え方や要望でもありません

ただ宇宙を貫く法則を知りその法則に逆らうことなき生活を送ろうと努力を重ねること

を願うばかりであります

いわゆる、人間の生命活動をふくむ森羅万象すべての物質エネルギーは永遠不滅の存在であり

転生輪廻しているのであって、例外はありません。

この世は物質とエネルギーが同居している状態であります

死は物質の滅びでありますが私の生命はあの世に帰りあの世の肉体というべきものを纏い

生活を続けていくわけです

このことを前提としてあの世とこの世を輪廻し永遠の魂の進化に努めていかなければならない

というのが、私たちの人生の目的と使命になるのです。

posted by 筆文字や隆庵 at 10:34| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月28日

人生の目的という事

はじめに・・・
人生の目的を成就しようと思う時にどうしても「目標設定と行動計画」が必要だと思い至ったのが、35歳を迎えた頃でした。
仕事に夢中だった私は、海外の特に米国の経営理論の勉強とその実践による理論検証の積み重ねの日々を、送っていました。その当時の経営理論の骨子は軍隊の組織と運用がモデルとなっていると教えられていました。
米国式合理主義を基本とした人の配置や教育やオペレーションシステム(作業のしくみ)
物質至上主義による業績優先主義。当然のことながら人は業績をつくるための材料であるかのような扱い、米国におけるエリートと非エリートの格差の広がりは日本における格差とは比べられない状況であったにもかかわらず、多くの日本企業がこの理論を取り入れ業績を伸ばしていったのです。
私は数々の書物に触れながらもどうも納得がいかなくてもっと違った経営理論がないものか、いやそもそも人生とは何なのか人生の中の一部が経営理論、経済であってすべてが合理主義的経営理論ではないのではないかと考えていたころに出会ったのが自己啓発テープと書籍「成功哲学」、ノーマンビンセントピールの「積極的考えの力」といった一連の「クリスチャンニューソート」といわれる思想の教えでした。
それらにかかれていたアイデアのポイントは、偏った生活の否定。トータルの幸福が必要であるという事。ジキルとハイドのような性格の否定。つまりは人格の向上こそが大切であるとの内容でした。
大まかに次の6項目のバランスを大切にせよという事です。

これらのアイデアを経営に持ち込むことが出来れば理想だと考えたのですつまり
1. 仕事と経済に関すること・・お客様にとって良い商品を提供す事で収入を得る
2. 家族と家庭に関すること・・家族主義経営 社員は家族であるということ
3. 教養と教育に関すること・・社員教育、技術や知識の習得
4. 健康と身体に関すること・・健康診断の実施などと同じく心の健康も留意する
5. 社会と文化面に関すること・地域社会への貢献
6. 精神と倫理に関すること・・経営理念とコンプライアンス

又逆に考えると私たちの個人の人生も経営という観点を持たなければいけないと思ったわけです。
posted by 筆文字や隆庵 at 11:45| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月22日

役割、個性 調和

 太陽系は太陽を中心として九つの惑星と三十二の衛星が整然と歩調を揃え、決して気ままな行動をとることをしない。
これと同じように、人にはそれぞれ器というものがある。人はその器に従って今世での役割を果たしていくのである。

 人間の五体が五体として成立するには各諸器官の有機的な機能が必要である。
それぞれが自己主張し、手足が頭に、頭が腕になりたいと望めばどういうことになるであろうか。
五体はバラバラになり、人間は一日として生存することが出来ないではないか。

 世の中の人々の中には、自分の事しか考えない人、あるいは常に天下国家の事を考えている人がいる・・というのがそれぞれの器ということである。

 また、実によく真面目に働く人がいる。よく働くというのでその人を何人かの長にするとさっぱりダメで人をまとめて仕事をさせることが出来ないという人がいる。そういうことも器である。

 慈悲とか愛という点でも、自分の事となるとおろおろして何かするのに、隣に病人があり困った人があっても知らん顔をしている人がある。
また、自分の事はさておいて人の事に一生懸命になる人がある。

 そういった個性は過去世からの業もあれば今世での周囲の環境、教育 思想 習慣から身についたものもあろう。しかしながらすべての現象は
単独で発生するものではなく相衣性、お互いさまということで成り立っていることを知らなくてはならないのである。

 宇宙の運動や自然の循環を見れば理解できるのである。
 人には個性があり器があり、当然向上心があるわけだから今世にて高い心を持つことが出来るように精進することが目的であって
 達成できなければ来世でまた努力をすればいいのである。

わたし達の使命は永遠の向上を目指すところから始まるのである。

  「広大なる宇宙体は万象万物の根元にして万象万物相互の作用により転生輪廻の法に従う」
posted by 筆文字や隆庵 at 09:50| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月03日

役割、個性 調和

れ 太陽系は太陽を中心として九つの惑星と三十二の衛星が整然と歩調を揃え、決して気ままな行動をとることをしない。
これと同じように、人にはそれぞれ器というものがある。人はその器に従って今世での役割を果たしていくのである。

人間の五体が五体として成立するには各諸器官の有機的な機能が必要である。
それぞれが自己主張し、手足が頭に、頭が腕になりたいと望めばどういうことになるであろうか。
五体はバラバラになり、人間は一日として生存することが出来ないではないか。

世の中の人々の中には、自分の事しか考えない人、あるいは常に天下国家の事を考えている人がいる・・というのがそれぞれの器ということである。

また、実によく真面目に働く人がいる。よく働くというのでその人を何人かの長にするとさっぱりダメで人をまとめて仕事をさせることが出来ないという人がいる。そういうことも器である。

慈悲とか愛という点でも、自分の事となるとおろおろして何かするのに、隣に病人があり困った人があっても知らん顔をしている人がある。
また、自分の事はさておいて人の事に一生懸命になる人がある。

そういった個性は過去世からの業もあれば今世での周囲の環境、教育 思想 習慣から身についたものもあろう。しかしながらすべての現象は
単独で発生するものではなく相衣性、お互いさまということで成り立っていることを知らなくてはならないのである。

宇宙の運動や自然の循環を見れば理解できるのである。
人には個性があり器があり、当然向上心があるわけだから今世にて高い心を持つことが出来るように精進することが目的であって
達成できなければ来世でまた努力をすればいいのである。

わたし達の使命は永遠の向上を目指すところから始まるのである。

「広大なる宇宙体は万象万物の根元にして万象万物相互の作用により転生輪廻の法に従う」
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2018年10月01日

善なるものこそ人の本質

人間の潜在意識の底の底には善なるもののみが存在しているのです。

 善なるものであるからこそ悪事を働くと心が痛いのであります。また善なるものの積極的な顕現に
 失敗しているだけの事であり、元々の素直な心の顕現を心掛けていかなければならないのであり
 その為には普段の修養が大事であるという事です。

 

posted by 筆文字や隆庵 at 09:04| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月10日

潜在意識の説明

 光明思想家による潜在意識の理論について次のように言っている。

 1. 潜在意識は大いなる智慧を持っている。非常に複雑な身体の生理作用、機能を一点の間違いもなくこれを統一し

   活動させている。現在意識は潜在意識がいつどのようにしてこのような働きをしつつあるか、それは知らない。

 2. 潜在意識は現在意識が与える命令をそのまま実現させる。潜在意識自ら善悪を選択する力はないから、良いものであろうと
   
   悪いものであろうとみんな実現させる。

 3. 潜在意識から感情が起こる。感情は人間の思想、欲求を実現させるための原動力である。強い感情をもったものはすぐ

   実現するし、強く思わないものは実現しにくいしその感情がよいものであろうと悪いものでも 愛の感情であろうと

   憎悪の感情であろうとなんでも実現しようとする。

 4. だから、農夫が常に雑草を抜いて手入れをするように 人間は現在意識によって感情の整理をする努力をしなければならない
  
   理由ががある。

   しかしこの説明の中では、人の生まれつきの性格、才能などの違い即ち個性はどうして生まれるのかは説明できていない。

   真の生命科学を知るならば

   生まれ変わり、死に変わりといった循環の法則が人間に働いていることを気づくことができる。

posted by 筆文字や隆庵 at 10:58| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月02日

心の畠を管理する

 もし、私たちの心の畠に雑草が生えどんどん伸びていくのに、農夫が何もせずにただみているだけであるならば
 、神はただ見ていられるだけで、農夫に代わって何かをされるということなどは全くされない、悪は常に農夫自らに
あるのである。
 農夫とは私たちの「現在意識」である。

 このことを知らないで、一所懸命に祈れば自分は何もしないでも神様のほうから何とかよいようにして下さるであろうと
考えているのが他力信仰の人たちである。

 真の信仰とはあくまでも自力であって「自らの知恵と行動」の結果として「自力の極に他力あり」という事になるのである。
「天は自らを助けるもの助く」は真理である。


posted by 筆文字や隆庵 at 10:28| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする