2014年08月11日

考え方の習慣

ある問題が目前に現われたとき、各人が思う事柄によって大きく運命が変わることを知らなければならないのです。
知らん顔して何ら関係ないようといってその事象を無視する人
この事象はなぜここに発生しているかをじっくり立ち止まって考慮する人
自分にとって大事なことだから
この問題の解決にあせる人
ともかく目前に起きている自分に関係している事象だから
なぜ、この事象が起きているのかその原因をじっくり探ろうと思っている人
様々な思い方があります
実は、私たちの目前に現われる問題はすべて自らの普段の思ったことや行ったことの結果として
事象となっていることを知らなければならないのです。
とすれば、自らのどの思いや行動がこの事象を生み出したのかを
感じ、そして確認し、修正すべき思いや行動を反省し
その修正したことを実践する
これが運命を修正できる唯一の方法であることを知らなければならないのです。
思いなくして行動なしなのだからまず思いを修正していきましょう。
posted by 筆文字や隆庵 at 19:47| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月25日

心で思うこと

心の大地によい種子を播くこと
現在意識は種子であり、潜在意識は大地である。大地である潜在意識は種子を選別しない
播かれる種がよい種子であろうと悪い種子であろうと、雑草の種子であろうと、またその種子が意識して播かれたものであろうと、無意識のうちに播かれたものであろうと、すべて芽をだし、育て上げそれを生活体験として顕現されるのである。
「まいた種子が生える」とイエスがいわれたこのことと同じことを釈尊は「因縁」即ち、原因があって結果があると説かれた。
よい原因をつくればよい結果がくる。悪い原因をつくれば悪い結果がくる。
  だから、幸福になろうと思ったらよい原因をつくりなさい。それが法であると説かれた。
種子を播く人が、瓜の種子を播けば瓜が生え、茄子の種子を播けば茄子が生えるように、慈愛、憎悪、健康、病気、平和、闘争などこれらの心を持てば潜在意識を通してこれらの心は実現されるのである。
posted by 筆文字や隆庵 at 12:59| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月03日

抑止力なるもの

今から2500年前、中インドの小国であるコーサラ国のカピラという城に誕生した「ゴーダマシッタルター」の父「シュットダナー王」は若きゴーダマに次のように述べます。
「お前はやがて子供ができるというのに毎日考え事ばかりしている。お前がカピラを出てしまえば私は一体どうなるのか。わしも年を取っている、民百姓のことも考え跡取りらしく振舞ってほしい」

父親の主張は一国を預かる者にとって当然のことであった。外敵から攻められ、戦いに負ければその国の種族は奴隷となりその累は、子子孫孫にまで及ぶ。戦いには勝たねばならない。平和を維持するためには戦いのスキを与えてはならないのだ。武力を常に保有し敵国をけん制してゆくことこそ一国の最高責任者としての務めである。

そのつとめを父の目からみたら怠っていると見えるのであろう。しかし、ゴーダマにはそれ以前の問題があった敵といい味方といい同じ人間同士ではないか。なぜ人間同士が戦わなくてはならないのか、また戦いに勝ったとしてもその勝利はいつまでも持続するとは思えない。戦いに勝てばいつの日か負ける時があろうる
勝負の中に人間が没入する限りは、人間としての真の安らぎ、心の平和を確立することは到底出来まい、何故なら勝負の世界には絶えず作用反作用の動因が絡み合っているからである。
勝者のおごりと敗者の憎しみ・・・この相関関係は時計の振り子のように右に左に揺れ動き勝者はやがて敗者につながっていくことは永い歴史を見れば瞭然のことではないか・・・国を守るための武力、勝つための政略それ自体すら、心の平和を失った苦しみではないのか。
・・・・・「人間釈迦」高橋信次著 より




posted by 筆文字や隆庵 at 10:35| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月20日

希望、願望、期待

物質的世界の近代知識はわれわれの精神的世界への希望と信仰を弱めた。
現代人は世界に破壊を持ち出すものに関しては発明し創造することができる。が
世界に平和ををもたらすものに関しては発明も創造もできないのである。
何故なら平和の君なる実在者、神・・・の地位は現代世俗の知識体系にはないからである。
しかもなお、神なる実在者は我々とともにあり、そして神を実際生活にいきる方法があるのである。
現代業界の騒音の中にあっても、われわれは心を静めることができるのである。
今日のジャングル地帯のような混迷の企業競争の荒野にあってもわれわれは心を静める瞑想するために
我々の時間の1/10を別にとっておくことができるのである。
心静かに瞑想する時間はちょうど希望する心が希望するものを招くように実在者・・・神を呼ぶのである。
posted by 筆文字や隆庵 at 13:59| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月14日

個人だって歴史を作っている

じいさんばあさんをただじいさんばあさんとだけと認識していてはいけないのです。
彼らや彼女ら、もちろん私もこの世に「おギャー」と生まれてからの時間を今日まで生きてきているのであって、乳児期 幼児期を経て少年少女であり青年期を迎え段々と年齢をかさね熟年となりそして老人となっていくのであって、それぞれが各人の生命活動の歴史を歩んでいくのです。
生まれてきたということはいずれ老いたくなくても老いるし病気をしたくないと思っても病気をするし死にたくないと思ってもいずれは死ぬわけであるのです。

お釈迦様は「生老病死」「四苦八苦」という言葉で表現されました。娑婆というものはこの四つの苦しみからは逃れられないのです。と説かれました。

多くの人たちはこの「生老病死」と説かれたということから一歩も先に進まず「人生は無常なり」と「苦しきことのみ多かりき」といった風に解釈しているのではないでしょうか、
しかし、さらにお釈迦様の説法は次のように続くのです。
「生老病死」いう事態を諦めなさい「四諦」つづいて「八正道」の説法があるのです。
「死」のあとに訪れる「あの世」という世界があり、この「あの世」こそが本来の私達の真実の世界だと説かれているのです。
 その「あの世」というところから私達は「この地上界」に両親の縁によって誕生するわけです。それぞれの人生の中で学ばなければならない課題をもっているのだということを知らなければならないのです。
 永遠の魂である私達は、波動のあらいこの地上で調和の大切さを学ばなければならないということをお釈迦さまが教えてくれていることを知らなければならないのです。
posted by 筆文字や隆庵 at 11:38| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月30日

信仰の力

信仰というものは、人を非難したり独善的判断で人の性格の欠点をつつき出したり、軽率に人を批判して悪口をいって喜んでいるようなことでは開発されないのである。

信仰は、人の善をあからさまに伝え、人の悪については沈黙を守り「罪を憎んでその人を愛すべし」という神の法則を守ることによって生長するのである。

「汝ら、人を裁くな、裁かれざらんためなり。
  己が審く審判にて己もさばかれ
 己が計る量にて己もはかられるべし」

              スターデリー著「奇跡を生ずる信仰」より抜粋
posted by 筆文字や隆庵 at 16:17| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月28日

教会の信者

現代の教会のまことにまじめな会員の多くは、自分は「神を信じている」と信じているのである。
しかし、自分の息子や娘の非行的な姿に直面するとき、彼らは恐怖、心配、不安の誘惑に屈してしまうのである。
 その時彼らは 恐怖、心配、悪を信仰している事になるのである。

「信仰うすきものよ!」とイエスはいう

多くの人々は真に神を信ずる者は人をもまた信ずるという教えを体験によって学まなければならないのである。
「恐怖、不安、心配」というものに自らの心の波長を同期させてしまうとそれは現実を作るのである。
posted by 筆文字や隆庵 at 11:09| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月26日

宗教とはなにか

本物の宗教が必要な時代になってきているようなそんな気がしています。
そもそも生きていることに悩みがあって、自分の力だけではどうも乗り切れないなあと思う時にふとどこかの何かにすがりたい
そんな気持ちが起こってくる
その時にすがりたい何かが「宗教」であり、その「宗教」という名の魔物にとりつかれる人々がふえてきているようなそんな気がしています。

宗教とはいったい何かを考えていきたいと思います。
まず、身の回りにあるこまごまとした「宗教」らしきものについて論じたいと思いそれぞれの宗教的儀式に関して考察してみます。
その一 仏教について
最近あるお葬式に参列した折、「導師」というお坊さんがなにやらの「経」をよみ死者に引導を渡すのだという儀式をとりおこなっていたのです
疑問・・・お経の意味がまったくわからない。なにやら「もぐもぐ」と唱えている言葉の意味が不明。
坊さん言う・・・これはありがたい言葉・・・しかし誰がその意味を理解するのでしょうか
坊さん言う・・・儀式が死者を天国にお送りするのだよ
疑問・・・ならば天国というというところはどこにあるのですか
坊さん言う・・・西方浄土にあるといわれているが・・私は行ったことがありません

    ということは、自分が行ったことのないところへ死者を送るということですね
    ということは、旅行代理店の担当者か行ったこともない地に旅行者を送るということですね
坊さん言う・・・一応しきたりとしてそうなっているもんですから・・・
    ということは、仕事としておかしいのではないでしょうか?

    ということは、人間死んだらどうなるのかがわかってなくて
    ただ「しきたり」だからということなんですかね
    お坊さんの仕事って何なのでしょうか、
あの世があるから死者をそこに送る・・・そのための助けをする。
あの世がないのであれば死者をそこに送る仕事って空しいものですよね
仮にあの世を信じていたとして、死者に伝える文言が、あの「お経」ならば、おそらく死者に伝わらないと思うのですがいかがでしょうか。
    
posted by 筆文字や隆庵 at 23:53| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月08日

お寺の坊様にききたい

お葬式にて寺のお坊さんがなにやら「お経」なるものを漢文にて唱える。意味も不明だと思うのだが仏像に向かっ毎日唱えるのだそうで・・・
観自在菩薩行深般若波羅密多時  云々・・・この観自在とはどういう意味なのかわかる人いますか?
posted by 筆文字や隆庵 at 23:53| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月29日

旅魂

ひとは、それぞれ母となる方の子宮に
父なる方と調和されたあかしとしての受精卵として
はじめはただの物質として宿るのです
数億分の一という奇跡がそこから始まります
生命は、やがて体内で進化していきまず最初に
心臓が形作られ、母体から頂く血液の循環が始まり
脳細胞をはじめとし各各の細胞組織が作られていきます
胎児の誕生です。

その時期になると、形作られていく肉体には
その進化をちょくちょく確認のために訪れるあの世の霊
つまり、形作られていく肉体に宿るべき胎児の魂が
試運転ともいうべき
行為を実行するというのです

受胎後2〜4カ月ほどその作業が続いていきます。
その頃の母親との意識のずれが「つわり」という現象を
生じさせるというのです。

おおよそ地上の時間で200年ほど前に、母となる方
父となる方とその間で生れて二人の子供となることを
あの世というところで約束をしてきています

 それぞれの魂はあなたを母としあなたを父とし
私は子として有るというのです
最も、成長に役立つ環境を通してお互いに神の子として
「創造主」の心に一歩でも近付きましょうという
約束をするというのです

 しかし、肉体という衣をまとうと、どうしても
肉体に心が支配されてしまい、真意が分からなくなって
しまいます
 先にこの物質の世界に生れている母の意識との
ずれが生じるのはある意味当然なのかも知れません。
「つわり」は、まだ現世を知らずにいる胎児となる人
と現世に少なからずも毒されている母親との意識のずれ
バイブレーションの相違から生じているというのです。

 死は容易に理解できますが、誕生は神秘です

 神秘ですが、誕生とは物質である肉体と永遠に存在する各各の
 魂が同居するという大いなる儀式というものかもしれません

 このことは、宗教ではないのです

 すべてが、永遠に変化することのなき法則の中に存在していて
 地上におけるあらゆる宗教の違いに関係なく存在しているという
 ことを私たちは知らなければならないと
 言う事です。

http://www5e.biglobe.ne.jp/~spbook/life-after-death/life-after-death-01.htm
posted by 筆文字や隆庵 at 22:21| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月18日

諸法は無我である

大宇宙の営みに関しては、私達がどう考えようとも触れることのできないのであって。ただひたすら従うしかないということなのです。
その法とは
原因と結果の法則・・・動反動の法則、作用反作用の法則
循環の法則   ・・・すべては因果の回転
慣性の法則   ・・・止まってる物体はとどまろうとし動いてる物体は動く方向に対して動こうとする
エネルギー不滅の法則・・・
波長共鳴の法則・・
posted by 筆文字や隆庵 at 22:21| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月13日

生きるという事

まぎれもなく、今日を生きている私たちにとって大切なことってなんでしょうか?
少なくとも生きていくために必要である食と住と衣服が備わっていないと生きていくことが出来ないのです・
少なくとも、私達も先達も子供たちも孫たちも同様に大切な事だと思うわけです。

今から数千年前に肉体をもって存在していたお釈迦さまとその弟子たちが遺して行った数々の教えは
今、有難い経文として現存しています。
しかし、当時の衣食住は修行僧としてあった彼らに布施として提供されていたわけでもともと現在の時代とは異なっているわけですし、有難い経文の隅々に亘って無条件に従っていってはならないのです。

南無阿弥陀仏も南無妙法蓮華経もアーメンもただ唱えることが全く無意味であることを知らなければならないのです。
posted by 筆文字や隆庵 at 22:45| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月25日

さてと思う人生

先日、61歳の誕生日を迎えたのですが果たして自分の納得感が得られたのであろうか。
心のことば・・・
幸福者
       多くのものを持つ者と持たざる者
      そのどちらが幸せであろう、持つ者か
       それとも持たざる者であろうか、もしも多くを持つ者がそれを失うまいとし
      持たざる者が
       それを欲するとすれば  そのいずれも不幸である
      一日の食糧は数片のパンで十分だし
       居住の空間は数平方メートルで足りるからである
       物の多少に 幸、不幸があると考える人は、幸せにはなれない
      なぜなら、自分を含めてあらゆる物質はやがて大地や大気に還元され
      自分のもとから離れてしまうからだ
           幸せな人とは
        失うもののない人をいう

                              高橋信次 こころのことばより 抜粋
posted by 筆文字や隆庵 at 22:10| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月21日

仕事の話

 人が仕事を旨くやろうと思う時 何を参考にし、何を基準にしてそれを進めていこうとするのでしょうか。
先ず一番目に考えられるのが、経験主義、体験主義であります。
いわゆる業界や職種上における先達から踏襲され伝えられた技能や技術や、常識をもとに仕事を進めていくということです。
 先達から伝達された事柄だけでは、情報化 成熟化された現代において必ずしも正解ではなくなって締まっている事が多々あるわけです。つまり「昨日の専門家ではあるが、今日の、明日の専門家ではない」ということなのです。そこで今日の当事者である者たちは何を感じ何を学びそして何を為さなければならないのでしょうか。到底単なる体験主義だけではおぼつかないのです。
 したがって大手の企業では常なるイノベーションを図るべく「未来のための研究開発」に力を入れているのであります。新業態の開発や新商品の開発などが重要になっていくのです。
 とはいうものの、先達の技能、技術のすべてを否定するわけではなく根本原理に関しては多くを学ばなければならない事も一方では事実であります。老舗には老舗ならではの「ブランド力」があります。そうした歴史遺産そのものを生かしつつ「ビジネスモデル」を再構築していく努力もまた必要な要素なのです。
 さて、では「研究開発」などに多くの経営資源(人、もの、かね)を投入する余裕のない「小さなお店」は一体どうすればいいのでしょうか?
 それは、過去から学び、他人から学び、そして日々のお客から学ぶことです。書店にて出回っている専門誌の多くはどちらかといえば大企業、中企業 小企業向けのジャンル分類はされているものの「零細企業」向けの雑誌はわずかであり、且つ取材もあまり踏み込めてなく「小さなお店」の経営者にとって適当な記事が乏しいのが現状ではないでしょうか。
 私は、「筆文字・イラスト・キャッチコピー・ハッピーレター」などのデザイン制作をとうして20年間「小さなお店」での様々な出来事に遭遇し彼らのお店の「原因と結果」を知る立場を体験させていただきました。
近いうちに小冊子にまとめ電子版で公開したいと思っているわけです。
 仕事の原理原則はいかなる時代であろうと、その仕事の目的は他者のために何ができるかを常に考え行動するのだ。ということであり普遍的なものであろうと思っています。
 そういった日々を推し進めていくことで自らと自らの仕事の質を高めることができるのでしょう。

http://www.nagayama1997.com
posted by 筆文字や隆庵 at 14:37| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月23日

この世を構成してるもの

多くの人々は、仕事というものをどうとらえているのてあろうか。生活の基盤作りのため仕事をしていることを否定するものではないが、いまいちど考えてみよう何のために生きているのか、何のために仕事をするのか
自分の心に聞いてみよう。
お釈迦様の仕事についての教えは「八正道」の正しく仕事を為すという意である「正業」という言葉で表現されています。
その意図するところは、地上界のあらゆる生物は働くように仕組まれています。動物も植物も鉱物もこの地上の生きとし生けるものにその身を提供しています。そうして循環という法則にのっとって自らを生かしうる環境を創っているのです。
こうしてみてみると、私たちの職業の在り方も人々に必要なものを提供するということを意味するのです。
仕事をし、働くということは
自らの生活を維持し、なおかつ人々の生活を支えることです。したがって仕事そのものは「愛」の行為につながるのです。
愛は他を生かすことであり、助け合うということです。
現代社会の混乱は、仕事を単に金儲けの手段と考え、人はどうでも自分さえよければいいと思うのがその原因でしょう。
ですから、今日の多くの人が果たして正しく仕事をしているでしょうか、自分さえよければいいと思っているような気がします。経済が目的ではなく調和を目的とするならば争いと混乱の輪廻から離れ「愛」ある環境が実現していくでしょう。
経済の奴隷から脱しない限り、本当の意味の「繁盛」が訪れることはないでしょう。
posted by 筆文字や隆庵 at 10:11| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする